第84話 無邪気な奴隷
包丁を手に持つ少女は白い髪を頭の後ろで縛ってまとめている。恐らく今から料理を作るため邪魔になるからだろう。そんな何気無いしぐさも、微笑ましく思えてしまう。
「晩ご飯は何がいい? 私は何でも作れるんだから」
そう言って振り返る可憐な少女の顔を見ると、何故か涙がポロポロと溢れてしまう。
「ノア、どうしたの!? どこか痛いの?」
懐かしさ、嬉しさ、悲しさ。色んな感情が溢れ出して涙を流すノア。そんな泣きじゃくるノアを宥めるように、カナリアはノアの頭を撫でる。
「もう、私はここにいるから。 ほら涙拭いて」
カナリアは優しく微笑みながら顔を拭いてくれた。
だがその顔を視界に入れることを避けるように目を瞑り、耳を塞ぎ、膝を抱え、閉じこもった。
嫌だ。 嫌だ。 この先は嫌だ。
知っている。 知っている。 これから何が起きるのかは知っている。
うずくまるノアの顔に優しく手が添えられる。その手は顔を持ち上げて夢という現実を見せつけるために添えられたものだ。
顔を持ち上げられると、そこにあるのはやはり地獄。幸せを見ても、またすぐに地獄に切り替わる。そんな事は知っている。もう慣れたものだ。
だからもう、やめてくれ。
「ぁぁぁぁぁぁあ‼︎ やめろって言ってるだろぉぉが」
ノアの腕の中には、半分になった少女の体がある。そして少女は口を震わせてパクパクと動かした。
「私は……あなたを……」
「カナリア、俺は……っ!待って、待ってくれ!」
唐突にノアの体が闇に引きずりこまれる。必死にもがくも、体は沈み出しカナリアが遠のいていく。また同じ、地獄を繰り返し見せつけて、最後の言葉を聞かせず追い出される。
ああ、壊れそうだ。
ーーーーーー
暗い闇の世界から意識は帰還する。これからが本当の世界。その現実と向き合うことが何よりも辛く、大切なことだ。自分の体に意識という魂が嵌め込まれ、感覚を取り戻していく。
するとペチャペチャという音が間近から聞こえ、生温かい何かが身体を這っていることに気づく。それはこそばゆくもあり、鳥肌が立つような感触だ。そして次に、首元にチクリと感じた痛みのおかげで、ノアは完全に意識を覚醒させた。
「……は?」
ノアが目を開けると、体の上に馬乗りになって首元に噛み付いている吸血姫の姿があった。膨らんだ胸を押し付けているメアリィは、柔らかい唇を首につけたまま口を動かす。
「むぁ〜?あ、ノア! 起きたぁ?」
ちゅぽんっ、と首元から唇を離したメアリィは口についた血を腕で拭う。ノアの首には牙を差し込まれたような跡があり、ねっとりと首が濡れているのに気づき悪寒を覚える。どうやら気を失っていたようで、メアリィが眠っているノアを舐めたり噛んだりしていたのだろう。
どうやら中央街の小道で倒れていたようで、昨日の記憶が無い。メアリィと戦おうとしたところまでは思い出せるも、それからどうなったかのか思い出せない。
自分は負けて、この吸血鬼に食べられてたのか。そんな最悪の想像までできてしまうほど、今のノアには気力がなかった。
そんな困惑しているノアに、メアリィは顔を近づけると、舌を出して頰をなぞった。唐突なことで理解が追いつかずに、声が喉でひっかかる。
「な、何を!?」
「涙が出てたよ?」
涙が流れていたのに気づいたメアリィは、当然の行いかのように舐めとった。ノアは、そんなメアリィが奇妙な生き物に見えて仕方がなく、距離を取ろうとする。涙なんて流してなかったはずだ。
「僕が寝てた間に何をした?」
「血ぃ吸ってた」
メアリィはノアの質問に首を傾げる。何を言ってるかわからない様子だ。だが、わからないのはこっちのほうだ。
「なぜ?」
「美味しいから」
メアリィはそれを言うのが早いか、またノアに抱きついて首元にかぶりつこうとする。なんとかメアリィの頭を手で押さえつけて阻止するも、敵意は無いことは感じられた。
「まぁ邪魔する気がないならいいよ、もう関わってこないでよ。………何でついてくるんだ」
「何でって、ノアが一緒に来いって言ったんじゃん! 僕の奴隷になれーって。 でもあの後倒れちゃうし」
「僕が? お前に?」
「うん!」
ノアは困惑する。自分がそんなことを言った記憶は無いし、嬉しそうに頷くメアリィも信じられない。何故奴隷になることに嬉しそうに笑っているのかが不思議で仕方がない。
「私、ノアの奴隷になってもいいよ?だから血、吸ってもいい?」
「ダメ」
「え!?なんで!なるなら好きなだけくれるって言った!」
そう言われてみれば、そんな事を口走った記憶が蘇り、メアリィの言うことは全部真実かも、と思い始める。
その後、メアリィとの会話もあって、少しづつ記憶の鱗片を拾い集められた。ノアは血の雨を体に受けた時から限界で、あの後力尽きて倒れてしまったようだ。最近は忙しく精神的にもやつれていたのかもしれない。
「確かに、そんなこと言ったかもしれない。……あー、そうだな。血を飲んでいいのは僕が許可した時だけだ。勝手に噛み付いてくるなよ」
「わかった。舐めるのはいい?」
ノアは、メアリィの質問を無視して歩きだした。そもそも、夜の女王様を名乗っていたこの少女は、本気で餌付けされるつもりなのだろうか。とりあえずは今も後ろをついてきているメアリィに不安を感じるが、アリスの事が心配なため一刻も早くニヴルヘイムに戻らなければならなかった。
「何処に行くの?」
「城」
