第76話 優しいだけじゃ生き残れない
ノアは上界の門、聳え立つ外壁の前に立っていた。その理由は王族を守る騎士となるためだ。勿論それは最後の目的を叶えるための手段としか思わないが、まずは騎士として活動する必要がある。騎士としての地位が高ければ騎士の任務の一環で遺跡の衛生に行けるらしく、そのためにも騎士として活躍しなければならない。
ティグリスから買い取った王族騎士の資格はニヴルヘイムの物だった。上界東区・ニヴルヘイム、雪と霧で覆われた銀箔の世界。過去にロイを助けようと秘薬を盗みに、八咫烏として侵入したことがある場所だ。ノアは緊張感を飲み込み、門番の元へと向かった。
「止まれ! 何の用だ」
騎士の一人が門に近づくノアに槍を向けてきた。王族騎士の資格を見せる。前はマスクをしていたとはいえ、ジロジロと顔を眺められれば正体がバレやしないかもヒヤヒヤする。しかしティグリスに貰った通行証を見せればすぐに槍は降ろされ、すぐに道を開けられた。パラパラと氷の粒を落としながら、重い音をたてて凍りついた門が開き始める。ノアは思っていたより容易に入れたことに肩をすくめる。
(無駄に構えて損しちゃったな。まぁ実際前回も簡単に侵入できたしね)
この氷の壁を門以外の場所から侵入することは不可能だと言われていた。山のように高く作られた壁、もし羽がある者だとしても空を渦巻く冷気の嵐に呑まれて落ちていくからだ。しかしノアは簡単に壁を登った。壁に眼の力で窪みを作り、指を窪みにかけてよじ登ったからだ。その際、指は凍りついて壁にはりつき、離れずに千切れ落ちることもあった。その手段を容易だと考え実行できるかどうかの差であった。
今のノアの実力なら、騎士の中でも隊長とまではいかないがそれなりの地位にすぐありつけるだろう。当然舐めてかかる気はないが、無茶をしなくても良いくらいの余裕はあるはずだ。
「順調にいけば、直ぐにでも遺跡に行けそうだな」
テトの気遣いを踏みにじるわけにもいかない。ノアは今度こそ、ヘマはしないと心に刻んで城の中へと足を運んだ。石造りの灰色の通路をひたすら歩く。まだ入り口から隙間風が入ってくるため非常に寒く、扉を開けるたびにここで立っている騎士達はぶるりと体を震わせた。
「いいか、試験は明日行う。これを読んで頭に叩き込め。 後でお前の部屋を割り当てるから、今日はここで待機してろ」
ノアは資格を見せると部屋に案内され一冊の本を渡された。
国を守る守護神となれ。さすれば自ずと勝利はついてくる。騎士は姫を守るために剣を握れ。その度に剣に神は宿る。など、本の前半部分は訳の分からない精神論で書き埋め尽くされ、なんとも薄っぺらい内容だった。だがもう半分はここで暮らすために必要な情報も記載されていた。
騎士はいくつもの部隊があり、それは異能や身体能力から分けられている。その一つの部隊に一人、隊を統率する隊長が存在している。そして部隊の隊長すら動かせる存在、全騎士達を動かす指揮権を持ち、最高峰の実力を持っているのが騎士長だった。エデンのような強さを誇る騎士長が、このニヴルヘイムにも居るということをノアは思い出す。細心の注意しなければと、嫌な汗を感じて唾を飲み込んだ。騎士長という言葉を見ただけで体に力が入ってしまうほど、エデンの存在はノアの心に痛みを刻んでいた。しかし勝てなかったら勝てるようになるまでだ。騎士になることで、得られる力も必ずある。ノアは力を抜くように深呼吸して、本に視線を戻した。
騎士の使命は国の安全を確保すること。この城の騎士は城だけでなく、上界東区・ニヴルヘイムの騎士ならば東区全体の治安を守らなければならない。
ずっと王族を危険から遠ざけるために城内を歩き回ったり、町を巡回し続けるのは中々に苦労しそうだ。そして隊長クラスにもなると、王族の護衛、一人の姫や王の側で守りびととなるらしい。この城には何人もの王族が居る。ノアはその辺の事情をよく知らないのだが、第2王女や第3王女などの母親が違う王の姫や、その婚約者として選ばれた貴族なども同じ王族となっている。そして王族一人につき、一人の騎士隊長がついているようだ。守るだけでなく、付き人として普段の生活を援護しなければならない。王女達からすれば、騎士隊長の存在がステータスとなって、自分の騎士が魅力的であればあるほど王女としての威厳を保てる。そして逆もしかり、騎士隊長としても立派な王女に仕えてこそであった。
