第94話 無言の懺悔
「それじゃあ僕は行くから」
何とか料理を飲み込んだホムラと隣に座っていたテトと話を交えていたが、時間を気にしたノアは椅子から立ち上がる。今頃アリスがお腹を空かせて待っているだろうからだ。それに騎士達の視線が刺さり、ここは居心地があまり良くない。
するとテトが寂しそうに顔を傾ける。
「……もう、行くの?」
「うん、ごめんね、また来るから」
「……わかった」
テトはこくんと素直に頷く。案外あっさりしているなと思ったが次の瞬間、テトが抱きつき周りの視線を集める。しかしテトには悪いが引き留められる訳にはいかないのだ。
「いつだって会えるだろ?」
テトは引き留めようとしたわけではなかった。
テトは最後にぎゅっと腕に力を込めた後、名残惜しげな熱を残してするりと体を離す。そして耳をぴこぴこと鳴らして、にへらと笑った。
「頑張って」
ノアは、まな板の上で包丁をリズムよく鳴らし野菜を細かく刻む。アリスは口を開けばパンケーキと言うほどパンケーキが好きなのだが、そればかりだと大きくなれないため今日は野菜も多い料理にした。ノアの一日の流れは大体決まっており、朝と夕方にアリスの身の回りの世話をして昼ごろは騎士としての任務や部下の指導、そして夜中は鍛錬として技を磨くことに費やしている。目まぐるしいほど忙しいノアの日常。しかも最近になって、アリスが時々夜泣きをするようになった。前まで泣くことも出来なかったと思えばいい傾向なのだが、その度に急いでアリスのもとへ駆け寄って絵本を読み聞かせたりなど疲労は溜まる一方だった。
テトもそれがわかっていたからか、別れ際にノアを引き留めるような真似はしなかったのだろう。
「アリス、ご飯作ってきたよ」
料理が出来てアリスのもとへ運ぶには城から一旦外へ出て橋を渡り、塔の中の螺旋階段を上がらなければならない。そのため料理が冷めないように軽く走らなければならなかった。
「にぃ、おそい! 」
アリスは頰を膨らませ、プンプンと怒っている。アリスは本当に表情が柔らかくなっていた。顔には痣もかさぶたもなくなり、何処からどう見ても普通の女の子。栗色の髪を綺麗に伸ばし、妖精のように綺麗な顔立ち。その可愛さは一般的に見ればむしろ普通ではないほどだ。だがアリスは皿の上のものがパンケーキでは無い事を知って、その可愛らしい顔を機嫌を損ねたようにしかめる。
「え〜、パンケーキは〜?」
「同じものばっかりだと栄養が偏っちゃうから。パンケーキだけだと大きくなれないよ?」
「べつにいいもん!」
アリスは駄々をこねて手足を振り回し、行動で抗議を示す。それでもノアが箸で口元に運んでやると睨みながらも食べてはくれた。そして一口食べれば味に負けて自分から食べだし完食してしまう。アリスは素直で、子供らしい性格なため助かることが多かった。
「ご馳走様は?」
「ごちそうさま」
「よし。 じゃあお風呂に行こうか」
その言葉を聞いて、アリスはピタリと固まってしまった。
「…………やだ」
「でも昨日も…」
「やだ!」
初めて強く意識を示され、そのことにノアは怯んだ。アリスは毛布にくるまって身を丸めると世界から目を背けた。
「何かあったの?」
アリスはぎゅっと毛布を握りしめてうずくまる。
「………ばけものって、きもちわるいっていわれた」
「ッ!…」
それはノアが一番恐れていたことだった。
アリスは化け物として扱われていたし、ノアから見ても前のアリスの姿は痛々しいほど歪んでいた。そしていくらアリスが綺麗になったからと言ってその過去が変わるわけではない。
アリスは成長が早すぎたのだ。もともと年だけは重ねて精神年齢が追いついてなかっただけなのだが、アリスは急激に年相応の心を取り戻していった。今では言葉もきちんと話せるし怒ることだってできる。そしてそれは、傷つく心も取り戻しているということだ。
全てが早すぎたのだ。アリスが人として生きていくには周りに溶け込めるようになる必要がある。だからノアはアリスが生きていける環境を整えていた。だが、それが完成するよりも遥かに早く、アリスの自我が完成してしまったのだ。そして完成された自我は幼い少女の心。全員が言っているわけではないが、使用人やすれ違う騎士達の陰口が耳に入ったのだ。そう、化け物と。
それからはコソコソと話し合う声や視線が気になって仕方なくなり、それはアリスの心を傷つけるには十分すぎるものだった。アリスは外の世界が恐ろしくなってしまい、そのせいでアリスは夢にまで見るのか夜泣きをするようになってしまったのだ。
「……くそっ」
ノアは唇が血で滲むほど力強く噛む。ノアはアリスを化け物に変え、遊び半分に人間もどきを創り出しむやみに傷つけた。何度彼女を壊せば気がすむのか。
(これは僕の責任だ。 こうなることはわかっていたはずだ。 彼女を救うと誓ったのに、生半可な覚悟だった僕が悪い)
ノアは落ち着くように深呼吸をする。
そして険しい表情の上に優しい笑みを重ね、安心させるようにアリスを撫でてやる。
「ごめんね。……大丈夫、大丈夫だから。 僕が何とかするから」
ノアは昔使った桶を持ち出し、お湯を張って風呂を作った。水は食堂から借りれるようになり、井戸から凍った水を持ってくる必要は無くなったが、冷めないように異能で温め続けなければならない。だがそれは苦でも何でもない。
アリスが笑える世界になるまで無理やり出て行く必要はないのだ。
苦労もあって塔の中に完成した風呂。おかげで安心したアリスは、お湯の中に飛び込んだ。アリスはお風呂が大好きだったのだ。体をお湯で流し、髪を乾かしてやるとさっきの光景が嘘のようにアリスは上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「にぃ、いっしょねよ!」
「う〜ん、僕はやることがあるからなー」
「また!? なんで!」
いつも居なくなるノアに、むっとしたアリスはノアのお腹をぽかぽかと拳を押し付ける。ノアは少し考え込んだ後、アリスが寝ている側に居てやることにした。横にはならないノアにアリスはまたもやむっとするが、その怒った表情も夜になればまた一変し、ポロポロと涙をこぼしながらくしゃくしゃにして声をあげた。
「……ごめん……ごめん」
ノアはアリスが寝付くまでひたすら頭を撫でてやる。それはアリスを想ってのことではないかもしれない。罪悪感を消したいだけ。アリスをこうやって世話をしているのも所詮は自己満足のためかもしれない。それでもノアは心から謝罪の言葉を口にする。
しばらく撫でていると、アリスは穏やかな表情でスースーと寝息をたて始めた。
「にぃ、だいすき」
ぽつりと落とした寝言、その言葉が更にノアの罪悪感を産んだ。
「……ごめんね」




