38 〜 ささやかな贈り物〜
──────前回までのあらすじ─────
冒険者の最終試験を無事に合格したユリウス、メナス、フィオナたち一行。 ギルドマスターとメナスの真剣での訓練試合は、マスターの勝利で幕を閉じた。 そして、新たに仲間となったルシオラのもとに賢者ユリウスが訪れて……
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※主人公ユリウスは、故あって偽名シンを名乗っております。 地の文がユリウス、会話がシンなどという状況が頻繁に現れます。 混乱させて恐縮ですが【ユリウス=(イコール)シン】という事でよろしくお願いします。
差し伸べられた手の平を見つめ、ルシオラはただただ戸惑っていた。
「え? 今からですか…… どこへ……? でも私、こんな格好……」
彼女は薄い木綿の夜着一枚の姿だった。
(大丈夫。 これから行くところに人は居ない)
「でも……」
ルシオラは差し伸べられた手の平を見た。 それはユリウスの左の手の平だった。
「……」
(さぁ、怖がらないで…… 私を信じて)
ルシオラは意を決しその左手を取った。 彼女が立ち上がると、ユリウスはドアの方へ振り向き右手に持つ杖を掲げた。
(【転移門】よ開け!)
室内の中ほどの何もない空間に闇のように黒い円形の窓がぽっかりと開いた。 暗い室内でもはっきりと見る事の出来る異質な『黒』だ。
空間転移呪文【転移門】──
ルシオラも知識としては知っていたが、見るのはもちろん初めてだった。 確かヴェルトラウム大陸でも使える者は5人といない、と聞いた事がある。 三賢人でも使えるのはユリウスだけだった筈だ。
やはりこの人物は三賢人のひとり、大魔導師のユリウス・ハインリヒ・クラプロスなのだ。
(さぁ行こう)
彼がそう言うと、まず従者のような小柄な人影がその『闇』に吸い込まれていった。
ユリウスが無言でルシオラを促す。 恐怖はなかった。 ルシオラは、その円形の黒い窓に向かってゆっくりと進んでいった。
【転移門】の向こう側はまた暗闇だった。
ここはどこだろう? 夜だから暗いのか、それとも──
ルシオラに続いて【転移門】をくぐってきたユリウスが背後で呟いた。
(【永続する光】!)
ユリウスの杖の先端が眩く輝き出す。 どうやらここは、どこかの洞窟内のようだった。 ルシオラは反射的に両腕で自分の胸を抱いた。 薄布越しに、豊かな胸が揺れる。
(寒くはない筈だ。 いま我々には、ありとあらゆる【防御】魔法がかかっている)
「ありと…… あらゆる?」
(そうだ。 大切なお客様に傷ひとつ付けられては困るからな)
(もしここに伝説の【古竜】がいても、君はなにも心配しなくていい)
それが冗談ではないのなら、とんでもない防御魔法がこの世に存在することになる。 そう言えば寒さはおろか、まるで室内のように快適ですらある。 突拍子もない話だが、三賢人の言葉となれば信じない訳にはいかなかった。
(ここが、どこだか分かるかね?)
そう聞いてルシオラは、改めて辺りを見回して見る。 しばらくして、その碧い瞳が驚きに見開かれた。
「こ…… ここは⁈」
(そうだ。 ザントシュタイン山脈の向こう側…… 今は帝国領内に取り込まれている【死の谷の洞窟】だ)
「【死の谷の洞窟】⁈」
それはシャウアが消息を絶ったという、あの洞窟だった。 山脈を迂回すれば数十kmは移動しなければならない距離を、一瞬にして越えてきたという実感が今さらながらに湧いてくる。 それにしてもユリウスは、こんな所に連れてきて一体どうしようと言うのか?
