第五話:炎こそ最大の天恵なり
エンサ王子が拠点造りと保存食づくりを始めると言い出してから、かなりの時間が経過してしまった。彼曰く、木を切ることが苦痛であると音を上げることはなく、黙々と伐採をしていっているようだった。ただ、一本の木を伐り倒したら、長時間の休憩をしている様子。それを保存食づくりを試行錯誤しながら作業に取り組んでいるコトやポチはじっと見ていた。
「王子は真面目であるようだ。体力のなさにはほとほと呆れるがな」
「でも、王子は頑張っているよ。私、大工の仕事をしたことないから尊敬できるなぁ」
そうして、エンサの評価を少しばかり上げてみれば、彼は疲れているはずの体に鞭を打ち、どうにかこうにか次の木へと刃を入れていくのだった。どうも、褒めてあげれば頑張れる体質。であるならば、面倒かもしれないが、もっと褒めてやれとポチはコトに指示を出していた。
「お前が褒めてやれば、やるほど王子はやる気を出すだろう。吾輩は興味がないが、コトも王子も屋根付きの家が欲しいだろう?」
その言葉通りにコトは、最初は乗っていたのだが、段々と疲労度が増していっているエンサに心配をするようになった。この周辺には水が存在しないため、水分を多く含んだ果物を休憩中にそっと渡してみる。しかしながら、彼はその気持ちだけしか受け取らず、伐採を再開するのだった。
「王子、水分を取らないと」
「悪いが、それは要らない」
「どうして?」
「……それ、昨日食したのだが、どうも腹の調子が悪くてな……」
今現在、お腹を壊し中とのこと。だが、この果物はコトが口に含んでも何も起こらなかったものだ。水がある分、味はあまりないこれはエンサの体質にとってはあまりよろしくない食物のようである。
「それは煮沸して飲ませた方がいいかもな」
ポチは遠目で、その果物の煮汁を飲ませてやればいいと簡単に言っているが――火とはどのようにして手に入れる者だろうか。コトの頭の中にある知識は木の板に穴を空けて、その穴に木の棒を差し込み、ごりごりと回した摩擦熱での着火法である。そして、木の棒ならばすぐに見つかったとしても、木の板となると、ないのが現状だ。
どうしようか、と頭を悩ませる。
「ポチは口から火とか出さないよね?」
「どこのファンタジーの話をしているんだ」
流石の王狼であっても、火は吹けないらしい。それでは、何ができるのか。そのことをポチではなく、エンサが木を伐りながら教えてくれた。
「書物でなら見たことがある。王狼は人の言葉をしゃべるだけの生き物だ。ただの狼とあまり変わらない、どちらかというならば、普通の狼よりも大きいということだけ。彼らはちゃんとしたイヌ科の生物だよ」
「イヌ科なら、この木の棒を投げれば、しっぽ振って取ってきてくれるかな?」
「吾輩をペットとするな。いいか、二人と吾輩の関係はあくまでも共存という立ち位置なんだぞ。それなのにもかかわらず――ワンワンっ!」
投げられた木の棒。それを見たポチはしっぽを振り、楽しそうに追いかけていく。コトが投げたそれを口にくわえて拾ってきてから――。
「吾輩で遊ぶなっ!」
恥ずかしそうにするポチがいた。
「第一に、ご褒美も持っていないお前たちが……」
「ならば、肉をあげればやってくれるのか?」
「お前が伐採よりも俄然やる気を出しているのは気のせいか?」
エンサの目がきらきらと輝いている。彼にそのようなことが興味あるとは思いもよらず、ポチは戸惑いを見せていた。この不安そうな疑問にエンサは「そのようなことはない」とこちらも恥ずかしげに否定をしていて――鉈を持つ右手に隠れるようにしてある木の棒は何と説明をしたがいいのか……。そこまでは言及することはないポチ。「まあ、いい」とどこかへと移動しようとしていた。
