コッケイナコケ
「はぁ……」
カリンは大きなため息を吐いた。
「なんでこう、上手くいかないんですかねー。マイマスター、私は疲れてしまいました……」
そっとカリンは呟いた。地下実験室から出てきたばかりでは日の光が少し眩しい。
廊下を渡った先にある周りを方形に囲まれ、ぽっかり空いた中庭には白くて丸い小さなテーブルと二人分の椅子。カリンはてきぱきとお茶を入れ、それをすすっていた。
「まったりとした時間は癒されますね~♪」
その一見優雅にも見えるティーブレイクは、突然の叫び声によって遮られる。
「我が主よ…ついに、人の道を踏み外したな? この化け物め!」
キョロキョロとわざとらしく周りを見渡し声の主を探す。当然カリンは知っていた。この声が、中庭の片隅にある黒ずんだ苔から発せられていることを。
カリンの行動は苔の怒りを焚き付けるのに充分だった。
「殺してやる! 今すぐ死ね! 我が主よ、貴様が今生きていることが世界にとっての害悪なのだと知れ!」
カリンはやれやれと首をふった。この口の悪い雑草は、カリンが作った最初の実験台だった。静かなこの場所の賑やかしとして、カリヴァンと名付け、隅っこに放置していたら根付いてしまった。
「まったく、最近の雑草は口が悪いですねー。雑草の分際で、よくもまぁそんな大口を叩けるものです。あ、そうでしたそうでした、口なんてついて無いんでしたっけ? ぷーくすくす」
苔は簡単に挑発に乗る。なぜなら脳みそがないから。
「我が主よ、油断しない方がいいぞ? 今にお前の失敗作が、我が主の首を取りにやって来る。そうなったらたとえ我が主とて生きては入れまい」
「あり得ませんねー」
苔の言葉をカリンはふふんと鼻で笑った。
「あなたみたいな手も足もない出来損ないの減らず口しか取り柄のない雑草がいくら束になったって干し草になって牛にでも食べられちゃうのが落ちですよ。草生えますね、雑草だけに!」
「……死ね! 死んでしまえ!」
「言い返す言葉もありませんか? 流石は失敗作1号! 低脳ですね! 脳ないですもんねぇ……ふふッ……あっはは!」
笑いながらカリンは思った。もし、本当にこの雑草の言う通り、失敗作達が襲ってきたら? いやいや、仮にそうだとしても私に敵う相手ではない。マイマスターとの戦いの日々で充分に鍛えられているカリンは、そこらの英雄よりは強い自信もあった。
だが、もっと不味いもの、失敗作達をいとも容易く乗り越えてしまえるような冒険者、それこそマイマスタークラスの者が現れたとしたら……?
カリンは心の中でそれを否定した。
(マイマスター以上の存在なんてもう二度とこの世には現れませんよ。それこそ、私の実験が成功しない限りは……ね)
お茶を一口飲み、苔に向かって話し掛ける。
「カリヴァンさん、今度の子はすごいのですよ! なんと龍人にドライアードの魔素を入れ込んだら木になっちゃったんです! いやー、流石は人族ですね! もっとも、肝心の心が弾かれてしまいましたが……」
妖精というものは魔素に心が宿り、魂の形を持った物の事だ。魔法を動力として動いている機械たちに魂の形は見えないが、重要なのはそこではない。妖精の魔素を心あるものの中に強制的に植え付ける、そうすると、二つの心が反発し、脱け殻の器だけが残るのだ。この苔は、何も知らない時に、うっかり闇の妖精の魔素が花の種に流れ込んで心を芽生えさせた偶然の産物でもあった。
「我が主よ、そもそも間違っているのだ。死人の魂など、他の物に写せるはず無かろう」
一瞬、世界が止まったように感じた。カリンにとってその言葉は禁句だった。血走った目を向けて怒鳴り上げる。
「マイマスターは死んでおりません! まだ、このクリスタルの中で眠っておられるだけです! マイマスターの心の器を探しだし、目覚めさせる事こそが私、カリンの使命! あんまり適当な事を言ってると燃やしちゃいますよ? カリヴァンさん?」
流石に不味いと思ったのか、苔はあわてて頼み込んだ。
「やめてくれ、もう一度生えるのに三日はかかるのだ。我が主に復讐を果たすまで我は我が主を見張らなければならない」
「はぁ……そうですか……」
カリンは口の減らない雑草にもう一度大きなため息をついた。
気がつけば、すっかりお茶を飲み干してしまっている。そろそろ仕事を再開せねばならない。席を立ち上がりこう続ける。
「あなたの言う通り、私は間違っていたのかも知れませんね」
その言葉に苔は一瞬驚いたように揺れた。
「なんだ、我が主よ、いったいどういう風の吹き回しだというのだ」
「足らないのですよ。器が、マイマスターの心を宿すには些か小さすぎるのです。もっと沢山の器を集めないと……」
地図を広げ、その目的地を確かめる。
「丁度新入りも居ることですし、彼女はあなたと違ってお利口さんですからね、ここを攻め落としましょう」
彼女の指し示した場所は魔動人形工場だった。
「無いなら作っちゃえば良いんですよ、自分で、ねっ?」
苔は思った。
あぁ、我が主が全世界の生けるもの全てを器にするのも時間の問題だろう。そうなったら次にこの世を支配するのは……きっと我々のような草や苔でいい。それが平和と言うものだ。