活動記録 ④ アグリッパ!!
「き、君! ハインリヒ・コルネウス・アグリッパ知ってるの?!」
この女子の声も聞いたことがあるような……
「あれだろ? 確か……中世ヨーロッパでオカルティズムの巨匠と呼ばれた魔術師」
「そう!! オカルト好きなの?!」
その女子は、鼻息を蒸気機関車のようにふんす、ふんすと吹き出し、とても興奮した様子で近寄ってきた。
薄ピンクをショートとロングの中間の長さにした髪型に、くりっと見開いた目。
低い身長の割に豊満な胸、すらりと伸びた白い手足。
この高校のブレザーの下に薄灰色のパーカーを着こなしている。
だが、その姿を見た記憶は無かった。
「オカルトは義務教育だよね!! 何が好きなの?!」
興奮しすぎて早口になる少女。
どんどん顔と顔の距離が近くなっていくにつれ、俺はどこに目をやればいいのか分からなくなった。
「お、多すぎて選びきれないかな。強いて言うならジョン・タイター」
ジョンタイターとは、俺が生まれる前、2000年にアメリカのネット掲示板を騒がせた自称タイムトラベラーのことだ。
ジョンタイターは、2036年から来たと主張し、その未来に関する情報や、タイムトラベルの理論、さらには未来人である証拠までも提示していった。
パラレルワールドもジョンタイターに関係が深い分野の一つで、俺はこの人の資料をいくつも読み漁っていた。
「ジョン・タイターいいよね! タイターが付け加えたエベレットの多世界解釈も私、大好きだや!」
タイターが付け加えたエベレットの多世界解釈とは。
要するに、無限にパラレルワールドが存在する可能性がある、といった解釈だ。
俺は今もこのエベレットの多世界解釈についてネットを読み漁っている。
しかし難しいんだなこれが。
少女はギンギンに輝かせた目で、うんうんと首を縦に振っている。
髪からした若干のシャンプーの匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
──ん、ちょっと待った、だや?
き、気のせいだよな!
言い間違いなんて、誰にでもある!
そんなことよりも、気になることがある。
「なあ、それよりもお前、どこかで会ったことないか?」
「おっと、蓮選手! いきなり相手選手にアタックです!」
「お静かに」
佐野の遠方射撃は、軽く受け流した。
「えっ?! 何?! 合言葉?!」
「ち、違う! なんか声を聞いた事があるなぁって思ったんだよ」
「そういえば私も…………って、ごめん!」
やっと顔と顔の距離が数十センチになっていたことに気付いたのか、少女は後ろに飛び跳ねた。
オカルトのことになると、熱が入りすぎて周りがほとんど見えなくなるタイプなのかもしれない。
「あ、結衣ちゃんじゃん、おっすー」
グループの中1人、制服を着崩したチャラい雰囲気の男子生徒が、食堂の入り口に向かって手を振った。
俺はつられて、その方向を見た。
「あっ!」
艶めく、腰まで伸びた黒髪。
綺麗で整った美のつきそうな女の顔のくせに、どこか不機嫌そうで石のような固い表情をしている。
朝、俺が階段から落ちそうになったところを助けてくれた人だった。
「え? 君、柳生先輩知ってるの?」
うーん、柳生? ……柳生……柳生!
「柳生……思い出した! 2人とも昨日、放課後に化け物退治してただろ!」
オカルト女子は手のひらに拳を打ち付けて、納得の声を漏らした。
「昨日の人か! なるほど! あ、あの時はありがとう……!」
「こちらこそ助けてくれてありがとうな」
「うん! ……でも、まだスッキリしないんだよね。昨日会ったのが初めてじゃないと言うかなんというか……」
オカルト女子は眉をひそめて考え込むような仕草を見せた。
「そ、そう?」
昨日以外は会っていないはずだけど……?
「というか、思い出すも何も、私も君も名前知らなかったね!私は月城 奏、よろしく!」
月城は手を差し伸べてきたので、それに応じて俺も手を差し伸べた。
「俺は四月一日 蓮だ、よろしく」
「またぬき?」
そう、これ。
初対面の人に絶対言われるセリフだ。
別に嫌ではないけれど、飽きていた俺は、適当に流してしまった。
「わたぬきな」
悪印象だっただろうか……?
