第42話 深まる溝
ノアは目の前の少女に視線が釘付けになる。
だがそれは少女も同じだった。
大勢の人だかりの中ただ一点、少女はノアを見つめて周りの声はもはや届いてはいなかった。
「……やっと、見つけた」
数秒硬直していた少女は、湖に落とした一粒の雫のようにぽつりと漏らしたその声は、ノアにだけはしっかりと届いた。
「…まずいっ」
ノアは咄嗟に後ろへ下り、彼女目当てに群がる集団へと紛れた。「待って」という声が背後から聞こえた気がしたがノアはそのまま出口を目指してその声に背を向けた。
上界で彼女に出会った時、自分は仮面をつけていただろうか。ハンターを続けるためにも上界で盗みを続けている怪盗の正体が、自分だとバレるのだけはまずい。ハンターは機械生物を狩る以外にも賞金首を捕縛する依頼だってあるのだ。そしてなにより、あの子を見ているとふつふつと何かが湧き上がって心が掻き立てられる。ある人物の面影がちらつき平常心を保てそうにない。
ノアは人混みから抜け出し、ギルドの扉に手をかけた。だがその扉を引こうとするよりも先に、白くて細い手が扉に添えられた。
「お願い、待って。どうして逃げるの?」
少女は、彼女目当てのあの人数に囲まれながらも自分より早く出口に到着したという事実にノアは唾を飲み込む。
その少女の首には、カナリアを殺したハンターと同じ、あの白銀に煌めく首飾りがかけられていた。
(白銀の首飾り!……こいつ、Sランクのハンターか)
「すみません。依頼を沢山受けて急いでて」
ノアは扉を押さえてこちらを見つめる少女を前に、思考がまとまらず表情を固める。咄嗟に並べた言い訳はとても苦しいもので、ノアは焦りながらも相手の出方を伺った。
「っ……じゃあ私も手伝うわ!」
だが少女から返ってきた予想外の言葉にノアの表情はついに崩れた。
そして、誰からの誘いも受けずソロであることを貫いてきた少女が自ら誘っている光景を目にして、ここにいる誰もが驚愕し口を魚のようにパクパクと動かしながら呆然とするばかりだった。
「ふぅ、あとは鉱石だけね」
額に浮かんだ玉のような汗を払い、楽しそうに笑う少女の手には数種類の薬草が握られていた。
「本当に良かったんですか?わざわざ付き合ってもらって」
「いいのいいの。私がやりたかっただけだから。それに薬草集めは割と得意なのよ?」
2人は国を出て、依頼内容の一つでもあった資材集めをしていた。ノアは落ち着きを取り戻し完璧な笑みを造っている。だが、心の中では少女に対して猛烈な警戒心を抱いていた。
(いったい何が目的なんだ。SランクのハンターがこんなCランクの雑用依頼を手伝うなんて。やっぱり正体に気づいて…)
「ふふ。こういうの久しぶりだなぁ。最近は討伐依頼ばかりだったから、たまにはこういうのもいいものね」
だが少女はノアの疑りにまったく気づく様子もなく鼻唄まじりに歩いている。ノアはそんな少女の扱いに困り、どう対応するべきか考えていた。
だが答えが出る前に動いたのは少女の方だった。少女は振り向くと整った顔をノアに近づけた。
「名前もまだ言ってなかったね。私はアテナ、これでもSランクのハンターなんだから」
アテナは膨らんだ胸を張って誇らしげに名乗った。しかしそれが後になって恥ずかしくなったのかアテナは顔を赤くし、はにかみながらノアの名前を訪ねた。
ノアは無意識に距離を取りながらも、機械のように冷静に答える。
「ノアくんって言うんだね。ごめんね、いきなりついてきちゃって」
「…いえ。僕も助かりました」
「少し気になることがあって。ねぇ、ノアくん」
アテナはピタリと足を止めると、可憐に笑っていた笑顔を消して振り返り、ノアを改めて見つめた。
「ーー私とどこかで会ったことないかな?」
白くて長い髪を風で浮かせながらも、アテナは藍色の瞳でノアの心の中を覗き込むかのように射抜いた。
ノアの頭の中で渦巻いていた思考が停止する。握っている手のひらからはじわじわと手汗が滲み出て、今自分がどんな表情になっているかもわからない。おそらくアテナは反応を試しているのだ。ここで動揺を見せるわけにはいかない。やはり自分が賞金首だと疑っているに違いない。もしバレればSランクのハンターに自分なんかが勝てるわけがない。
ただ、ここで躓くわけにも、しくじるわけにも、殺されるわけにもいかない。感情や表情の操作など自分にとっては容易なはずだ。ただ仮面を被るだけでいいのだから。
