第129話 王の器
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
殺意を表す言葉を呪文のように唱えながら、武装した街の住民が庭の中に雪崩れ込んでくる。中には武器とも言えない、鍬やほうきを持っている者さえも、人の頭を砕こうと振り続けた。勿論こんなもので騎士達に勝ち、王族達を殺せるなんて思っているわけじゃない。けれど、彼らは止まることができなかった。
反乱軍達の人数は次第に増え、一般人や子供すら混ざり始めた結果、数十倍となっていた。
贅沢な暮らしを続け、自分達を上だと思っている王族達が、酷く妬ましいのだ。
「誰一人怪我をさせずに、かつ一人残らず拘束するのだ!」
四番隊隊長のクレアは反乱軍の一人を縛り上げると、部下達に命令を下す。自分達を殺そうとしてくる大人数を、傷つけることなく一人づつ拘束する。それがどれだけ無茶なことかはわかっているが騎士としてやらねばならないのだ。彼女の正義感が、義務感が、市民の悲しみを許さない。
けれど、クレアの心は折れかかっていた。
彼女の命令を聞く者は何処にもいないのだ。何故なら四番隊の部下は、今目の前で自分自身に剣を向けているからだ。今吐いた言葉も、部下を言い聞かせるためではなく、自分を叱咤させるためのおまじないにすぎない。いや、刃を向けている状況が、何かの冗談であることを期待していたのかもしれない。けれどやはり、クレアの声は虚しく響くだけに終わった。
「お前達っ……」
「何故殺されるかわからないんですか? いえ、わからないでしょうね。何もかも持っている貴方には」
部下達は隊長であるクレアに剣を向ける。綺麗で美しく、正義感に溢れる女性騎士。そんな彼女が、妬ましい。男の部下達は、女のくせにと。女の部下は、女なのにと。それぞれ自分と比較して嫉妬する。
守られる存在だった民達は騎士達を殺そうと集まり、その騎士達も殺されそうになりながら自分達の隊長を殺そうとしている。王族だけが、隊長達だけが、自分に満足している者だけが呪いに打ち勝ち、皮肉にも呪われなかった者こそが呪われた者の対象となってしまう。
これこそが『嫉妬』の呪いの恐ろしさだった。呪いの宿主が消えても、植えつけられた負の感情は燃え続ける。友や恩師など関係ない。一つ羨むものがあれば、それを火種として呪いは心全体に侵食し、相手を傷つけ、自分より下に落とすまでやめることはない。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
白い平原として映えていたニヴルヘイムの庭は、今や赤い足跡と死怨で埋め尽くされている。
(ここは地獄か……)
もうニヴルヘイムはめちゃくちゃだ。今朝まで笑いあっていた部下達は、今や殺人鬼か死体のどちらかとなり、遠目で確認できる限りホムラやジャッカルも同じような状況に陥っている。きっとニコラスとオズワルドも同じだろう。
(恐らくは何者かの呪い。それにしても、あまりにも残酷すぎる。何が目的なんだ、もう……殺すしかないのか)
憎み、憎まれ、殺し、殺され。呪われた集団の中で、クレアと同じようにホムラやジャッカルも部下を相手に、剣を振る理由を失っていた。今まで日々を分かち合ってきた部下を傷つけたくはないが、自分が死ねば、次は身を潜めている王族達が狙われるのは火を見るより明らかだ。
(ああもう、どうしたら)
戦場の中で嘆くクレア。説得に失敗して絶望するホムラ。無抵抗で部下に刺されるジャッカル。怨念に取り憑かれて踊らされる市民達。たった一人の魔族がもたらした呪いは、止まることを知らずに地獄を作り出した。
――そんな時だった。燃え盛る冬雪の城を、人々の呪われた心を、奇跡の光が空が照らしたのは。光の色は明るく暖かく、心に溶け込む美しいほどに黒色だ。誰もが目に入る、輝きを放っているのは一人の少女が掲げている杖の先で揺らめく光の旗だ。
崩れかかった塔の穴から、光を掲げて姿を現したのは一人の少女だった。
亜麻色の髪は邪魔にならないように縛られ、その艶やかな髪の間から覗く鋭い耳。翡翠色の瞳は宝石のように火の粉の光を映しだす。純白のドレスと肩には赤い布が巻かれており、手には肘まで覆うシルクの白い手袋がつけられている。白いドレスや、肩にかけられた布はところどころ汚れが目立つが、そんな汚れすら少女を極め立たせる要因の一つとなっている。それほどまでに、少女の姿は美しい。まさに、光を掲げる少女は芸術作品のように輝いていた。
旗持ちの少女、アリスはめいいっぱい息を吸いこむと、心の叫びとともに更に高く旗を掲げる。
「――憎む相手を間違えてはなりません‼︎――」
民だけでなく、騎士や、クレア達までもがビクリと肩を跳ねさせた。怒っているようで悲しんでいるような瞳で、真っ直ぐに見つめる少女。それは空気を振動させた一言だった。
「おい、あそこに誰かいるぞ! 女の子か?」「あいつも王族じゃないのか、それなら見せしめに殺せば」「服装からして王族とは思えんぞ」
手を止めた反乱軍は、アリスの旗に目を奪われて思わず手を止めた。しかし考えや憎しみの炎は消しきれず、俄然燃え続けている。
(あの子はニコラスのところの……‼︎。 一体何をする気だ。 この争いの火種でしかない私達が何を言っても無意味だ。 戦いは止められんぞ)
クレアは、アリスの登場に度肝を抜かれる。王族がこんな戦場に姿を現すなど正気ではない。そして想像通り、皆は手を止めたのは一瞬で、アリスから興味を失ったように視線を外して血塗れの争いに再度足を突っ込もうとする。
けれど、アリスはそれを許さない。