「吾輩も人間も肉を食べなければ、力は出ないだろう。狩りをしてくるから、ここで作業をしておけ」
なんて言い残して、ポチは狩りに出かけるのだった。この場に残された二人は再び作業に戻った。エンサはまだまだ足りない木を切っていき、コトは様々な種類の食べられる果物を天日干しにしたりしてみて保存食の研究に勤しむ。彼女はしばらく無言で作業に没頭していたのだが、エンサの水分補給の件で気になることがあるために――。
「王子は火のおこし方知ってる?」
もしかしたら、自分の頭の中にある方法以外にエンサは知っているかもしれない。そう考えていた。幸い、死体が所持していた荷物の中に、小さな鍋がある。それの中に水を入れて、沸騰させて飲ませてあげたい。そんな思いもあった。
だからこそ、エンサに訊いてみれば――。
「着火石があれば何とかなるが……」
そのようなものはないのが事実。ともなれば、魔法ぐらいか。魔法で火を出せば、生活にあまり困ることはないはずだ。そう言う彼にコトは「王子は魔法が使えないんだよね」と再確認をした。確か、エンサの父親――モヒトツ王国の王は魔法を嫌っていた。そのため、軍に魔法戦士は誰一人としていなかったはず。あるいは、国では魔法使いすらもいなかったと言っていた。事実、彼は大きく頷いた。
「こういうときこそ、できれば患いなしなのだが……発見した死体に魔法石はなかったか?」
「うーん、魔法石自体見たことがないから何とも……」
コトは以前に改宗した死体のカバンを取り出してみて、中身を確認した。すると、中からは赤色に輝く綺麗な石が出てきたではないか。これだろうか、と片眉を上げていると、「それだ」そう、エンサが口にする。
「私も初めて見るのだが、なんと神々しい輝きをしているのだろか」
「それで、これでどうやって魔法を出すの?」
「知らない」
進展したかと思えば、停滞に終わる。どちらも魔法を使ったことがないため、どのようにしてするべきなのか全くわからないでいた。ああ、こんなときこそポチがいてくれさえいれば。思わずエンサは「肝心なときにはいないんだな」と少しばかり悪態をついていた。
「あの王狼は私たちよりも遥かに優れた知識を持っているはずなのに。こういうときに限っていなくなるのは困るな」
「でも、私たちと別れたわけではないし、すぐに戻ってくるよ」
そうコトがフォローしてからどれぐらいの時間が経っただろうか。明らかな夜。周囲は真っ暗。だが、何も見えないわけではない。発光する植物があるおかげで、多少は相手の顔を見ることができるようだ。二人は作業を中断して、ちびちびと試作した保存食を口にする。
「どうかな? なかなか日照時間がないから、あまりいい出来じゃないけど」
本来の天日干しならば、甘みが増すはず。ずっと前に、小さいころ、祖母から聞いた話。そのなんとなく頭に残っていた知識で作ってみた保存食なのだが――採れたての方が美味しいのは気のせいか。なんだか、自身がないからエンサの評価も怖い。
そんな不安であるが、エンサは「まずまずだな」と辛口評価をしなかった。
「確かに、ここは日照時間も少ない。私が木を伐っても、日の光は足りない。ここは峡谷だからな。周辺がそこまで湿気がないからこそ、まだましなのかもしれない。もっと、風通しが良い場所に干してみたらいいのかもしれない」
的確な分析に、コトはぶんぶんと首を縦に振っていた。
「じゃあ、どこがいいかな? 流石に木の上じゃ無理だし」
「王狼は木に登れたとて、長時間の不動は厳しいだろうな」
「そうかもね。どこならポチは動けずにいられるかな?」
「おい、吾輩がするという前提で話を進めるな」
いつの間にかこちらへと戻ってきていたポチは鼻の上にしわを刻ませていた。そして、二人に狩りの成果を見せるのだが――。
「ひえっ」
