第5話 死は唐突に
ノアは1人静寂の森の中を歩いていた。裸足で柔らかい草を踏んだ感触に意識を傾けていて、目の前の木に気づかずにぶつかり倒れこんでしまう。そして長く重い溜息を吐いた。この森に来て丁度一年になるだろうか、ずっとカナリアと一緒にいたためこの静けさが慣れない。昔はずっと孤独に悩まされていたとは思えないなと頰をゆるめる。何故ノアは今1人なのかというと朝に彼女と喧嘩したのだ。喧嘩といってもノアが一方的に出て行ったに過ぎない。ノアは話し合うことを放棄して逃げてしまったのだ。寝転がったまま腕を顔の前で組み、ノアはゆっくり目を閉じた。
朝のことだった。ノアは最近カナリアの家の棚にあったハンターの体験をもとに書かれた本を何度も何度も読み直していた。内容はお宝を見つけたり強敵と戦ったりと、熱いシーンや仲間割れをしてしまうシーンなど様々でついこの本に引き込まれてしまう。ノアはカナリアからハンターの話を聞いていくうちにハンターに憧れてしまったのだ。
そんな時、唐突にカナリアが森の外に出たいか聞いてきた。ノアがその問いに対して疑問に思うも頷いた。すると決心したような表情をしてカナリアが奥から何かが入った袋を持ってきて、その中身は大量の輝く銀貨だった。
「それ本物なのか?というか銀貨なんて何に使うんだ?」
ノアはカナリアの表情から何やら凄い物を持ってきたかと思い期待したが中が銀貨なのを知ると肩をすくめた。本物を見るのは確かに始めてだがこの森での使い道なんてないため輝く硬貨などただのすこし綺麗くらいの石ころにすぎず、銀貨の価値が実感できなかった。
「これを持っていって。ハンターになるにはそれなりのお金がいるの、おそらくこの銀貨だけじゃ足りないわ」
「え、どういう意味だ?」
「あなたは夢を叶えるべきだわ、いつまでもここに居る必要はないの。ノアはハンターになりたいんでしょ?ならこんなところに居ても仕方ないわ。 もっと外の世界をいろんなものを知ってほしい」
精一杯笑顔のつもりなのだろう、カナリアは銀貨を差し出して笑みを作っていた。しかし一年の間ノアはずっと一緒にいたのだ。その笑みが見え透いた愛想笑いで無理して作っていることくらいわかる。ノアは確かにハンターになりたいとは思ってはいたがカナリアにそんな顔をさせてまでなりたいとは思わない。
「何言ってんだよ、カナリアも俺の居場所はここだって言ってくれただろ!」
ノアはまだ困惑を捨て切れず眉をひそめる。だがカナリアを置いて行くことだけは拒否した、金も受け取るつもりはなかった。
「そうね。 ここはあなたの居場所よ。でもここに、この森に縛られるてしまうなら別だわ。立派なハンターになってまたここに顔を出してくれれば私もそれだけで嬉しいし。人生は限られているのよ?だったら精一杯やりたいことをやるべきだと思うわ」
「別に今すぐなりたいわけじゃない。 それにカナリアを置いていくわけないだろ?そんな、そんな泣きそうな笑みで言われても納得するわけないだろ」
カナリアの笑みは崩れていた。ノアは確かにこの森を出てみたいとは思っていた、しかしそれはカナリアと一緒ということを前提としたことだった。
「ごめんなさい、私もノアと一緒にいたい。でもノアといられなくなるより私がノアの人生を縛る鎖になるほうが嫌なの。だから...」
「なんだよ、それ」
ノアは唐突に言われた事に頭がまだ追いつかず何がいい事なのかもわからない。彼女もきっと色々悩んでくれていたのだろう。今に始まったことではなくずっと前から。だがカナリアの言葉の先を聞きたくはなくてその言葉を残した後、翼を広げて飛び出した。
ノアはずっとカナリアとこのまま一緒に居たいと思っていたし、今が充分幸せだと確信できる。だがカナリアは自分と一緒に居たくないのだろうか。
金属の重りが心の波に沈殿していく。心のもやもやを消し去りたくて、無心で空を駆け巡り地を走り去ってここまできてしまった。
「よし。もう一度、カナリアと話し合うか」
起き上がり自分の意思をちゃんと伝える決心をし、カナリアのところへ戻るため自分が今どこにいるかを確認する。辺りを見回すと上空、木の葉でできた天井が裂けて穴ができていた。その穴から赤い船がゆっくりと降りてきた。
「なんだ、あれ?」
ーーーカナリアは塔の中、部屋の机の周りを何度もぐるぐると回っていた。
