96 ~キアラの願い〜
やっと事態の輪郭のようなものが朧げに見えてきましたでしょうか? ほんとに朧げですけど
キアラが深々と頭を垂れてしばらくの時間が過ぎた。 女性たちは顔を見合わせ誰も口を開こうとはしない。 ユリウスが答えるのを待っているのだ。 分かってはいるものの、なかなか彼には決心がつかなかった。
それはおそらく、今まで漠然と感じていた不安が【現実】になってしまう瞬間なのだから……
それでも彼にはもう目の前の扉を開くしか選択肢はなかった。
「お祖父さまというのは、ミュラー師のことかい?」
「はい、祖父のミュラー・フォン・ライヒェンシュタイン── 三賢人のひとり、王国の宮廷錬金術師だったあの方です」
キアラはゆっくりと顔を上げた。 その表情には悲愴な決意が浮かんでいた。
「どういうことなの? お祖父さまを止めてって……」
フィオナにとっては、それは純粋に素朴な疑問だったろう。 ルシオラにはユリウス同様、思い当たる物があるようだった。
「ミュラー師は生きているのかい? 君は居場所を知っているのか」
三賢人のひとり、錬金術師のミュラーは7年前に失踪して現在なお行方不明である。 もっとも── それは、世間的にはユリウスも同様なのだが。
「いいえ、私も居場所は知りません…… 無事でいるのかどうかさえも」
「では何故──」
少女は答える代わりに腰につけた革のポーチから1本の小さな試験管を取り出して、ユリウスに差し出した。 その中には全長6cmくらいのスズメバチのような物が収められている。
「これは…… 超小型の『自律思考型自動人形』だね?」
「気付いてらっしゃったんですか?」
キアラの表情に驚きと、そして微かな安堵が浮かんだように見えた。
「それが現在、王国周辺を騒がせている【彷徨える魔獣】と呼ばれる現象の原因であることも、もう冒険者ギルドは把握しているよ」
「そうだったんですね…… それで、どこまで…… 何が分かっているんですか?」
ユリウスは現時点で判明している事を、かい摘んで説明した。 この話は、ラウラもまだ知らない情報だった。 超小型の自律思考型自動人形に興味があるのか、受け取った試験官を手に食い入るように中のサンプルを観察している。
「このスズメバチ型のゴーレムは、魔素の激しく増減している場所を目指して進んでいるらしい…… 目的はおそらく──」
「分かったのですか⁈ 目的がっ⁈」
その反応からして、彼女はまだ気付いていないようだった。
「オレは、このハチを操っている人物は…… 【賢者の石】を探しているんだと思っている」
「賢者の石…っ⁈」
それは、あのアダマンタイト・ゴーレムの少年が直接口にした言葉でもあった。
だからこそ…… だからこそ、ユリウスにはどうしても今ひとつ腑に落ちないでいたのだ。
そう、それは余りにも不可解な疑問。
ミュラー師は賢者の石の在り処を知っている筈なのだから。
「それで、君は…… この一連の現象に、ミュラー師が関係していると考えているんだね?」
キアラの表情に再び翳りが差す。
「はい…… 昔見たことがあるんです。 お祖父様の工房で。 蜂の形をしたゴーレムの設計図と…… たぶん試作品の模型を」
「それはいつ頃のことだ?」
「お祖父様が失踪する少し前…… やはり7年くらい前だと思います」
「……そうだったのか」
やはり…… こんな精密な自動人形を造れる者が、そう簡単に現れる筈はなかったのだ。 少女はゆっくりと記憶を辿り、ひとつひとつ思い出すように言葉を紡いだ。
「その模型は…… 15cmくらいの大きな物だったけど、そのハチとほとんど構造は同じだったと思います」
少女の両手人差し指が空間に大きな蜂の模型を描き出す。
「それで、ひと月くらい前だったかな…… インドゥストリの、私の世話になってる工房にこのハチが持ち込まれて…… すぐに思い出したんです」
もともとルシオラは三賢人の熱心なファンなのだった。 ミュラー師にも一度会った事がある。 そのせいか、いつの間にか身を乗り出し我が事のように真剣な表情で耳を傾けていた。
