第131話 証明されろ
白い羽は再生能力を取り戻したおかげで黒色が戻り始め、顔や腕に巻かれている包帯の下には既に綺麗な皮膚が出来上がっている。しかし完治したわけではなく、無理に動けば引き攣るような痛みが走る。
特にできることもないノアは、暇を強要されていた。
どうやらムスペルスヘイムに連れ去られている間に、ニヴルヘイムで何かが起こったらしく、ノアが戻った時には凄い有り様だった。焼け焦げた城に、死体が飾られている雪の平原。ニヴルヘイムの雪は黒と白と赤の三色で染まっていた。
ムスペルスヘイムから戻ったノアは当然驚いたのだが、何故かクレアに凄い形相で剣を向けられ、怪我なんて御構い無しといった風に牢獄に閉じ込められたのだ。
理由を聞けば、ノアが呪いにかけられている可能性があるからだそうで、ニヴルヘイムに味方同士で争い合う呪いが満映していたらしく、ノアが同じように暴れることを危惧したのだ。しかしそんな呪いにかかっていないし、暴れるつもりも今はないため、いい迷惑だ。
――だがクレアが本当に恐れていたのは、ノアがそもそも最初から敵であった可能性があることだった。
ティアラや彼女の使用人達の死体が見つかったのはムスペルスヘイムであり、ムスペルスヘイムの兵士が何人かニヴルヘイムに侵入していたことも確認されている。しかしその肝心のムスペルスヘイムは、ニヴルヘイム以上に酷い有様だ。騎士長だけでなく、戦闘員は残らず殺されており城は破壊されていた。
そしてそこに唯一居た生き残り、もといその現象を引き起こした張本人。死んだティアラの当時守りびとだったノアだ。
ニヴルヘイムで争いが起きたと同時に姿を消したノアが、何故そこに居たのか。何故ティアラの首を持っていたのか。何故周りの者達は引き裂かれているのか。
出てくる疑問は当然のことで、ノアを疑うのも当然のこと。
クレアは、ノアが国を滅ぼす事を企んでいるとさえ考えていた。
それはエルザが、ノアをニヴルヘイムから隔離するために仕向けた事だったとしても、もうその犯人は殺されてしまったのだから真実は二度と浮上してこなかった。
「ん〜どうしようかな。……ん?」
これからどうするか。はっきり言って、もうニヴルヘイムに用はない。ムスペルスヘイムが管理していた遺跡の場所が示されている巻物も手に入れたし、ニヴルヘイムが管理している場所もわかっている。もうノアには、騎士を装う理由はないのだ。
そうしていると、冷たい廊下を鳴らす金属の足音が何の迷いもなくこちらに向かってきていることに気がつく。牢に入れられていると、誰かが訪れるのを待つ事しかできないため、すぐに反応できた。
「気分はどうだ?」
牢獄に閉じ込められたノアを訪れたのは前にも捕まった時助けてくれた鷲の騎士、ではなく金色の羽を生やした天空族の男、ニコラスだった。
「悪いけど、もう話せることは何もないよ。 何度も言ったけど僕は連れ去られただけであって、理由も何も知らない。いくら時間をかけたって無駄なことだね」
「ああ、わかってる。 君の濡れ衣はすぐに晴れるさ。この扱いに関してはすまなかったな」
噛み付くように返したノアに、ニコラスは深々と頭を下げた。その鉄格子越しの謝罪は、今回だけのものではないような色合いで、今までのニコラスの印象とは大きく違い、ノアは素直に驚いてしまう。
「さぁ、君が会うべき人がいる。付いてきてくれ」
「会うべき人?」
扉を開けられ自由はもたされるも、ノアはニコラスの企みを探ろうとする。けれど、ノアにはニコラスの心情が読み取れなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
この3日間で、ニコラスの心は大いに削れていた。呪いの力に苛まれた同胞、オズワルドをニコラスは殺した。自分の力ではそれ以外の解決方法が見当たらず、今もそれが間違いだったとは思わない。騎士長や第1王女を殺したと口にしたオズワルドを、どのみち生かしておくわけにはいかなかった。
しかし幸いにも、騎士長のトオエンマは生きていた。不意をつかれ、重症ではあったものの何とか命をつなぎ合わせていた。それを知った時、オズワルドが嘘をついていたと希望を持った事を覚えている。けれど第1王女のティアラの死は事実であり現実だった。ムスペルスヘイムのに攫われ、殺されていた。酷い目にあったのか、死んでいた彼女の目は未だに涙で赤く濡れていた。希望や絶望を往復し、ニコラスの心は揺れに揺れ、崩れに崩れる。けれど、ニコラスの心を支えたのはまだ残されていた一つの使命。