血が出ている動物の死体にドン引きするコト。あまりにも生々しいからなのだろう。一方でエンサは「ちょうどいい」と赤色の魔法石をポチに見せてみた。
「偶然にも死体が魔法石を持っていたようだ。王狼は使い方を知らないか?」
「……吾輩はただの魔物だ。人間のようにして、道具に頼らなければ、生きていけない哀れな種族ではないのでな。使い方は知らんぞ」
「もう、回りくどいんだから。でも、そういうところのポチってかわいい!」
いきなりどうした。コトはポチの首に抱き着いた。これは、実際に彼女が小動物の死体を恐れて逃げるためでもあるようだ。それが事実のようにして、コトの体が震えているのだから。
だが、コトの行動にエンサとポチは気にすることもなく、魔法石の話題から変えようとしなかった。
「それならば、王狼は魔法石なしで魔法が使えるとでも言っているようだぞ」
「魔法など使えん。だが、それに頼るほどの脆弱な種でもないがな」
ポチも魔法も魔法石の扱い方を知らないともなれば、火をおこしことはとても困難を極めた。周辺には着火石もない。それらしき道具もない。そこにある調達してきた食材たちもどのようにして調理すればいいのか頭を悩ませるばかりだ。どうにかして、生き延びるためには野草や果物だけでなく、肉などのたんぱく質を採らなければならないとわかっていたとしても、生肉だけは避けたかった。それは倫理としてなのか、それとも――。
「困ったな、これじゃあ肉が焼けないぞ。また私はお腹を壊してしまうのか」
「軽々しくお腹を壊すだけで済まされるほど、人間にとって生肉は安易な食材じゃないと思うけどな」
ポチはため息をつきながらも、一匹の小動物を生のまま食べ始めた。これにコトはドン引き。すぐさま、エンサの後ろに隠れるようにして、逃げた。骨を砕く音を立てながらも「死体は着火石を持っていなかったしな」と火のおこし方を考えてはくれているようだった。
「その死体は魔法使いであったことは確実なんだがな。こいつもこいつで、やはり魔法に頼らなければならないのか。弱いな」
「だが、便利ではあるだろう」
「もっともな話だな。だとしても、実際のお前たちはさぞかし不便だろう? ここに火もない、寝床もない、食料は常に自生している木の実のみ。どうだ? 力があると誇示する人間が吾輩たち魔物の土地を奪った上、こんな不便だらけの場所で生きなければならない者たちの気持ちがわかったか?」
「あれ? ポチは仲間に追放されたって言っていなかったっけ?」
話に横入りしてくるコトに「ちょっと」とポチがたじろぐ。
「関係ないから、その話。少しだけでもいいから、黙っていてくれる? 今、王子と真剣な話をしているからさ」
どうにかコトを黙らせたポチは、残り一本となった骨を大事そうに舐めながら「それが国の主となるはずだったお前の結末のようだ」と嘲笑した。言われ放題のエンサはただひたすらにポチの話に耳を傾けていた。その神妙な面持ちで何を考えているのか。虚勢か、それとも後悔か。どのみち、彼が当事者ではないことは確実だ。恨むのであれば、そのようなことをした自分自身の先祖を呪うがいい。
少しばかり、対立してみて面白くなってきた。ポチはそう思っていたのだが――。
「王子、寝ちゃった?」
なんと、エンサは目を開けたまま眠っているらしい。これにはカッコつけていたポチは恥ずかしく思う。なんだよ、寝ていたなら寝ていたと言えよ。起きていられないほど眠いなら、目を瞑ってうつらうつらとしていて欲しい。ああ、恥かいた! というか、コトだけというのがこれまた恥ずかしい!
ポチは恥ずかしそうに前足で顔を隠しつつも、眠っているエンサの手の平にある赤色の魔法石に視線をやった。そして、次にその視線をコトに向けるのだった。
「コト」
「へ?」