プロローグ:置き去りの箱
『見知らぬ森』、そうコトは名付けていた。その理由は、彼女自身が現在地を把握できないからである。茶色かかったぼさぼさの長い髪、泥などで汚れてボロボロとなった服を着用している彼女はどこからどう見ても放浪者のように思える。そんな彼女と共に日当たりの悪い、暗い森の中を歩くのは一匹の白い狼。名前はポチ。コトがそう呼称していた。
この一人と一匹が、向かう先は――。
「本当に、こっちなの? ポチ」
真ん丸な目を大きく見開かせながら、ポチの後を追うコト。ポチは横目で「ああ」と人間の言葉を話していた。意思疎通ができるからこそ、彼らは共に行動できているのである。
「見たことのない、箱ねぇ」
ポチが言うには、森の中で見知らぬ箱を見かけたのだという。においを嗅げば、人間のにおいだとか……。まさかとは思う。その箱は人が入るにはどこか小さ過ぎて、開けてみれば――怖い。正直な話、確認しに行ってみようなんて言うんじゃなかった。今さらながら、コトは後悔をしていた。怖いのは苦手だ。でも、好奇心はある。何が入っているのか。まだ、生きている人間であれば、いいのだが。
不安と期待を胸に抱きながらも、ポチに案内されたところにはあった。箱が。それも、思っていた以上に大きな箱が。大人が屈めば普通に入れそうな感じ。だが、窮屈ではあるはずだ。
「あれに人間が入っているようだ」
コトに開けろと申すポチに、彼女は顔を青ざめていた。そんなの無理、怖い。なぜに自分に話した? そして、自分はどうして確認しに行こうなどと口走ったのか。箱に近寄りたがらないコトを見て、ポチは「コトの意見を尊重してやっているんだぞ」と告げる。
「もしも、死んだ人間が入っているならば、腐臭がしているはずだ。だが、ここからでもわかるにおいは普通に生きた人間であると吾輩は断言するよ」
「生きている……?」
ポチは狼だ。それも、魔物の類となる王狼の種族。生物機能的には、イヌ科の動物と変わらないぐらいの嗅覚を持っている。だからこそ、コトはポチの言うことを信じて、箱に近寄った。ゆっくりと近寄っていると、少しだけ箱が揺れた気がする。間違いない、人が入っていそう!
「もしかして、出られないとか?」
そうとなれば、危険だ。コトは箱を開けようとするが――箱の蓋には釘が打たれており、彼女の力では開きそうになかった。どうすれば、開くのか。焦るようにして、周囲を見渡せば、そこにあるのは木の枝だけ。脆いものかどうかはさておき、てこの原理でどうにかなるだろうか。試しに隙間に木の枝を差し込んだ。すると、箱の中から人が叫ぶような声が聞こえてくるではないか。これにびっくりするコトとポチはフリーズした。
「助けを求めるような声じゃない気がする」
「で、でも、この箱を開けないと、出られないかもしれない」
どちらにせよ、箱の中からは開けられない状況であるには変わりない。コトはそれが正義だと自身の心に言い聞かせると、隙間に差し込んだ木の枝に力を込めた。折れそうで、なかなか折れない木の枝に感謝しつつ、箱は半分開いた。そこから顔を覗かせると、布が覆いかぶさっており、人の姿は隠れているようだった。だが、何かに怯えるようにして、動いてはいる。箱から出てこようとはしない。これは完全に開かないと、駄目なようだ。
「だ、大丈夫ですよー」
コトは布に隠れている人物に応援をしながら、ポチの力を借りながらも、箱を開けることに成功した。そして、覆いかぶさっていた布を取れば――。
目や口、耳を完全に塞がれ、なおかつ身動きが取れないように拘束をされた青年がいるのだった。彼は布を取られたことにより、激しく暴れようとする。
「なんだ、こいつは!?」
思わぬ現状にポチも戸惑うばかり。この状況にコトは――。