81 プロローグ ~星降る夜に〜
大変ご無沙汰しております。
ひっそりと再開してみようかと思います。
そこは王都の東側、モーントズィッヒェル湖の北端の畔にある立派な邸宅だった。
ヴェルトラウム大陸の中央を南北に走り人の勢力圏を事実上東西に分断しているザントシュタイン山脈。 ツェントルム王国の首都、王都ミッテ・ツェントルムは、その西側中央付近の山の麓に位置していた。
中央には高い城壁に囲まれた王城が聳え、その東側には山脈の雪解け水が流れ込んで出来た大きな湖が広がっている。 その湖、モーントズィッヒェル湖を『C』の字型に包むように城下の街並みが広がっていて、さらにその城下町の外周を馬蹄形にぐるりと城壁が囲んでおり、その両端は岩山まで繋がっていた。
湖の畔は王都で言う所の一等地だ。
誰でも住める場所ではない。 中央の王城を境に北側に貴族の屋敷や別荘が並び、南側には大商人や成功した冒険者などが屋敷を構えていた。 その中でも北端に位置する、建物の数もまばらな貴族の別荘地にその屋敷はあった。
屋敷の三階の屋根はドーム状に改築されており、天体観測のための大きな望遠鏡が備え付けられていた。
この屋敷は── ツェントルム王国の最大宗教、クラルス教の大司教、ウィリアム・グレゴールの別荘なのだった。
時刻は深夜。 三人の男たちが天文観測室に集まり真剣な面持ちでテーブルに向かっていた。 何を隠そう彼らはいずれもヴェルトラウム大陸にその人在りと謳われた三賢人なのだった。
一人はもちろんウィリアム・グレゴール。 この屋敷の主人だ。 銀縁の丸眼鏡をかけていて白く長い髭を生やし、ぴんと背筋の伸びた上品な老人だった。
もう一人は、ミュラー・フォン・ライヒェンシュタイン。 ツェントルム王国の宮廷錬金術師で、やはり三賢人の一人だ。 グレゴールよりは少しだけ若いが、それでも初老と言って差し支えのない年齢に達していた。 黒い髪に黒い瞳、長い顎髭を生やしているがその多くには白いものが混じっている。
そしてもう一人は、ユリウス・ハインリヒ・クラプロス。 二人よりは孫ほども歳が離れているが、彼もまた百年に一人の天才と呼ばれた王国の筆頭宮廷魔導師だった。
『神智学』と『錬金術』── 本来は対立関係にある筈の両者を、共通の弟子で共通の友人でもある若いユリウスが結びつけ奇跡のような時間を生んでいた。 三人は互いの専門分野に忌憚の無い意見をぶつけ合い、時には目からウロコが落ちるような天啓を得たり、時には取っ組み合いの喧嘩をしつつも理解を深め、いつしか共同で非公式の研究をするまでになっていた。
今夜も人目を忍んで深夜の別宅に集まり、こうして議論を交わしているのだった。
「それで、間違いはないのか?」
「あぁ、何度も計算してみたが結果は同じだ。 あの小惑星は、9年後にこの星に最接近するが、すぐ側をかすめるだけで直接的な影響はないだろう……」
「そうですか、それはよかった」
三人の男たちは顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
「最初にあれを見つけた時は本当に肝を冷やしたぞ。 あの大きさの小惑星が、この星を目指して真っ直ぐに飛んで来るのだからな」
「あぁ、寿命が縮むかと思ったわい」
「何事もないようで本当に何よりです」
三人は先日天体観測をしていた折に偶然にそれを見つけた。 まだ誰も発見していないであろうその小天体は、実に危険な角度でこの星に接近しつつあったのだ。 しかし看過出来ないのはその大きさだ。 直径にしておよそ10km── たかが10kmと思うかも知れない。 しかしそれは、もし地上に降り注ぐなら流れ星と呼ぶにはあまりにも巨大な飛来物だった。
「もしあれがこの星に衝突しようもんなら…… どうじゃビル、被害はどんなもんになるかの?」
「天文学者と言っても、私の専門はもっぱら見る方だからな…… どうかね、ユリウス?」
ユリウスは事前に書物を調べ、自分でも計算していたので澱みなく答える事が出来た。
「そうですね、あのサイズの小惑星がもしそのまま衝突したら── おそらく半径1,000km以内の生物は熱放射で一瞬にして死滅するでしょうね」
事もなげにユリウスが言うと、二人の老人は顔を見合わせる。
「そして衝突地点を中心にマグニチュード10前後の地震が発生し、続いて高さ300mの津波が世界中の陸地を襲います──」
二人の老人は青ざめた顔を見合わせた。
「マグニチュード10だと……? 想像もつかんわい」
「それだけではありません、その他にも衝撃波や想像を絶する大音量の爆音、世界各地の火山の噴火などを誘発し、上空に巻き上げられた粉塵はすっかり空を覆い尽くして数年にわたって暗闇の世界が訪れるでしょう…… その後はこの星の気候や大気の組成までもが変化をきたして──」