「どうしよう、でもあれで良かったのよね。でも...」
カナリアはずっとずっと悩んでいたのだ。ノアがハンターの話を楽しそうに聞くたびに、ハンターの本を何度も眺めていたのは知っている。自分がノアの人生を邪魔しているのではないのか。ノアの幸せを閉ざしているのではないのか。ノアとの生活の楽しさに甘えていたがノアは実はずっとこの森から出たがっていたのではないか。そんな考えが頭を何度もよぎり不安で仕方なく心の葛藤に悩まされる。ノアに自分の脆い部分を見せたくなくて相談もできなかったが、ノアをこの森に束縛したくはない。
「はぁ、今度はちゃんと話し合わないとね。ノアを探しに行かなくっちゃ」
ーーーーーーーーー
船が草の絨毯を滑るように着陸する。ノアは興味半分、警戒半分で船の様子をうかがった。
そこに、紅く輝いた二本の角を生やし顔にガスマスクのようなものを装着した男が3人船の中から姿を現した。近くまで来ていたノアはそのうち1人と目があった。いきなり現れた男達、マスクをつけた大人がこちらを見ているのを感じるとノアは怖くなり、逃げようと翼を広げた。
「お前がそうかぁ?なぁオイ!」
「え」
しかし飛んでいる自分の後ろから声が聞こえた。1人の男が地面を蹴り、矢のように飛躍して接近してきたのだ。ノアは驚愕して翼の羽ばたきも止めて硬直してしまう。男は飛躍した勢いで拳を振るい上空を飛ぶノアを叩き落とした。
「ガァッ」
砂埃をたてながら地面の上を転がる。骨は折れてはいないが口の中から鉄の味が広がってくる。目の前に黒い影が現れ顔を上げると緑色の髪を伸ばした二本角の男が立っていた。
(こいつら、龍族か...)
意味もわからず殴られ、痛みと理解に苦しむ。そんなノアを龍族の男が顎を蹴り上げ、森の奥へと吹き飛ばす。ノアは大木にぶつかり、体が潰れたような嫌な音を立てて肺から酸素が絞り出される。
「お前がそうかって聞いてんだろ?なぁオイ!」
ノアは地面に崩れ落ちて意識が朦朧としていくのを感じる。他の男がノアを蹴り上げた緑髪の男に声をかける。
「こんな弱いやつがそんなわけないだろう、なんかの偶然でたまたまここに迷い込んだんじゃないのか?」
それを聞いて男はそれもそうかと納得し、未だにうずくまっているノアに向かって鋭い歯を見せるように嘲笑う。
「坊主、運が悪かったなぁ!まぁ見逃してやるよ、邪魔さえしなければなぁ?」
ノアは朦朧とした意識の中で見逃してくれるという言葉が聞こえて安堵した。だがこいつらは危険だとわかる。なんとしてもカナリアにこのことを伝えて彼女を逃がさなければならない。しかし...
「こんな森、焼いちまって焼け野原にしてから探し出すほうが早いな」
遠くにいた1人の男が口を開けて炎を吐き出す。その熱量はすさまじく、炎がこちらに向けられていないにもかかわらずノアは目を開けていられなかった。肌がちりちりと焼かれて熱くなり、緑で囲まれた森が一気に赤く染まっていき、まるで地獄に変わる。
ノアはその光景を見ても逃げるわけにはいかなくなった。ノア自身、この森はなにより大事な場所だった。二人で一緒に花に水をあげたり、果実を育てたりいろんな思い出を作ってくれた場所だ。
火を吹いていた男は、よろよろと近づいてきたノアに気づき眉をひそめる。
「なんだ?お前も焼いてやろうか?」
「...いけ」
「あ?なんだって?」
「ここから!でていけぇぇええ‼︎」
ノアは漆黒の翼を広げて地を蹴り、空を仰ぎ目の前の男に殴りかかる。
だがその拳は届かない、当たらなかったのではない。届かなかったのだ。
ノアの膝より先が無くなっていたのだ。
「あっぁぁあ!!手が...」
「んー聞こえてなかったのかぁ?オイ!邪魔したら...殺すってなぁ」
いつのまにか近くにいた緑髪の男がこちらに手を降り下ろす。すると目の前がいきなり真っ赤に染まった。瞬く間に体を切り刻まれ体中から血が吹き出し遅れて痛みがノアを襲う。痛みで叫ぼうにも喉もやられ叫び声すら出せない。ただの呻き声が漏れ、それすら身体が切断される音にかき消される。
「そらそらそらそらそらぁあ!死ねよクソカスがぁあ」
切られ 刻まれ 抉られ 千切られ 潰され 殺される
死。死ぬ。嫌だ。痛い 痛い 痛い 痛い 痛い 痛い ........
