活動記録 ③ 食堂の悲劇
「蓮、どうした? 食べないのか?」
……はっ。
「……やべ、寝てた」
俺は朝食を食べるためのフォークを握ったまま、うたた寝をしていたようだ。
なぜなら、昨夜寝られなかったから。
コーヒーカップと共に手にしている新聞の上から、その細い目で覗き、俺の兄四月一日 慧は言う。
「お前がうたた寝なんて珍しいな。眠れなかったのか?」
「いや、別に」
俺は目玉焼きを口へ放り込む。
「そうか。ならいいが、あまり頑張り過ぎずに適度に休憩しろよ? 何をするにしてもな…………行ってくる。ごちそうさまでした」
「分かった。いってらっさーい」
慧兄を見送ると、数秒後にキッチンの奥から気だるそうに俺の姉、凛がよぼよぼと出てきた。
「……うぅ……う」
長い茶髪を前髪から全部垂らし、ゾンビのように歩くその姿はまさに化け物だった。
また飲みすぎたんだな……
「凛姉、飲み過ぎじゃない?」
凛姉にぎろりと睨まれる。
水の入ったコップをテーブルに叩きつけ、どっかりと椅子に座り込んだ。
「うっさい……酒のせいだけじゃないのよ、今回は……」
あー、またフラれたんだな。
こうなってしまった姉は何よりも面倒くさくなる。
話しかけられる前に逃げなければ!!
俺はサラダを口に押し込み、リビングを後にしようと扉に手をかけた。
その瞬間、扉が思い切り開いた。
「わっ!! デジャヴだっ!」
「わっ、びっくりしたぁ。蓮兄、驚かさないでよ」
目を擦りながらパジャマ姿でリビングに現れたのは俺の妹、蘭。
しかしそんなことは今はどうでもいい!
今はお前を囮にさせてもらうぞ!
なんて思いながら、歯磨きをして家を飛び出した。
──俺は登校する時、必ずとある小道を通るようにしている。
俺の家は、町を見下ろすことのできる丘の上にあるのだが、学校は下の平地に建っている。
それで、最初は大きく遠回りをしてしまう坂道を下っていた。
しかし先週、その坂に沿って建つ家々の路地の先に、近道のできる長い階段を発見した。
多少急で、人1人分の幅しかなく、手すりも錆びている。
しかし、家で景色が阻まれる坂道と違い、下の町を一望できるので俺はとても気に入っている。
毎日ほとんど人が通る事がなく、静かだった。
──俺は階段の下に広がる町を見下ろした。
なだらかな山々と海に囲まれた町。
田舎と言われるとそれとは遠いが、都会とも言い切れない普通の町。
大型アウトレットモールはあるし、駅だって新幹線は止まらないが、大体の電車は止まる。
毎日こうやって、町を見下ろすのが俺の日課になっていた。
「ちょっと、どいてもらえる?」
突如後ろからかけられた、どこか聞いたことのある女の声に驚いて俺は階段から落ちそうになった。
「わっ! あわわわわわわっ」
がっ、とリュックサックを掴まれて後ろに引かれると、階段に尻餅をつくことができた。
危なかった……
「あ、ありがとう……って」
俺が礼を言う前に、その女は長い黒髪を風になびかせ、階段をスタスタと降りて行ってしまった。
「……ん?」
あの声、どこかで聞いたような……
制服も俺と同じ高校のやつだし、バッグに付いていた馬のキーホルダーを頼りに後で探してみるかな……
#######
教室のドアを開ける。
自分の席に座ると、真面目なことにノートに何か書き込んでいる真剣な眼差しの佐野がいた。
「おはよ。朝から勉強なんて偉いなぁ」
「宿題やるの忘れたんだよぉ……」
佐野は震える声で手を動かしている。
「あ、おつかれっす! 頑張ってください!」
俺はリュックサックの中からやり終えた宿題を取り出し、佐野の前で8の字を描くように見せびらかしてやった。
「は、り、た、お、す、ぞ?」
佐野がにこやかな殺意を向けてきたので、さすがにそれは止めてやった。
「それより蓮、お前……」
佐野が何か言おうとしていた時、俺は肩を叩かれた。
振り向くと、幼稚園からの幼馴染の出雲陽子が俺を鬼のような目で睨みつけていた。
最近、ポニーテールにハマったとか言っていた陽子。
そのブラウンの髪を伸ばしているとかなんとかで、長さは胸の位置まで来るほどまで伸ばし、昔から陽子のことを知っていふ俺にとっては、ギャップを感じるものだった。
「えっ、どしたの陽子」
「うへへ、どしたの? ……じゃないわよっ! 昨日の小テスト!」
「うへへ、なんて言ってないんだけど?! 小テスト? ……………あっ」
そういえば、昨日返された小テストの結果で勝負をしていた。
それで俺が2点差で負けたので、帰りにジュースを奢る話だったような。
陽子も補修を受けていたので、退部届を出しに行くから、と校門で待たせたままだった。
「女子待たせたままで帰ってるとかマジで最低!」
相変わらず沸点の低い(マジギレではないと思うけど)女の子だこと……
まあ俺のせいなんだけど。
「ジュースくらいでなんだよ……分かった、今日奢るから」
俺はため息をついて面倒くさそうに答えた。
「やった!」
「朝からお熱いですなぁ」
ノートから顔を上げずに佐野が茶化す。
「「うっさい!」」
ハモってしまった。
その余波で謎の沈黙が教室中に広がった。
恥ずかしい……
陽子なんて、顔を沸騰させて湯気が立っているようで、体を震わせている。
しかしそこで、タイミングを計ったかのように、千間台先生が入ってきてくれたので、俺は素早く自分の席につくことができた。
ナイスです先生!