ノアは噴き出してきた感情の波を押しつぶし、ゆっくりと目をつぶるとまた一つ仮面を創り上げた。
ーーアテナは異性に絡まれることが多く人と関わることが好きではなかった。そしてあの日もそれは例外ではなく、断っても断ってもあの男はアテナを求めた。だがいつまでも自分のものにならないアテナに苛立ちを覚えたのか、その日男は力づくでアテナを自分の物にしようと襲ってきた。
そんな時だった。1人の少年が自分を救ってくれたのは。襲いかかってくる男達から自分を連れ出してくれたのは。
アテナは気を失い、記憶はあやふやではあるが目を覚ますと少年が優しく暖かい手で頭を撫でてくれたのを覚えている。だが礼を言う前にその人は姿を消してしまい、その日からアテナはその少年を探し続けた。もう一度会ってみたい、その一心で。
もともとアテナは上界のギルドに属していたのだが、その少年がいる可能性を信じて中央街のギルドにも足を運んだ。騎士や憲兵の舎にも顔を出し、あらゆる場所を探して回った。
そうして探し回るうちに想いは募るばかりで、アテナの中でその少年は白馬の王子様のような存在となっていた。
ーーそして、見つけたのだ。その少年と思わしき人物を。
だがその少年は自分を見て逃げ出すような様子をみせ、アテナが気づいた時には体は動き大胆に扉を遮っていた。その少年は依頼があると言って何処かへ行こうとしていたが、ここで行かせてしまえばもう会えなくなる、そんな気がしてならなかった。
今までは人との関わりを好まず誰かとパーティーを組むのをずっと避けていた。だが今だけは、その少年と話をしてみたいという衝動に抗えず思い切って声をかけた。
そして依頼を真面目に手伝うフリをしながらアテナはずっとノアを見つめていた。
顔つきや声色、一致するものは数多くあり見れば見るほどあの人に見えて仕方なかった。だが、それと同じくらい違う所も見えてしまう。目の前の少年は、他の誰とも違うような雰囲気で触れれば消えてしまいそうなほど小さき炎に見えた。そしてなにより違っていたのは瞳の色だった。あの人の瞳は燃えたぎる炎のように赤く輝いていた。だがこの少年の瞳はどこか虚しさを感じさせるように透き通っている。
少年の名前はノアと言い、安らぎを感じさせる心優しそうな少年だった。他のハンターみたいに見せ物のように讃えて見てくるわけでもなく、貴族のように卑しい目線を向けられることもなかった。
アテナは話しているうちに、この少年があの人であればいいなと思えた。
しかし見れば見るほど、考えれば考えるほどノアのことがわからなくなり、それ以上にノアが気になっていきアテナは一つの質問をぶつけた。
「私とどこかで会ったことないかな?」
どこか縋るように問いたアテナの質問に、ノアはやや時間をかけてはっきりと答えた。
「ーーいいえ。今日、初めて会いましたよ」
アテナはノアの表情を見逃さないよう、じっくりと蒼い瞳で見据えた。
だがノアの表情は変わらず、柔らかい笑みを浮かべながらもアテナの言葉に首を傾げている様子だった。会ったことがあり、嘘をついているなら少なからず表情に変化はあるだろう。それがノアにはない、つまりそういうことだ。
アテナは期待していた言葉が聞けなかったことに虚脱感を覚え、いつのまにか肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出して目を瞑った。
「そっか、ごめんね。変なこと聞いちゃって」
アテナは顔を上げると気持ちを切り替えるように笑った。
やはりあの人なはずがないじゃないか。今は依頼を手伝いに来ただけなのだから考えても仕方がない。そう自分に言い聞かせて、歩き出そうとアテナは足を踏み出した。だがーー
「あっ……」
アテナは自分で思っていたよりもノアにあの人を重ねて期待していた。そしてその期待が裏切られたショックは大きく、力がうまく入らなかった。
「わっ、大丈夫ですか?」
アテナがよろめき転びそうになるもノアが身体を支えてくれたおかげでこけずには済んだ。
「…ありがとう。大丈夫だ…から」
だがアテナはノアに触れられた瞬間、その手の感覚に記憶が、身体が、想いが震えた。もう一度触れてみたいと思えた優しくて暖かい手。
(……この手)
自分を支えてくれたその腕は、覚えのある温もりがこもったものだった。