ノアはもはや誰か認識できないほどに身体を痛めつけられ、手足は散らばり意識とともに身体が血の池に沈んでいく。感情に任せて身体を動かし死にいたる。無様で滑稽な死に方だった...
「馬鹿が、小物の分際で歯向かうんじゃねぇよ!さっさと残りも焼いちまおうぜ!」
緑髪の男は一瞬で子供とはいえ一つの命を消した。ただの子供では拳一つ届かないほどの圧倒的な力。
(ごぼっ、イカれてる…。なんだよ、こんなやつらに勝てるわけない)
恐怖からか、痛みからか。ノアはもう動かない身体を血溜まりに沈めて諦める。だがふと、1人の少女の顔が浮かんだ。
(カナリアも、こいつらに…)
その考えがふと思い浮かぶとこんなところで寝てなんかいられなかった。
ノアは力を振り絞って立ち上がり、背後から男の頭に向かって拳を殴りつけた。
マスクが男の顔から転がり落ち、口を開けて驚くその表情がよく見えた。
男は目を見開いたまま硬直していた。ダメージはない。だが殺したと確信していた者が起き上がっただけでも驚いたが、何よりも男の動きを止めたのは自分が確かに切り落としたはずの手足があったことだ。もしこの子供が刃物か武器を持っていたら自分は動けなくなるか、やられていたかもしれない、そう考えると気持ち悪い汗が頰をしたり落ちる。
「て、テメェどういうことだ?なぁオイ!確かに殺ったはずだ!」
不意を突いて顔を殴ったとはいえ所詮は子供の拳、支障はない。しかし男はノアの異様な存在感を感じてむやみに手を出せなかった。
3人は確かで今まで強敵達との戦いを生き抜いてきた。相手がどのくらい強いのか、またどのくらい攻撃すれば死ぬかなどもだいたい分かる。少年の動きはただの素人、普通の子供でそれ以上でも以下でもない、経験を積んでいたゆえにそう疑わなかった。
「があぁあぁあぁぁああ‼︎」
ノアはまさに獣のように男達に愚直に突進するが男達は余裕を持って避けてすぐさま距離を保つ。
「オイオイ!こいつがやっぱりそうだろ?なぁオイ!」
「そのつもりでいこう」
「こいつが何であれ燃やすまで」
3人はノアを標的として一斉に攻撃を開始する。緑色の髪をした男が一歩下がると他の2人が前へ出て息を大きく吸い込むと、口を開けてマスクの先から炎を勢いよく吹き出す。周りの木が熱風で焦げるほどの豪炎がノアの皮膚を焼き払い、翼も骨が剥き出しになる。豪炎に包まれ息をすれば喉が焼け呼吸もできなくなりノアはうずくまることしかできなくなる。そして緑髪の男が炎の檻に手を掲げた途端に炎ごとノアは切断された。
「真っ二つの出来上がりだ!所詮はガキだなオイ!」
「いや、待て!」
男達は何十年も生きてきて、戦場だって何度も立ったことはあるがこんな光景を見るのは初めてだった。焼き尽くされ上半身を吹き飛ばし倒れたはずの少年の下半身は真っ黒に染まり灰のように散っていき、上半身は切断面に黒く細かい粒子が集まっていき元の身体の形に構成していく。顔と身体のあれほど酷かった火傷や傷もわずか2・3秒とあっという間に元の戻りその少年は立ち上がる。
ーーーーその少年は不死身だった