自分では見つけられなかった解決方法を作り上げた、作り上げられるようになった少女を最後まで見守ることだ。声一つで全てを終わらせるほど立派に育った少女を、最後まで見送ることだ。
ニコラスは事件の後、ムスペルスヘイムにクレアと様子を見てきた。ノアが作り出した死体の山を。暴れ狂った傷跡を。それを見たニコラスはなんとも言えない表情を浮かべた。
(むごい殺し方だ……。 どれもこれも、死んだ後に引き裂かれている。 いったいどれだけ……)
何かに取り憑かれたように切り裂き、自分の力を見せつけるように破壊したであろう肉塊。それらが示すノアの残虐性を見たニコラスは―――何もできず、しなかった。
以前なら考えられなかった行動である。葛藤をぶつけることも、ノアに斬りかかることもしない。ただ疑問を浮かべていただけだった。
そんな心の変化が見られたニコラスは、後ろをついてくるノアに一瞬だけ視線を向けた。
――俺は君が嫌いだ
(君を見るとどうしても劣等感を覚えるし、それでなくとも色々あって認めたくない。はっきり言って檻に入れたままにしてやりたいくらいだ。でも、こんなに素直な騎士らしくない俺を作ってくれたのも君だ)
ニコラスはアリスと一緒に、というよりも張り合うように成長してきた。勿論、彼女の守りびととして、まだ一人では何もできなかった頃の彼女を世話をした時もあった。その際にニコラスはあの塔の中で色んなものを見てきた。
何度も使い込み、柄に血と汗が滲んだ剣。壁につけられた無数の傷。そして、彼女のために尽くした努力の証。
幼い女の子の世話をするために必要な知識として、読み尽くされたのであろう本の山。継ぎ接ぎだらけだが、暖かさを作りだす部屋や布団。何もかもがボロボロで、どれだけ苦労を重ねたかがわかってしまう。そこには確かに、優しさが感じられた。
(本当の君はどこにいるんだ?)
今朝、騎士である自分に頭を下げた王族の少女の顔が思い出す。
「ありがとうニコラス、今までお世話になりました」
ニコラスはその感謝の言葉に涙を抑えられなかった。世話なんて言えるほど自分は何も出来ていないし、第一王女の守りびとだった時と比べれば、緩すぎて温すぎるほどだった。
今ノアを解放し、このまま彼女に合わせれば、自分はもうあの少女と会うこともなくなるだろう。一緒に玉遊びをしたり、基礎知識から教えたり、たまには喧嘩したこともあった。けれど、彼女は自分ではない騎士のために上を目指し、そのために生きていることも理解していた。自分になど関心を向けられていなくても構わないと言い聞かせながら接していた。けれど最後の最後に、彼女から確かな絆を感じて涙腺を刺激されたのだ。
感謝の言葉だけで、ニコラスは報われた。第一王女の守りびとだったころ、必要とされたことがなかったニコラスは、アリスのおかげで自分が目指していた騎士というものを、見つけた気がしたのだ。
(彼女が選んだ人だ。 だから俺も信じよう)
ニコラスは悩みに悩んだ末に、玉座の間へ通した。もう後戻りは出来ないけれど、名残惜しみながらしっかりとノアの背中を押した。見えないように少しだけ頭を下げて何かを祈った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
背中を押されるがままに、ノアは玉座の間に足を踏み入れた。そこにはずらりと王族が腰を据えてノアを見下ろしていた。
まただ。またあの目。
今までニヴルヘイムに尽くしてきた騎士を見る目ではなく、ムスペルスヘイムのまわし者を見る目。まさに、罪人を見る目だった。王族達だけではない。玉座の間の端を囲むように並ぶ騎士達もが同じ目だ。
(面倒だな、どうせもう用はないんだ。いっそこいつらも……)
どうせ反論しようと耳も傾けず掻き消されるだけだろうと、ノアはため息とともに殺意を秘めた。いつも自分の声は虚しく終わり、届くことはない。それなら最初から終わらせてやろうと、ゆるりと気配を消そうとする。しかしそれよりも一瞬だけ早く、場に変化がもたらされた。
王族達の中心にいた一人の少女が、玉座から立ち上がった。それと同時に、周りの騎士達が鎧で起こす音を揃えて響かせた。その覇気に押され、ノアは思わず足を止めてしまう。
「今から判決を下します。 零番隊隊長ノア。 貴方は白か、それとも黒か」
こちらを勇ましく見下ろす少女に、どこか見覚えを感じながらもノアは口をゆっくりと開いた。その空気に飲まれ、今まさに暴れようとしていたことを忘れて、いつのまにか弁解を試みようとしていた。何故かここで暴力で解説することが負けだと感じたのだ。
(まぁいい。 これが最後の試しだ)
これで罪を被せられれば、その時は罪のままに生きようと心に決めて。




