第27話 猫の猛独
「今回は災難だったね。こちらも守ってやれず、すまなかった。丁度バッカスくんが訳あって不在でね」
ユグドラは真剣な表情で話しを持ち出した。ノアが連れ出された時、下界の中でも貧弱なタルタロスはバッカスがいないとなると完全に無防備だった。
そしてバッカスが不在の時に限って偶然そのタイミングに敵が攻めてきた、なんて都合のいい話などあるはずもない。仲間が情報を渡したのだ。その仲間とは、キュプラーだった。
ティグリスが言っていた話も嘘ではなかったのだ。ノアがタルタロスに戻ると何処にもキュプラーの姿はなく他の皆もまだ信じきれていない様子であった。
「……ふむ、彼が寝返るとは。彼はアヴァロンの組織に入れてもらう代わりにキミを渡したんだろう。それを結局はボク達、元の仲間が取り返した。皮肉な話だね。彼の信頼にも多大な影響が出るだろうし、向こうで殺されないにしても、どのみちタダじゃすまないだろう」
「彼を助け出したらまたここに置いてくれますか?」
「ボクは構わないけど、キミはこういう時行動しないやつだと思っていたんだが。キミの願いとは関係のないことだし、売られたのはキミなんだよ?」
ユグドラは意外そうな顔をして肩をすくめる。
ノアだってユグドラの話を聞いてもキュプラーに同情する気にもなれないし、する気もなかった。だがおそらく寝返った理由にノアも関係している。
それなら、最後まで関わろう。
「ええ。それに関係ないわけでもないですよ。タルタロスを成長させる、これが僕がタルタロスに入れてもらった時の最初の条件でもありますしね。 キュプラーも大切な戦力の一つというだけですよ」
ノア自身気づいていなかったが、ノアはタルタロスの人達を少なからず大事に思い始めていた。キュプラーを助ける、ノアにとって無駄な時間のはずなのにそれを最善な行動だと疑わなかった。今までタルタロスのメンバーとはノアにとってはただの他人でしかなく、利用価値がある限り上っ面で接して自分が成長するために円滑に進むように関係を築いてきただけに過ぎなかった。
だが皆んなは利益とかそんなもの関係なくノアを助けてくれた。だから次は自分の番だ。異端者ではなく、仲間としてここに居たいと思い始めていた。
テトの住処はティグリスに壊されたため無くなっていたが、テトの住処があった場所、その瓦礫の山の上にテトは膝を抱えて座っていた。
「あの時は助けてくれてありがとう。 本当に強かったんだね、ボスが言ってたけど正直信じてなかったよ」
「………別に」
アヴァロンであの人数に囲まれてもテトは殿としての役割を果たし、一人で帰れるほどの強さを持っていた。そのことについてノアはあえて明るく話しかけるが、テトは顔を俯いたままそっけなく一言呟き会話を終わらせる。
「……それ以上近づかないで」
近づくノアに警戒するように、テトは毛を逆立てている。しかしノアには、罪悪感や恐怖で怯えているようにしか見えなかった。
(仲間として、パートナーとして向き合う。これまで見て見ぬ振りをしてきた。でも昔救ってもらった時のように、僕も救おう。……あの人のように)
「来ないで!」
ノアが瓦礫に足をかけて登ろうとすると、テトは猫耳をピンと立たせて拳を握りしめながら声を張る。
何度も繰り返される拒絶。ノアはいつもならこれ以上は近づかなかっただろう。だが今は確かな意思を持って前へと足を動かし続けた。
「⁉︎、なんで……」
被ったお面の中でテトは瞳を戸惑いで揺らし、信じられないようにノアを見る。テトが一歩下がるたびに、ノアは二歩進み、距離はやがて零になる。
「やっと僕を見てくれた」
ノアは全てを見通すかのように透き通った瞳で見つめ、テトの側へとたどり着いた。テトはすぐさま逃げ出そうと振り返るが、ノアは逃がさない。
「僕にはテトが必要だ。どうか力を貸して欲しい」
「……わたしが、必要?」
必要、その言葉に反応してテトの足が止まる。
何かに怯えて自ら1人になり、孤独が新たな毒を呼び、心を侵食していく。テトは自分がこの世に必要ないと思っている。昔の誰かと同じように。
「ああ。僕にはやり遂げないといけない願いがある。大切な人がいるんだ。 その人のために、僕は聖杯を見つけたい。 だから君に手伝って欲しい」
テトはその言葉を一蹴しようとしたが、その前にノアの表情を視界に映してしまった。ノアの表情は薄い言葉など打ち消してしまいそうなほど濃い色で作られており、テトは言葉を失った。
「なんで…わたし?」
「理由なんてない。 君が良いって思ったから」
「貴方が白虎に連れ去られた時、わたしは見捨てた。助けようともしなかった。 そんな人を、貴方は信じられる?」
「でも君は来てくれたじゃないか」
「それは…皆んなが来いって言うから。最初は断った」
そう、最初は断った。だから皆んなが敵に囲まれて危ない場面になってた。最初からついて行っておけば皆んなはそんなことにはなってなかった。だからノアにだって感謝される筋合いは無い。
皆んなは自分を怨んでる、失望してる。いや、そもそも期待もされていなかっただろう。そう思われているとしか思えない。
「それでも、君は助けてくれた」
「やめて……もう関わらないで。わたしは、怪物。家族もみんな、大切にしたいと思った。でもわたしが殺した。これ以上中途半端に、わたしの心に入ってこないで! 」
テトは尻尾を逆立てて世界を拒絶するように叫ぶ。
