第9話 旅立ちは最悪で
男は信じがたい事実に目を疑った。目の前にいるのはつい先ほど自分達が完膚なきまで潰した少年、ノアだ。惨敗した相手が堂々と自分の前にまた現れたこともだが、なにより男が驚いたのはノアがまるで別人になっていたことだ。それは髪や羽の色なんてちんけな問題なんかじゃない。雰囲気が、ノアが放つオーラがまるで変わっていたのだ。あの緊張と焦りで余裕なく逃げ回っていた少年の面影はない。顔をくしゃくしゃにして、泣いているような笑っているような、だが眼だけは捕食者のそれだった。
(なにが起こりやがった、見た目も口調も違うが確かにあのガキだ)
「俺を殺すだ?テメェごときが調子に乗んじゃっねぇ!」
男は考えても無駄と判断し目の前の標的、ノアを殺すことに集中する。男は風を操り自分の身体を持ち上げ宙に浮く。そのまま風を利用して男はノアに向かって一直線、喉を搔き切らんとばかりに鋭い刃で襲いかかった。
生き物は生まれつき持っている本能にしたがって生きる。警戒をする時に吠え、隠したいものを穴に埋め、尿で自分の存在を晒しめるなど誰に教わらずとも行える。またある生き物は親が海岸の砂の中に卵を埋め込むと、子供は産まれた時決まって海に戻り、自分も子供を産む時に同じ行動を取るという。
ノアのそれも本能と呼ぶのかもしれない。この眼が生まれた時からあるような感覚。なんとなくどうするべきか、なにができるかがわかる。
ーーー〈空間〉を掌握する眼ーーー
ノアは眼で完全に男の動きを捉えていた。今まで見えなかった透明な刃。それは鋭く回転する風のやいばだった。
風の流れなど普通は見えないはずが、ノアはそれさえ完璧に把握していた。何度も切りつけられた風の刃も相手を押し上げている風の向きも全てが見えた。
この眼は自分の周りの空間に存在する全てを視る。死角などなく、あらゆる方向を把握し、壁の裏や地面の砂粒の数、全ての情報を掌握することができる。
ノアはこちらに迫ってくる男の攻撃を前もって掴んでいた情報から予想して躱す。相手は躱されることを前提に風の刃を爪のような形に形成して攻撃範囲を伸ばしていた。だがノアはそれすら見越して大きく身体を捻って躱しきり、お返しに拳を叩きつけた。本来ならノアは見えたとしても男の今の一撃を避けきれなかっただろうし、拳も十分な威力ではいだろう。しかし今の相手はカナリアとの戦いで満身創痍の状態だ。右腕は無くなり角も折れている。動きも鈍く、今の一撃でも体の傷に響くほどだ。相手は疲労を感じさせないように振舞っているが薬に頼らないと立ち上がることも難しいほどに傷を負っている。
今の自分なら勝てる、そう確信しノアは目の前の何もない空間を引っ掻くように腕を動かした。すると次の瞬間、地面がまるで巨大な手で撫でられたようにへしゃげた。
「がぁぁあぁっ」
男はノアの攻撃を避けきれず両脚を地面と空間ごと削りとられる。痛みで声をあげるが男はまだ戦意は消えておらずノアに向かって睨みつける。
(なんなんだっ、あのガキ。こいつもさっきのメスガキと同じことができんのか⁉︎)
「クソがっ!この俺が、負けるはずがねぇぇぇぇ!!」
男の折れた角がミキミキと音をたてはじめる。残された左腕を突き上げて掌の上に巨大な竜巻を起こす。その風の塊は人1人を軽く呑み込む大きさでありながらかなりの密度もあり、作り出している男の腕も風の影響で削られていくほどの力、正真正銘最後の力だろう。
ノアは、その力を操っているとは思えないほど子供らしく笑っていた。最愛の少女の顔を思い浮かべながら、目の前の男を正面から叩き潰すことを選び腕を振るう。
「カナリア、仇はうつよ」
2人は雄叫びをあげぶつかり合う。
「「うぉぉぉぉぉぉお‼︎」」
超回転している風の塊と歪んだ空間が衝突し、一点の光と共に炸裂する。風の刃が無数に飛び回り次々に周りを切り裂いてゆき、爆風がノアを吹き飛ばした。
ーーーノアは吹き飛ばされ、森の奥の大木に身体がめりこんでいた。なんとかその木から身をよじり脱出すると地面に倒れこみ痛みにうめく。
身体はところどころ切り傷があり、白かった羽も暴風に巻き込まれ、赤く染まった羽は折れ曲がって骨が剥き出しになっている。ノアの傷をおった理由は、放っておけばのたれ死んだ相手に馬鹿正直に正面から相手をしたこと。だがなにより相手の力が予想以上に大きかったことだ。あの緑髪の男は攻撃するとき、相手に目で見えないようにするため威力を弱めていたのだ。だから先ほどの最大限の力で作りだした暴風の塊はノアの想定外の威力でノアの空間でも全て削りきれず中途半端に貰ってしまったのだ。
だが、痛みの理由はそれだけではなかった。
「眼が、つぅ」
ノアは眼を抑えてうずくまる。眼からは血が流れだし、眼の周りに脈をうっているような模様がでている。自分を乗っ取られるような痛み、眼の疼きに必死に堪え、数十分の間激痛と奮闘し痛みがやっと和らいでいった。その頃にはノアの眼は紅い光は消えておりカナリアと同じ透明な眼になっていた。ノアは息を荒げながら立ち上がろうとするがあることに気づく。
「羽が、治ってない?」
ノアの羽は未だに血が滲み出し羽ばたくことすらできない状態だった。今まで数秒あれば例え身体中穴だらけにされても治っていた身体だったのだが羽が数十分経った今でも治っていなかった。
(なぜ?不死身の力がなくなった?カナリアの力を貰ったから?)