「え〜?なんで?」
「お前を監獄にぶちこむ」
「え!?」
冗談ではなかったようで、本当についてきたメアリィは、体にしがみついて体をゆすってくる。急いでいるため、ノアは答える際に若干の苛立ちを混ぜてしまった。
「ちょ、なんで!? 私ノアの言うこと何でも聞くよ??」
「人攫いの犯人を捕まえるのが僕の目的だったし。そんなお前と仲間と思われると問題になるから」
「え〜閉じ込められるの〜?」
メアリィは驚きのあまり口を開いたが、すぐに落ち着いたように口を閉じる。ノアは、あまりにもすんなりと言うことを聞く気なメアリィの扱いに戸惑う。あれほど暴れ回っていた吸血鬼が、敵意も無いうえに監獄に入れると言っても素直について来ているため文句のつけようがない。一つあるとすれば、今もはむはむとノアの指を噛んでいるのをやめて欲しいことくらいだ。
ノアも流石にこんな少女に敵意を向け続けるのが馬鹿らしく思えて、冷静になるために深呼吸をする。
「ひとまず噛むのをやめようか」
「甘噛みだもん」
「そういうことじゃ…。もういいや。そういえば君は何人くらい殺したの?」
「ノアの前で死んだ三人だけだよ」
メアリィはこの様子だと片っ端から血を吸い尽くして殺しまくっていると思っていたが、どうやら被害者はノアに攻撃を仕掛けるために破裂させた男達だけらしい。
「意外だね」
「ノアの血以外いらないもん」
「嬉しくないけど、じゃあ何で人なんて攫ってたの?」
「ノアを探してたんだよ!」
メアリィはパッと笑顔を咲かせた。その際に口を指から離したため、唾液の糸がねっとりと伸びており、若干ひいてしまう。
「私は美味しそうな匂いがする白髪の男を連れて来てってお願いしただけなんだよ? なのにあの人たち、違う人ばっかり連れてくるんだもん」
メアリィは男達を脅してノアを探した。だが男達には美味しそうな匂いなど分かるはずもなく、殺されたくないあまりに、片っ端から髪が白い人達を攫ったのだろう。連れて来られたのはノアではない関係のない人達ばかりで、メアリィは興味すら持たなかったのだろう。そのため、今もあの建物のどこかに放置されているだろう。
「やっぱりノアの血は格別なの! ね?だからちょうだい!」
ノアは、腕を引っ張るメアリィを無視して考え込む。これはもしかしなくても原因はノアにもある。ノアを探して人を攫い、ノアを攻撃するためにメアリィは人を殺している。ここでメアリィを騎士長の前に連れて行ってもノアも同罪になるのではなかろうか。それでなくともノアは罪人のレッテルを貼られている。これ以上周りの評価を落とすわけにはいかなかった。
「よし、わかった」
「え! 食べていいの?」
「それはダメ」
ノアはメアリィの首根っこを掴んでニヴルヘイムへと連れて行った。運ばれている間、メアリィは結局我慢出来ずに何度も首に噛み付いてきたため、その度に頭をはたき落としていた。
「失礼します。騎士長、捕まえてきました。この少女が市民を攫った犯人です」
ノアは騎士長の部屋の扉をノックし、許可を得て入室する。そしてノアは、結局トオエンマの前に無慈悲に清々しくメアリィを突き出した。
「ほぉ、こいつが」
トオエンマは凄まじい眼光でメアリィを睨んでいる。
「えっ!おじさん、顔真っ赤だよ!?大丈夫?」
だがメアリィは緊張感が欠けたようにトオエンマの顔をジロジロと見ていた。鬼であるトオエンマの姿が珍しいのは同感だが、メアリィにこれ以上喋らせてはならないとノアは一歩前に出て口を開いた。
「この少女は複数の人達に脅されて市民を攫っていたそうです。その男達は捕まえようとしたところ、街で暴れ始めため止む無く処分しました」
ノアは、事実を捻じ曲げてトオエンマに報告したのだ。別に脅した側と脅された側が入れ替わっても、男達はもう死んでいるため大差ないだろう。どのみち真実を伝えるのは不可能なのだから。
そして真犯人のメアリィは、これ以上暴れることもないだろうし、ノアが自分の血で止めれば何とかなる。どのみち中央街に平和が戻るのは確かなのだから、人攫いの本当の理由は葬っても構わない。
「そうか、 それにしても早かったのう。ノア、と言ったかの? お前さんはワシが思っとったより優秀じゃったか」
「それは光栄です。これで守りびととして、騎士隊長として認めてもらえますか? 」
トオエンマは片目をつぶりじっとノアの顔を見つめる。何か怪しい点でもあったのだろうか。だがノアの、仮面という名の表情から何か情報を得ようとしても無駄なことだった。
「……ああ、いいだろう。じゃが、その少女は脅されたと言っても人攫いをしたのは事実。当分の間は牢に入ってもらおう。 理不尽に感じるかもしれんが、罪というのはそういうもの。 お前さんもそれでいいかの?」
トオエンマは肘をついてメアリィに確認するように返事を求める。だがメアリィは自由を奪われると知り、頰を膨らませて反論をしようとした。しかしそれでは困るノアは、慌ててメアリィの耳元に小声で囁く。この能天気な少女なら変な真実を喋りかねないからだ。
(言うことを聞いたら好きなだけ血あげるから!)
メアリィはそれを聞くと目を輝かせ、嬉しそうに牢獄に入ることを承諾した。
「うん! いいよ」
「おぉ、そ、そうか」
牢獄に入ることをここまで快く聞き入ってもらえるとは思っていなかったようで、虚を突かれたようにトオエンマは鬼の表情を思わず崩したのだった。