テトは恐れている。自分がタルタロスの人達をあの時の家族のように殺してしまうことを。大切なものが増えることを。だからみんなに近づこうともせず、パートナーすらも遠ざけようとする。
だがノアは退かない。傷口を撫でてあげるだけじゃダメなのだ。針で傷を刺し、糸を縫って塞いであげる。そこまでせねば深い傷は治りはしない。
「僕も君と同じ、化け物だ」
ノアは自分が化け物と名乗ると同時に、腕にナイフを突き刺した。テトは驚いたように猫の瞳を細めたが、深々とえぐれて血が出ていた傷は既に塞がり治りつつあった。
「ほらね?」
ノアは自分の異常差を誇らしげに見せつけるように治った腕を掲げる。
「だから君が怖くもなんとも無い。 僕たちは仲間だ」
ノアの言動や仲間という言葉に、テトの瞳が揺らぎ、感情が渦巻くのが見える。
「僕は君を助けてやりたい。君の居場所を作ってやりたい」
「余計なお世話。どうせ死んで、また私の前から居なくなる。だったら最初から作らないほうがいい。最初から独りなら、独りになる苦しみを味わなくて済む。だからもう、関わらないで! 大切なものを、自分のせいで失う辛さはわからないくせに」
「わかるさ」
「適当ことを言わなっ……」
刻み込まれたトラウマや、苦しい過去の思い出をぶつけても「わかる」の一言で返すノアに怒りを感じたテトは、怒りのままに睨みつけようとする。けれど、その時のノアの顔は言い表せないほど悲痛な表情であり、それなのに悲しげに笑っていた。その儚げな影をさしている顔を見て誰が嘘だといえようか。
「僕は居なくならない。君の力なんかで僕は死なないし殺せない」
「そんなの、信じられない」
「じゃあ、試してみるか?」
頑なに拒絶するテトに向かって不敵な笑みを浮かべたノアは、後ずさるテトの手を掴んで引き寄せた。自分を救ってくれたあの子のように、笑って人を包んでみせた。
テトはノアに引き寄せられた。夢に見るほど恋い焦がれ、震えるほど恐ろしかった人の温もりに、テトの身体が反応する。
「いや、ダメ!貴方が死んじゃう」
その瞬間、テトの身体に異変が起きた。
ジュウッッッッ!!!ッと熱した鉄板の上で生肉を焼く音がほとばしる。
「ッッヴグッ!」
焼かれているのはノアだ。テトの毒にノアの皮膚は灼け爛れ、血は蒸気となって大気中に消えていく。
「やめて!もういい、もういいから」
テトは涙を流しノアを引き離そうとした。しかしノアは笑って痛みなんて誤魔化した。
「もう大丈夫だから。こんな力を手に入れて、辛かったよな」
肉が驚異的な速度で削れていき、それに負けじとノアの肉体も再生を行なっていた。今ノアの体には生と死の強烈な綱引きが行われている。身体は溶かされ、細切れに引きちぎられるような痛みが襲っている。それでもノアは優しく微笑んでテトの頭を撫でた。頭を撫でるために手を添えただけでも、手の表面は一瞬で炙られる。
(思ったより強い力だ。このままじゃちょっとやばい、か。 でも、彼女だって頑張って前へ出ようとしてた。負けるわけには、いかないな!)
テトは人との触れ合いに酷い恐怖を感じていた。だがノアが仕事の帰りに、木の下で座り込んでいたあの日。
テトは怖くてもノアを心配して声をかけてくれた。安心させてくれようと仮面を外し、近づいてくれた。そんな優しい彼女を、ノアは一人にはさせたくなかった。
何故だかそれが一つの宿命にも感じる強い何かにも思えた。
毒で焼かれた火傷のような傷跡に、次々とまた新しい猛毒が流し込まれ、傷口に剃刀を差し込まれる痛みが続いていく。しばらくすると、呼吸ができなくなる。おそらく毒煙が辺り一面に漂い始めたのだ。だがノアは苦しそうな表情を作らずに、かすれた声をぽつぽつと発する。
「安心して、君の力なんかじゃ僕は殺せはしないさ。君の力が暴走するなら僕が止めてやる。だから1人になることなんてないよ」
ノアは口から血を滲ませながらもニッと笑いテトの仮面を外した。
仮面の下には止められない涙を流し、くしゃくしゃにしている少女の顔がある。
「君を孤独から救ってやりたい。僕には一緒にいてやれることくらいしかできないかもしれないけど、僕は不死身だ。いつまでも側にいてやれる。死なないことを約束できる」
「頭の中で声が聞こえるの。 私が殺した人達の怨む声が、皆んなだって私のこと、邪魔だと思ってる...」
「なら僕が隣でくだらないことでも話してやる。僕が必要としている。居場所は僕が作ってやる」
テトは猫耳を伏せると、ノアを強く抱きしめ返した。
「なんで……そこまで」
「前にも言っただろ?君が助けを求めてる顔をしてたから」
その真っ直ぐに自分を見つめるその眼に、テトは言葉を失う。自分の猛毒すら浄化するノアの甘い甘い呪いという魔法をかけられる。
「テト。僕に力を貸してくれ」
人の温もりを確かめるように顔をノアの胸に埋めて泣き崩れた。
「うう、ぁぁぁぁ。にゃぁぁぁあ」
ここは真っ暗でもなんでもなかった。シャンデリアの光も、蝋燭の灯も無くたって、こんなにも綺麗に輝く星空があったのだ。
それをテトは見ようとせず下だけを見つめて過ごしていた。
少女は知った。人から教えてもらうまで気づかないことを。世界はこんなにも光輝いているのだということを。
たとえ真似事だろうと、確かにこの日ノアは一人の少女を苦しみから救い出した。それは永遠に消えるものではなく、手に入れたものはノアとテトだけのもの。
少女の涙が止まるまで二人は瓦礫の中抱き合っていた。