珍しく、ゆるふわなミディアムヘアーを1つに纏めた千間台先生。
彼女は教卓の前に立つと、教室の喪に服したような雰囲気に眉をひそめた。
「な、何かあったの? ……ま、いいや、ホームルーム始めるよ」
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「あー、背中痛い……」
チャイムがお昼を告げるとすぐに、佐野が俺の所へ伸びをしながら来た。
「れーん、昼食おうぜ」
そういえば今日は……
「佐野、今日弁当持ってきた?」
「いや持ってきていないけど、それがどうした?」
「今日、食堂に新メニューが出るらしいぞ」
俺は自慢げに言ってやった。
詳細は知らなかったけど。
「マジ? なら混むかもしれないじゃん。早く行こうぜ」
俺たちはポケットにお金を突っ込んで、食堂に向かった。
──食堂はガラガラに空いていた。
教室4つ分ほどの広さの、比較的新しめな内装。
確か、俺たちの学年が入学する前の年に改装工事が入ったとかなんとか。
新メニューがあるにしても、そして内装がこんなに新しいのにも関わらず、食事をしているのは6人の男女のグループと、他に2、3人が孤独にそれぞれいるだけ。
6人のグループは一瞬見ただけだが、学年がバラバラで、特に騒がしくする様子もなく稀に雑談をする程度だった。
「なんでこんなに人いないんだ……」
俺の開いた口が塞がらなかった。
新メニューだぞ?!
佐野が呆れ顔で俺を見てくる。
「新メニュー、本当に今日なのか?」
止めてください! そんな目をしないでっ!
「分からん! さっぱり分からん! ……とりあえず食券機見てみるか」
食券機には確かに「特大新メニュー!」とシールの貼られた激甘麻婆豆腐がある。
「ほら、佐野! 新メニューあるじゃないか……ん?」
──激甘?
佐野は既に遠い目をして、ため息と共に言った。
「普通の、食おうぜ」
「……はい」
俺は定番のカレーを、佐野は唐揚げ定食を頼んだ。
席は良い場所がなかったので、6人グループの近くにはなったが、見通しの良い(校舎しか見えない)席を選んだ。
6人グループの会話が稀に聴こえて、目線が一瞬気になったが、それもすぐに無くなった。
「食堂のカレー初めて食ったけど、美味いな」
「唐揚げ定食も美味いぞ」
「あーんするか?」
「…………」
無視かよ。
そんな会話で場が静かになったところで、6人グループの会話が再び聞こえてきた。
「……の作戦……」
小さすぎて聞き取りづらかったが、確かに今そう言った。
盗み聞きは趣味じゃないが、陰謀論っぽいとどうしても気になってしまった。
作戦?
「A班は5階から、B班は1階から。彼女はバックアップに回す。俺と桜井は情報班だ」
「「「「「了解」」」」」
う、うっわーー!
恥ずかしげもなく!
彼ら恥ずかしげも無く言ったぞ!
(盗み)聞いているこっちが恥ずかしくなってくる会話内容に、俺は食堂から早く出たい気持ちでいっぱいだった。
しかしその時、確かに俺は聞いた。
「合言葉決めようよ!」
グループの中の一人の女子が言った。
「えー」と嫌そうなその仲間たち。
「じゃあ……」
その嫌々を気にもせず、女子はうーんと唸る。
「ハインリヒ……コルネウス--」
俺はこの言葉に反応せざるを得なかった。
早押しクイズ番組の時の癖が未だに抜けていなかったのだ。
俺はピンポーン! ボタンを押したつもりでスプーンをテーブルに叩きつけ、思い切り立ち上がって、その女子の言葉の続きを叫んだ。
──叫んでしまった。
「アグリッパ!!」
全員の異質なものを見るような視線が俺に向いた。
前句を言った女子の目も例外ではなかったが、多少嬉しさのような輝きが混じっている気がした。
……
…………
…………
死にたい。
いや、まだだ、まだ助かる。
俺はスプーンを握り直し、何事もなかったかのように食事を再開した。
これなら、ただカレーが溢れそうになって焦った少年Aだ。
「……なにあの人、異常者だよ……」
ダメでした。