その本は終盤になると、巡回する時には足音を揃える、といった内容から敬礼などの細かい身体の動きへの指示も書いてあった。
「何だかんだ騎士も面倒くさいな」
ノアは部屋の中で一人、外に漏れないようにこっそりとため息をついた。
ページをパラパラとめくるだけで、文字は眼で捉えて記憶できるため本の内容は既に頭に入れた。先ほどの騎士が試験と言っていたが、模擬試合か何かでもするのだろうか。その辺りのことは分からず、ノアは椅子を傾けて目頭をつまみながらブラブラとしていた。
その時、ほんの僅かに叫び声が聞こえた。ノアは知覚範囲を広げて城全体を見回した。すると倒れ襲われている人影を確認する。ノアは一瞬迷いはしたものの、すぐに立ち上がり部屋を飛び出した。これから騎士となるものが助けを求めている人に手を差し伸べないわけにはいかない。そして何より、優しい人になる。これは今ノアが目指している、自分のなりたいものでもあった。
「そこで何してる」
ノアは部屋の中へ飛び込ぶように扉を開けた。そこにあった光景は、黒と白を基調とした給仕服を着た、白い兎の耳を生やした少女が襲われていたところだった。身なりの良さそうな男が、少女の黒色のスカートをめくり中の白い太ももを弄っているところだった。その隣では男の守りびとである騎士らしき人物が、一人の男の胸に剣を突き刺していた。
「おい!誰もこの部屋に近づけるなと言っただろ!」
「……おかしいな。 気配は感じなかったと思ったんだけど」
男に怒鳴られ、騎士は面倒くさそうに頭を掻いて剣をノアに向けた。この光景を目にしたからには消えてもらう、そういうことだろう。男はノアの存在を忘れたように、止めていた手を女の股に入れて動かし始める。助けて、と声を漏らす少女は下着を脱がされて今からされるであろう非道な行為に顔が青ざめていた。
「やめるんッ、だ!?」
ノアがその二人を止めようと足を部屋の中へと踏み入れた瞬間、騎士の男が襲いかかってきた。ノアは鍛え抜かれた反応速度で短剣を引き抜き、なんとか防ぐ。この騎士は守りびと、つまりは騎士隊長クラスの男だ。ノアは簡単には倒せないことを察して眼を開く。しかし完全に防がれた剣を眺めた騎士は、重いため息を吐いて剣を納めた。
「こいつは無理だわ〜。簡単には殺せない」
「は、何言ってんだ!?」
「だってこいつ強いよ? 見たことない顔だけど、いい感してるよ」
「ッ、じゃあどうするんだよ!」
「そんなこと言われても」
男は狼狽える。しかしその焦りも一瞬で、自分の身分を思い出し男の表情は醜い笑みに変わった。
「おいお前。俺が誰だかわかってんのか? 俺は第三のムエニル王子だぞ?」
ノアは全く聞いたこともない名前に首を傾げる。王族に興味を持ったことも関わることもない、下界の子供にすぎなかったノアがわかるはずもなかった。そのため、その言葉の意味をノアは理解していなかった。守りびとがついている。すなわちこの男は王族だ。騎士が王族に反抗するということがどういう意味なのか、それがまだノアにはわかっていなかった。
「女、お前の存在も王子であるこの俺の手にかかればどうにでもなる。勿論、家族や友人までもがな。この意味わかるよな?」
王族の男は、少女は顎を指でなぞり耳打ちをする。すると少女はノアを見上げて苦悩に悩むように顔を歪めた。
「……わかりました」
少女はスカートをぎゅっと掴み唇を噛む。ノアは何か脅されているのだと気づき、王族なんて知らないとばかりに短剣を構える。助けたい、ノアはその思いを実現するために騎士に斬りかかろうとする。しかしその前に、近づいてくる足音が聞こえ騎士達が集まってきたのがわかった。どうやら少女の叫び声は、他の騎士達の耳にも聞こえたようで駆けつけてきたらしい。そして騎士達が入って状況を確認する。血を流して倒れた男、短剣を握っているノア、そして王族と給仕姿の少女。騎士達が困惑気味に驚き、口を開けると同時に少女がノアを指差した。
「助けてください! この人が私に襲ってきて、同僚を殺して止めに来てくださったムエニル様達まで殺そうと……」
「えっ」
ノアは唖然とした表情で少女を見る。しかし少女は視線をノアに向けることはなく、騎士達に泣きつくように懇願する。周りの騎士達は、ノアが握っている短剣と床で血を流して死んでいた騎士を交互に見て、一斉にノアを抑えつけ始めた。
「おいおい、嘘だろ」
王族の男は下衆な笑みをノアに当て、付き人の騎士は剣を納めて欠伸をし、少女は小声で何度も謝罪の言葉を口にしていた。