「わたぬき……うーん……ごめん。やっぱり思い出せないや」
「無理して思い出そうとすると出てこないよな。俺もよくある」
柳生先輩と呼ばれた黒髪の人がグループ5人と2、3言話しているのを振り返って見ると、月城は言った。
「あ、私もう行くね!」
柳生先輩を加えて7人になったグループは食器を片付け、食堂から次々に出て行った。
「やべ、カレー冷めたわ」
俺は急いでカレーを口にかき込んだ。
「またぬきくん!」
月城の声で呼ばれ、俺はカレーを口に含んだまま振り返ると、彼女はグッドサインを俺に向けていた。
「部活、辞めたでしょ!」
「えっ」
なんで知ってるんだよ。
というか、まだまたぬきなのね。
「入る部活決まってなかったら、お祓い部に入……見に来てくれるだけでも嬉しい!」
それだけ言い残し、前の6人の所へ駆けて行った。
見ず知らずの男と握手したり、フェイストゥフェイスの蘇生術が出来そうなくらい近くまで顔の距離に気が付かないとか、なかなか活発な女子だった……
……お祓い部、か。
オカルト大好きな俺にとって、大変興味深い部活だ。
「なぁ佐野……」
「テニス部のこと、忘れるなよ? ただ、見学くらいならいいんじゃないか?」
スマホゲームをしている佐野は目も上げずに言った。
確かに、他に入る部活も決まっていないし、見学だけでも行ってみるとするか。
柳生先輩にもお礼言わなければいけないし。
#####
──放課後。
「蓮、オカルト部行くんだっけか?」
リュックサックに教科書を入れながら、佐野が聞いてきた。
「お祓い部な! ちょっとだけだ。お前はどうする?」
佐野は俺に新品のテニスラケットを見せた。
「これで打ちたいんで、遠慮しときまーす」
確か……昨日発売した、最新モデル。
テニスとはもう疎遠になった俺でも、それくらいは知っていた。
「買ったのか? それ」
「もちろん。蓮がいなくなった分の埋め合わせだ!」
なぜ新品のラケットを買うと俺の埋め合わせになるのか……
「それはどういうことだよ……」
「は?」
佐野はマジで? と唖然とした顔で俺を見つめた。
「テ、テニスを使ってスポーツ特待生として入学した俺らは、高校で出会って、意気投合してテニス部に入部したよな……?」
「うむ」
俺は余計なことを言わずにただ肯定した。
今何か言ったら、言葉の猛攻撃を受けそうだったからだ。
こいつは今、そんな顔をしている。
「それで、新入生がどれくらい上手いかって、最初に部内戦したじゃん?!」
「あー、うん」
「俺ら先輩達から1と2番手をそれぞれ奪って、これから大会頑張ろうなって言ったじゃん?!」
「おう」
「おうって……なのに、お前勝手に退部しちゃったじゃん?!」
なんなのお前?! と佐野は身をくねくねとよじらせる。
「寂しい?」
ちょっと乙女チックに言ってみた。
「そうじゃねーよ!!」
「ツンデレ目覚めちゃった?」
もう一度。
「ちげーよ!!」
もう、佐野ったら可愛いんだから!
「ほら、部活遅れるぞ」
「言われなくてもっ!」
佐野は半分呆れ、半分焦った顔でラケットをケースに仕舞い、リュックサックを背負って教室から出ていった。
──と思ったら、息を切らして戻ってきた。
「どうしたんだ?」
佐野は俺を指差した。
「言い忘れたけど、テニス部は全力でお前をテニス部に引き戻すつもりだぞ!」
「マジ?」
「大マジ。例えお前がオカルト部に入った後、引っこ抜かれようと、俺はただ傍観させて貰うぞ!」
「そのときは助けてよー、佐野」
俺の声は、教室を急いで飛び出して行った佐野の背中、にすら届かなかったようだ。
というか、俺まだあの部活に入ると決めたわけではないんだけどな……
さてさて、俺もオカルト部……じゃなかった、お祓い部を見学させて貰うとす──
「おぶっ!」
瞬間、左脇腹に鋭く重い痛みが走った。
振り返ると、不気味な笑顔を浮かべた陽子が立っている。
「よ、陽子……さん?」
能面のような深い笑み。
思わず、背中に悪寒が走って顔が引きつった。
「……ジュースは?」
陽子は俺を串刺しにしたと思われる左の手刀を再度、振り上げた。
──中学2年の時……だった気がするが、その時既に空手道で黒帯レベルと言われていた女だ。
彼女のそれは鋭利な刃物を思わせる、妙な美しさを放っていた。
多分コンクリートくらいなら、イケるだろう。
あっ、俺、死ぬかも。
「ま、待て待て! ジュースな! ジュースだよな?!」
「ふむ、分かればよろしいんじゃよ」
陽子は腕を組んで仙人のように頷いた。
「どこのジジイだよ」
「蓮の20年後」
今度は、悪戯っぽい笑顔で言った。
昔からよく思っていたが、陽子の笑顔は絵に描いたように綺麗だ。
多分、2、3人はこれで落とせるだろうな。
俺は、陽子は幼馴染だから、惚れるというよりも尊敬の意の方が優っている。
……いや、待て。
「俺そんなに老けて見える?」
「…………」
陽子は俺の顔を、ぽっかりと口を開けて見つめた。
まるで、今まで気が付いていなかったの?
と言わんばかりに。
「おい」
「冗談よっ。早く奢ってー!」
陽子はふふっと笑いながら教室を出て行った。
「あれが奢ってもらう人の態度かよ……」
俺はリュックサックを机の上に置き、軽い財布だけ取り出して、渋々と陽子の後を追った。
俺はいつになったらお祓い部の見学ができるのか……