この力にはずっと悩まされてきた。しかしこの力が無かったら自分はあの男達に殺されていたし、まずカナリアに会うことすら出来なかっただろう。その事に関してはすごく感謝はしていた。
(いや、再生能力は無くなってない、ゆっくりだが確かに再生している)
身体中のあちこちにあった沢山の切り傷は少しづつ無くなっていた。羽もよく見れば骨が剥き出しになっていたところに少しづつ肉が覆いだしている。
なぜ再生能力が落ちたのかはわからない。だが今殺されたら自分はおそらく死ぬ、人として当たり前なことだがノアにとっては初めての感覚。だがノアは恐怖を感じる事もなくその感情を塗りつぶし歩き始めた。
「先にあの男の様子を確かめないとね」
ノアは少し離れたところに男を発見した。
男は既に虫の息でノアが近づいても顔を上げる気力すら残っていないのか木にもたれかかったまま項垂れていた。
ノアは男を見下ろして目の前でしゃがみこみ純粋な質問をぶつける。
「ここに来た目的は?何を探している」
「あの女は死んだんだろ?、ザマァねぇn…」
次の瞬間ノアは男の頭をマスクごとトマトのように潰した。
ぐしゃりと何かを潰した感触、手足を切られても杭に縛られて燃やされても、10年間閉じ込められても怒りなんて感情は生まれなかった。人を殺したという事実、そんなのは関係ない。この男だけは一生分の怒りを込めて力を振るい、憎くて堪らない名前も顔も知らない相手の顔を再度砕いた。目的を聞くことが大事なのは頭ではわかってのだがそうはせずにはいられない。すると男から光るものが首から落ちてきた。ノアはその落し物に目がいき、そのまま釘付けになる。それは鳥の紋章が刻まれた白銀色に輝く首飾りで、その鳥の模様にノアは見覚えがあった。それはノアが何度も何度も本で見て憧れた、ハンターの証だった。
「外の世界ってのはこんなものか……くだらない」
ノアはそっと目を瞑った後、その首飾りを足で踏み砕きその場を去った。それでも失望は隠さずにいた。
ノアはカナリアの体を森の湖の側の土に埋め、墓を作り白くて綺麗な花を添えた。カナリアの墓の前に座り込みノアは1人無邪気に笑って語り始める。今までの恥ずかしくて普段は言えなかった感謝を改めて伝えたり、外に出たらまず何をしたいか、いろんな事をカナリアに歌を聞かせるようにゆっくりと語った。
「カナリア、あの人達ハンターだったんだ。本当に笑えてくるよ、自分のなりたいものに自分の全てを奪われたんだからな。でも外の世界に出てカナリアを必ず生き返らせるから。だから………少しだけ待っていて。じゃあ、行ってくるよ」
ノアは拳を握りしめて立ち上がり森の奥へと足を運んだ。未だノアのなるべき目標は変わらない。ノアはハンターになることを改めて心に刻む。それはなんでも願いを叶えてくれるという『聖杯』を見つけるため、カナリアを生き返らせるため。ノアは強く固い意志を持って森の奥に足を進めた。
「これか。途中で落ちたりしないよね?」
ノアは湖に浮かぶ大きな古ぼけた方舟を見上げて呟く。最初は赤い船、あの男たちが乗ってきた物を使おうとしたがやはり自分の名前の由来でもあり、ノアがこの森に来る際に乗ってきたものを選んだ。乗ってきたと言っても自分は気を失っていたためカナリアに運んでもらった形だったので動かし方が分からず不安だったが、ノアはとりあえず中に入り込んでみる。するとハンドルとその下にあるレバーが一つだけだった。レバーを引くと自動でハンドルが勢いよく動き出す。ゆっくりと浮かびあがった方舟は空へ向かって高度を上げていき、周りの森の葉で作られた天井に穴があきその中を進む。どういう技術かノアにはわからないが、数分で上空に揺らいでいる膜のようなものが見え始めそのまま船がその膜を貫通した。
すると水の粒が激しくノアの顔を撃つ。雨だ。久しく見る豪雨、ノアにとってはとても都合のいいものだった。雨は凄い勢いで降り注ぎ、周りは雨の音が氾濫している。そこは大きな湖だった。ノアは船から降りて地に足をつけると、船はそのまままた湖の中に戻るようにゆっくりと沈んでいき、みるみるうちに見えなくなった。
少しの間その船が沈んだ場所を見つめた後、口を開けて大声で叫んだ。喉が枯れるまで叫び続けた。頰に流れるのは雨だ。決して涙ではない。そう自分に言い聞かせ雨が枯れるまで叫び続けた。
未知の国、新しい世界への道のりはずっと憧れていたはずなのに足は鉛のように重かった。
それでもノアは進み続ける、生きるために。強くなるために。
虚無に襲われて森へとたどり着いた少年は、今や生きる目的と理由をしっかり持ってこの大地をひたすら進み続けた。