「わかったわかった、もう充分じゃ!」
「まぁ控えめに言って『この世の終わり』だな」
「本当にそんな事にならなくてよかったわい……」
「どうだ? 安心したところで紅茶でも淹れてくるかな」
そう言ってウィリアムが席を立とうとした時だった。
コン、コン、コン…… こんな深夜に天文観測室のドアをノックする者があった。
「誰だね?」
ウィリアムが声をかけると若い女性の緊張した声が応えた。
「私です、ルシオラ・スキエンティアです。 お茶をお持ちいたしました」
「入りたまえ」
声の主は扉を開くと銀のトレイを片手に部屋の中に入って来た。 トレイには白い湯気の立ち昇るカップが3つ載っている。 緩いウェーブのかかった見事な金髪の可愛らしい少女だ。 小さく形の良い鼻の上に、ウィリアムと同じような銀縁の丸眼鏡をちょこんとかけている。 緊張した面持ちでそれをテーブルの上に丁寧に並べると、三人に向き直ってゆっくりとお辞儀をした。
「ありがとうルシオラ。 ちょうど紅茶を淹れようと思っていた所なんだ」
その少女ははにかんだ笑みを見せると、ちらりとユリウスの方を盗み見た。
一瞬だけ二人の視線が絡み合う。
「ウィリアムさま、まだお休みにはなられないのですか?」
「もう少しだけな。 こんな遅くまで悪かったね。 君はもう休みなさい」
「ありがとうございます、皆さまも無理をなさいませんよう」
そう言うと少女は、もう一度深くお辞儀をしてから天文観測室を後にした。
三人はテーブルに着き、少女の淹れてくれた紅茶で一息つく事にする。
何故かウィリアムは、にやにやとユリウスの顔色を伺っていた。
「どうだユリウス? 今の娘さんは」
「どうだ、とは…… どう言う意味ですか?」
「あの子はもうすぐ14歳になる。 花嫁修行のために修道院に来ている貴族のご令嬢だ。 賢くて気立てもいいし、あの通りの可愛らしい娘さんだ」
「仰っている意味がよく分かりませんが」
「あんなお嬢さんを、嫁に迎えてはどうだね? よければ私から口を利いてみようか」
ユリウスは、ちょうど口に含みかけた紅茶を思わず吹き出してしまった。
「ちょっと待って下さい! 結婚なんて…… まだ私は」
「なるほどな! あの娘の妙な態度はそう言う事か」
得心がいったかのようにミュラーが膝を叩いた。
「あの娘はたぶんお前に気があるぞ! 悪くないんじゃないか? 育ちも良さそうだし」
「待って下さいよ、ミュラー師まで!」
「お前は一日中研究室に籠っていて出会いがないだろう? 今はいいかも知れんが、歳を食ったら独り身はキツいぞ!」
そう言うウィリアムとミュラーは共に妻帯者である。 ミュラーにいたっては何人かの孫もいて、つい先日も錬金術の才能があると言う七歳の孫娘の自慢話を聞かされたばかりだった。
「まだいいですよ、私は…… そんな事よりミュラー師、先日言ってたアレはどうなりましたか?」
「何じゃ? アレって」
ユリウスは、そう口にしてから思考を総動員して記憶を掘り起こす。
「アレですよ…… 先日言ってましたよね? 確か、えぇっと、外国の商人からどこかの遺跡の神殿に祀られていた御神体を引き取ったとか何とか……」
「おう、それか! 実は鑑定が出来る考古学者を紹介して欲しいと依頼されたんじゃがな、面倒だからワシが言い値で買い取る事にしたんじゃ」
話題を逸らすための方便だと気付いていたかも知れないが、敢えてミュラーはそれに乗ってくれた。 もしかしたら、ずっと自慢する機会を窺っていたのかも知れない。
「ちょうど良かった! ワシはアレを、数万年前に降って来た巨大な隕石の欠片だと確信しておるのだ」
「ほう、それは興味深いな」
そんな事を言われては、ウィリアムも黙ってはいられない。
「それはどこの遺跡にあったモノなんですか?」
「うむ、ヴェルトラウム大陸からだいぶ南の洋上に円環状に群島が集まっとる場所があるじゃろ?」
「あぁ、聞いた事があるな。 確かクライス諸島だったか?」
「そこには元々、古代の遺跡が多いんじゃが何ぶん僻地すぎて調査もままならない状況なのじゃ」
「確かに…… 船で行くにしろ大きな陸地が無ければ長期の調査はおろか、目的地を探すのも困難だろう」
「【飛翔】の魔法でも、三日三晩は飛び続けなければいけないでしょうね」
「そんな訳で手付かずの遺跡だった場所にな、遭難して偶然辿り着いた商人がいたんじゃ」
「へぇ〜 それはますます興味深い」
いつしか男たちは、心労や深夜の疲労も忘れ議論に夢中になっていた。
こうしてまた三人の賢者たちと天体観測室の夜は更けていくのだった……
今後の更新は不定期になるかと思います。
気長に付き合って頂けたら幸いです。




