第132話 見覚えのない少女
妖精族の王女を前にしたノアは、困惑の渦に包まれていた。
玉座の間で行われた審判。予想通りと言うべきか、ノアの声が届くことはなかった。だが今まだと違っているのは、届かせる必要すらなかったことだ。
ノアの言葉を塗り潰したのは真っ先に立ち上がったあの少女。彼女は、少女らしからぬ覇気を漂わせ、反論を述べようとする王族達や納得できずに表情を曇らせただけの騎士さえも、少女は言葉で絡み取り強引に黙らさせていた。
開けてしまった口を閉じる間もなく、ノアの疑いは白へと塗り替えられていく。あくまで否定ではなく、提案や条件などを添えて片っ端から意見を曲げていく少女を、ノアは見ているだけしかできない。
「三番隊隊長オズワルドをはじめ、多くの騎士を失った今、ニヴルヘイムの戦力は非常に不安定となっています。 騎士長のトオエンマも重体、これ以上穴を増やすわけにはいきません」
「しかしこやつは明らかに怪しすぎる。あの時ムスペルスヘイムに居たのが偶然だとは考え兼ねますな」
「この方にはムスペルスヘイムとの繋がりも動機もありません。 ムスペルスヘイムの騎士長に第一王女ティアラ様と共に連れ去られたと考えるのが妥当です。 心配する必要はないかと」
「軽率な判断に我々を巻き込まないでいただきたい。 ムスペルスヘイムで起きた惨劇は貴方もご存知でしょう。 一つの平民の命で懸念が解決するなら容易いことです。 もはやティアラ様の守りびとでもないこやつは、ただの不安要素でしかありませぬ。 今すぐにでも切り捨てるべきでしょう」
「……わかりました。 それなら、この方を私の守りびとに任命します。 私が側で監視し、安全と安心を提供してみせましょう」
「何を!? こやつを守りびとに選んだティアラ様がどうなったか、知らないわけじゃないでしょうに!」
「もし私の判断が間違いで、この人が今回の反乱騒動の犯人であるなら私は真っ先に殺されるでしょう。 ですがこれは私が言い出した事ですから、命だって張ってみせますとも。まだ信じきれない部分があるなら、この方を信じる私を信じてもらえませんか」
一切退くつもりはない少女は、押し返すように口を胸を張る。大勢の意見を跳ね除け、王族達に覚悟の違いを見せつける。部下の命の尊さを重んじて、騎士達に上に立つ者の資格を見せつける。
少女の口から出る言葉は呪文となり、心を動かす魔法を作り出していた。
(なんだ、何を言ってるんだ? 守りびと?どういうことだ。 それに何でこの王族は僕を庇うんだ? )
置いていかれるままに、ノアは一人ポツンと突っ立っているだけ。ニコラスが、濡れ衣はすぐに晴れると言っていた意味がわかる。会うべき人、というのもこの少女のことだったのだろう。そのおかげで、ノアの疑いの視線は幻のように消えていたのは確かだった。視線も、反論も、全て少女が引き受け殺してくれているのだから。
最後に一瞬、少女と目が合った。すると少しだけ少女は柔らかな笑みになり、ノアに向かって目を細めた。
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――結局一言も喋ることなく流されるままに自由を手に入れたノアは、めまぐるしく動く環境に目を回しそうだった。ムスペルスヘイムに連れ去られて、ニヴルヘイムに戻ってくれば牢に入れられ、出されたと思えば玉座に通され、巡り巡った今、ノアは何故か懐かしの塔に戻ってきていた。
「また此処に戻って来ることになるとは。 それにしても、僕はあの王族の守りびとになるってことか?何でこの場所に、それともやっぱり何か企みが? ……くそっ、ダメだ。訳がわからない」
王女が口を閉じた途端に話し合いは終わり、ノアは案内役の使用人にこの塔へと案内されたのだ。最後に見た時よりも更にボロボロになり、今にも朽ちそうな部屋。此処に連れてこられたということは、あの王族の守りびとになるという話はなくなったのだろうか。困惑は更に続いて止まなかった。
「アリスは流石にもう此処には居ない、か」
中を見渡して無意識に肩を落としたノアは、何かに期待していた事に気づく。だがニコラスが守りびとになった以上、こんなところに王族を詰め込んだままにするとは考えられない。彼なら豪華な私室を用意してやることも、贅沢な暮らしを送らせてやることも容易いだろう。
けれどこの部屋にはどこか違和感が感じられた。壊れた棚や机、破れた書類。それらの傷は新しく、丁寧に修繕された痕跡があり床にも塵や埃一つ見当たらない。
まるで、今もこの壊れた部屋が使われているかのような。不自然な綺麗さ、生活感が残されていた。
「……これは」
机に広げられた紙類を目にし、ノアは思わず声を出してしまう。びっしりと書き込まれた文字で埋めつくされている何十枚もの紙。その紙は、多様な質疑に対応できるよう何度もシミュレーションされた努力の証であり、先程の会話の中で何度か聞いた言葉が書かれていた。完膚なきまで意見を潰すために、何通りもの答え方があらかじめ用意したもの。
ノアを解放し、守りびとにさせるための道筋を作るための設計図だ。
その時始めて、ノアの頭の中で先ほどの少女とアリスの面影が重なる。
「まさか……」
その時、ガタンと古びた扉が開く音が聞こえ、ノアは肩を跳ねさせた。文字に目を通す事に意識を割いていたノアは、気づくのが遅れてしまっていた。そこに立っていたのは先ほどノアを助けてくれた少女であり、恐らくこの文字を書き込み続けた人物。アリスだ。
よほど急いで来たのか、胸を手で押さえているアリスの髪は乱れてしまっている。その少女の顔は、玉座の間で見た気高く美しい王女のものではなく、一人の女の子のものだった。
一瞬だけ時間が止まった。そう錯覚させるには十分なほど濃厚な時間だった。唇を震わせながら何を言うべきか迷っている少女を前に、ノアも同じように口を固まらせた。その止まった時間の中で先に動き出したのはアリスだった。脱ぎ捨てられた赤い靴がカランと部屋に響き、アリスは裸足でも構わず走り出す。
「ッ兄さん!!」
髪を舞い上がらせて抱きついてきた少女。胸に来た衝撃の重さはやはり覚えのないもので、驚きで固まっていたノアはいとも簡単に押し倒された。
「にい……さん?」
未だに信じられないといった風に、ノアは恐る恐る胸にしがみつく少女を引き剥がすと、顔を上げた少女は揺らぐ瞳で笑顔を咲かせていた。