「でもお祖父さまのことは誰にも言えなくて…… 持ち込んだ農夫に聞いたら、ひどく暴れて仕方なく屠殺した牛の頭の中から出てきたって言うんです」
「牛の頭の中から⁈」
思わずフィオナが声を上げた。 彼女の故郷のシュテッペ村でも、放牧していた牛が蜂に刺されて暴れ出し、何頭か屠殺しなければならなかったと聞いている。
「それで独りで調べてみたら、異常な暴れ方をして死んだ家畜や、本来の生息地域と異なる場所で討伐された魔獣の死骸からも同じ物が出てきて……」
結局ここひと月で彼女が回収した蜂の数は、十数匹にのぼるらしい。 ユリウスは静かに目を閉じてしばらく考えを巡らせた。
「いずれにせよ、ミュラー師の技術や発明品が何者かの意思によって悪用されているのは確定だろう」
決して認めたくはなかったが。
「可能ならその何者かの居場所を突き止めたいところだが── それと、賢者の石を何に使うつもりなのかも」
ユリウスはキアラの黒い双眸を正面から見つめた。
「キアラ、本当にミュラー師の居所に心当たりはないのかい? 別荘とか、隠れ家みたいな……」
「はい、家族やお弟子さんたちの知っている別宅や工房は全て捜索し尽くされています。 冒険者ギルドにも捜索を依頼していた筈です」
それはそうだ。 何せミュラー師の手掛かりを探して、彼の興味のありそうな古代遺跡まで探索しているくらいなのだから。 そもそもシャウアは、そのために犠牲になったのだし。
「実は…… ずっと気になっていることが……」
俯いたまま、キアラが重い口を開く。
「何だい? 手掛かりになりそうでなくてもいい、何でも言ってごらん」
「実は私…… 会っているんです…… お祖父さまが失踪する直前に」
「──というと?」
「7年前のあの日、お祖父様は私の家…… 娘であるお母さまが嫁いだ父の屋敷にひょっこり現れたんです」
ユリウスは黙ったまま、視線で先を促した。
「事前の連絡も無く父と母は不在で、私と侍女たちが慌てて出迎えたんですが、とても様子がおかしかったんです」
「衣服は乱れて何日も着替えていないような様子でした」
「目の焦点は合わず、ずっと上の方を見てブツブツと何かを呟いていて……」
「何かを探しているようでしたが、すぐに【飛翔】の魔法で何処かへ飛び去ってしまいました」
「私怖くなってしまって…… とうとうお祖父さまに声をかけることが出来なかった……」
そこでキアラは頭を抱えて蹲ってしまった。 おそらくずっと後悔に苛まれているのだろう。 何故あの時、引き止めておけなかったのかと。 当時12歳の少女にとっては荷の勝ち過ぎた役目だ。
ユリウスは彼女の肩にゆっくりと手を添えると静かに語りかけた。
「君は何も悪くない…… いや、誰も悪くないんだ……」
もしかしたらミュラー師は、あの日を境に精神に異常をきたしていたのかも知れない。 それならば、あのスズメバチを使って【彷徨える魔獣】の騒動を引き起こした事も、賢者の石の在り処を忘れてしまっている理由も辻褄が合うのではないか……?
それは悲しい── とても悲しい推測ではあるが……
「確かに…… もしミュラー師がこの件に関わっているなら…… 必ずオレたちで止めてやらなくちゃならないな」
キアラは涙に濡れた顔を上げた。 優しげな表情のユリウスの後ろで、フィオナとルシオラも目に涙を浮かべて頷いている。 背中に触れたのは、元皇女殿下の手の平だろうか……
今まで独りでずっと悩み続け、張り詰めていた感情が一気に瓦解したのかも知れない。 キアラは、自分でも記憶にないくらい久し振りに声を上げて泣いた。
実は昨日、新たに一話執筆してみました
3,000字強に三時間くらいかかってしまいましたよ
続きを書くために読み直していたら、改行、句読点、ルビなんかに統一性がないのに気が付いて全部改稿してしまった分けなんですが…… 結果として投稿や執筆に対する精神的負担が軽減されたので、それは良かったと思っています