(こっちだ…… おいで)
ユリウスと小さな人影はルシオラに背を向け歩き出した。 その後を追うしかもはや彼女に選択肢はない。 しかし、そう歩く事もなく彼らは立ち止まった。
(……ここだ)
彼が指差したのは薄暗い脇道の奥、足元にぽっかり開いた、幅60cm、長さ8〜10mほどの地割れだった。
「こ…… ここって」
ルシオラの体が寒くもないのにぶるぶると震え出す。 そう、こここそがシャウアが滑落したという、まさにその地割れなのだ。
「なんで…… なんで私を…… こんな所に」
ルシオラは今にも泣き出しそうだった。
(君に贈り物がある)
そう言うと大魔導師は、傍らの小さな人影に手で合図を送った。 彼の従者だろうか、その人影は何もない空間に手をかざすと呪文を唱える。
(【亜空間収納】!)
すると彼の目の前に【転移門】に似た小さな黒い窓が現れた。 彼は恐れることなくそこに両手を入れて、ゆっくりと丁寧に壺のようなものを取り出した。
察するに亜空間に扉を開いてそこを倉庫の代わりに使う呪文なのだろう── しかし、そんな呪文の存在はギルド職員のルシオラでさえ寡聞にして聞いた事がなかった。
この魔法が一般化されれば、いやもちろん【転移門】もだが、世界の経済や流通がいっぺんにひっくり返ってしまうだろう。 その影響は想像もつかなかった。 と言うことは、あの従者のような少年(?)も相当な術者だと言うことになるのか。
その壺は白い陶器製で大きさは40cmくらい…… 見たところは普通の品物のようだった。 蓋が付いていて、紙を貼って封印が施されている。
(実は君の部屋にお邪魔する前、私たちはここへ来て、あるものを見つけこの中に収めておいた)
「……それは」
(落ち着いて聞いて欲しい…… いいかいルシオラ?」
はぁーっ…… はぁーっ…… はぁーっ……
(ルシオラ…… 落ち着くんだ)
ルシオラはびっしりと汗をかき、荒く小刻みな息を吐いていた。
(この中には、君の友人の亡き骸が収められている)
「あぁ……っ 神さまっ……!」
ルシオラは天に両手を掲げて泣き崩れた。
大魔導師は彼女が落ち着くのをゆっくりと待った。
ルシオラはひとしきりすすり泣いた後、ゆっくりと顔を上げた。 そして小柄な人影の持つ壺に向かって両手を差し伸ばす。 それを何故かユリウスが片手で制した。
ルシオラは涙でぐしょぐしょになった顔をゆっくりとユリウスに向ける。 そこには「何故?」という疑問の表情が刻まれていた。
(これから起こる事を誰にも言ってはいけない…… それは彼女すらも例外ではない)
そう言ってユリウスは人差し指を口に当てるジェスチャーをした。
「彼女…… すらも?」
(……あれを)
それは小柄な人影に向けたものだった。 彼は壺を丁寧に地面に置くとふたたび【亜空間収納】の呪文を唱えた。
(これから起こる事を、誰にも言ってはいけないよ)
大魔導師は、もう一度念を押すように呟いた。
しかし、従者によって取り出され手の平に載っていたそれを、ルシオラは見る事が出来なかった。 何かが手の平に載っている。 それは分かるのだが、それがどんな形か、どんな色か、どんな大きさかさえわからないのだ。
(すまないが、それにも【認識阻害】の呪文をかけさせてもらった)
ルシオラが大魔導師の方を向く。 やはり彼の顔を見る事は出来なかった。
「なぜ……?」
(それは【賢者の石】だ)
「……っ⁈ 賢者の石っ⁈ ほんとうにっ⁈」
(これは…… 知っていると思うが、途方もない力を秘めた【石】だ。 もっとも【石】というのは比喩に過ぎないのだが。 だからこれも君は見ない方がいい)
「賢者の石…… まさか、本当に存在するなんて……」
次から次へと起こる常識外れの出来事に、彼女の理解が追いつかない。
(さあ、始めてくれ)
(了解しました)
小柄な人影が初めて呪文以外の言葉を発した。 彼が何かをしたのか、【石】のあたりが微かに光を発しているような気がした。 もっともそれを見る事は出来なかったが。
ふと辺りを見回すと、いつの間にか洞窟内を蛍のように輝く光の球が無数に舞っているのに気が付いた。 それはただ、ふわふわと漂っているだけのようだったが、全ての光がゆっくりと壺の方に集まってくる。 やがてその光は地面に置かれた白磁の壺にまで広がり壺全体が眩い光を放ち始めた。
「いったい…… これは何を……」
ユリウスはそっと瞳を閉じ、そして2秒ほどしてまた開いた。
その光が、周囲数10kmからかき集められ肉眼で見えるほどに凝縮された超高密度の魔素である事をルシオラは知らない。
やがて壺の蓋が浮き上がったかと思うと、白くきめの細かい泡が吹き出して壺全体を覆い始める。
「これは…… これは何なの……」
(彼女にも真実を伝える必要はない。 彼女はおそらく2〜3日分の記憶を失っているだろう。 そしてそれは、私にとっても彼女自身にとっても都合がいい筈だ)
「まさか…… そんな…… まさか……」
後から後から泡は止めどなく溢れ続け、すっかりと壺を覆い隠してしまった。
(彼女には大怪我をしたため魔導師ユリウスが治療のために『時を止めていた』とでも伝えればいい。 彼女は当時のまま、14歳の姿のままで蘇るのだから……)
「嘘でしょ…… 嘘だと言って……!」
あり得ない─ そんな秘術は聞いた事もなかった。 伝説にある禁呪【死者蘇生】の呪文でさえ、死んだ直後の完全な遺体からしか蘇生は出来ない筈だ。
それを7年も前の── ましてや白骨死体からなどと⁈ それを可能にするのが【賢者の石】の力だと言うのか……
カシャン……!
その時、壺が割れて崩れ落ちる音がした。 白い泡が蒸発するように急激に萎んでいく。
(どうやら成功したようだ)
白い泡の溶けて弾けて消えてゆく中から、少女の白い裸身がするりと現れた。
「あぁーっ……! あぁーっ…… あぁーっ!」
ルシオラは両手で顔を覆って叫び声を上げる。
緩やかなウェーブのかかった金髪の巻き毛、まだそばかすの残るあどけない丸顔…… 間違いない!
「シャウアッッ……‼︎」
ルシオラは少女に駆け寄り抱き起こした。 小さな胸に耳を当て鼓動を確かめる。
とくんっ…… とくんっ…… とくんっ……
(幸か不幸か、その少女は天涯孤独だそうだね…… これからは孤児として君の家族へ迎え入れてはどうかと思う)
長い睫毛が微かに震え、少女がゆっくりと瞳を開いた。 ルシオラと同じ美しい碧い瞳だった。 これなら姉妹と言っても差し支えないかも知れない。
ルシオラは恐る恐る口を開いた。
「シャウア…… わかる……? ……私よ」
喜びよりも、むしろ戸惑いと焦燥を感じさせる掠れてしわがれた声だった。
少女の瞳がまだ暗闇に慣れないのか焦点が合わないのかきょろきょろと泳いだ。 やがて瞳に光が宿り、声の主を見つけた。
「ルシオラ…… お姉ちゃん?」
「そうよっ…… 私よっ!」
「あれ、ここは……? なんで私、裸なの……? お姉ちゃんは何で──」
その言葉の続きは、泣き叫ぶルシオラにきつく抱きしめられ、かき消されてしまった。
ようやく晴れて冒険者になれたユリウスたち。 そしてユリウスには、早くも大切な仲間たちとの絆が芽生え始めていた。 ユリウスは、賢者としてルシオラに贈り物をした。 その裏側では【賢者の石】の中でひとつの、ある出会いが待ち受けていたのだった……
─────次回予告─────
第39話 〜事象の地平で存在の唄を唄う者〜
乞う御期待!