杖を空にかざし、天高く闇玉が撃ち放たれた。
「な、なんだ!? 何か撃ったぞ! 攻撃か?」「太陽、いや……闇?」
「どうか、惑わされないでください!!」
「何だ?」「どういう意味だ?」
「貴方達の気持ちもわかります。中央街では、貧しく、暗い生活を押し付けられた人達もいる。剣を胸に国に忠誠を誓った者達も、実力で格付けをされ、劣等感に苛まれる日々に溺れさせられたかもしれません。 辛かったですよね、苦しかったですよね。 憤慨したくなる気持ちもわかります。 私達はそれを見て見ぬふりをしてきたのですから。 ……ですが! どうか負けないでください。 貴方達の体を今突き動かしているのは心ではありません! もう一度、自分の心を見つめなおしてください!」
一瞬だけ現れた闇の世界が消えた時、全員の視線は残ることなくアリスへと注がれていた。優しさから始まった声色は、次第に力を増していき怒号へと変わっていく。
その声は心臓に釘を打つかのような衝撃を与え、誰一人動くことすら許さず、この争いで始めて反乱が止めてみせた。
「ッ、お前に俺らの気持ちがわかるわけないだろ!」「そうだッ、俺たちが間違ってるとでも言うのか!」
「ええ、その通りです!! 間違っているのは貴方達です!」
「ッッ!」
力強く言い切る少女の覇気に押され、怒りの声は沈黙する。それほどに、少女の言葉には力が宿っていた。
「貴方達が憎むべきは、目の前の尊敬すべき人物ではなく! 今までその者達に甘え、委ね、考えることを怠っていた己です!」
決められた方針の渦の中で、考えもせず生きていくのが楽で、考えることをしていなかったのは事実。凛と響く叱咤に、何も言い返す事ができず唾を飲み込む。
「な、何なんだ。 お前は」「どこの誰かも知らんやつが偉そうに…」
「――私は、この国の女王になる者!」
旗が強風ではためく音に負けないように張られた声は、全員の耳まで届き驚愕の嵐を巻き起こした。
ニヴルヘイムの王族や、女王を殺そうと集まってきた反乱軍を前に、胸を張って言い切るアリスは、塔に吹き付ける風に負けないように目に力を入れて、髪を強くなびかせている。
唖然とした表情のまま固まるのは反乱軍だけではない。ホムラ達もまた、口を開けて眺めることしかできていない。その発言は、現女王のティアラに宣戦布告しているのと同じこと。そんな事を、堂々と言ってしまえば、どうなるかはわかったものじゃない。
ホムラ達はアリスが何をしたいのかが全く理解できなかった。何故なら、堂々と宣言した本人、アリスは今震えているからだ。よく見ないと気づかない程度ではあるが、確かにアリスは震えている。視線を向けられることを恐れる彼女が、こんなにも異様な熱量を含んだ大勢の視線を集めているのだから、それも当たり前だろう。しかし、アリスは下がるつもりはなかった。
「私も皆さんと同じでした。 進んでいく日々に甘えて流れるがままに任せてきました。 けれど、そんな夢がいつまでも続くわけもありません。 唐突に終わりを告げられた時、今まで考えてこなかった分、嘆き、喚き、捨てられるしかありませんでした」
「何を言ってるんだ……」「だからそうならないように今戦ってるんだろうが」
ーー届け。 届け。 声よ届け。
「今の貴方達もそうです。 以前の私と一緒で、抗い方がわからず、駄々をこねているだけです。 何も産まず、何も得ない。 ただ周りを削るだけ」
「……一緒?」「俺たちが……やってること…」
ーー映れ。 映れ。 姿よ映れ。
「しかし、それももう終わらせましょう。 この争いの元凶である呪いは既に、私が滅ぼしました。 あとは皆さん次第なのです。 ここに約束します! 貴方達の暮らしは私が変えます。 この国の仕組みを一から、変えてみせます。 だから! 今は手を止め、考え直てみてください。 今自分が何をして、何を得ようとしているのかを!」
「何者なんだ、あの子は……」
ーー変われ。 変われ。 心よ変われ。
「名前もなく、居場所もない、王族でありながら王族としての力もない出来損ない。それが私でした。 けれど奪ってみせます。 王族の権利を、王の玉座を。 今まで培ってきたこの力で、貴方達を導きます! 安心して暮らせる世界に、誇りを持って生きていける世界に。 そして騎士の皆さんも、私に仕えてください。 貴方達の力が必要です。 他の誰でもない、貴方達が。 羨む暇があるなら、私のために力をつけてください。 私を一緒に高みへ連れて行ってください。 そのかわり、私も貴方達を導き、光を照らします」
「…………」
――照らせ。 照らせ。 闇よ照らせ。
「ッだから! 私を信じなさい!」
「ッッ!!」
――名前も知らない少女が口走った言葉はあまりにも無茶苦茶で、現実味もなく信頼性やその他諸々、何もかもが足りていない。だが、誰もその少女を笑うことが出来なかった。
言葉足らずでも、必死に何かを伝えようとしてくれているのがわかる。この身を案じてくれていることがわかる。そしてなにより、自然と目を奪われ、耳を貸してしまう。
ここにいる誰もが心の中で認めただろう。この少女こそが、王の器だと。
この少女には足りないところが沢山ある。だからこそ、妬む暇もなく応援してやりたくもなる。王でなくとも、王にしてやりたいと思う。この人に仕えてみたいと思わされる。この少女の隣で、この世界が変わるところを見てやりたくなる。
「――私の名はアリス。 この国をおとぎ話のように彩ってみせます」
灯された光が、民達の、騎士達の中の『何か』を泡へと変えて、握られていた武器はやがて小さな拍手へと変わった。




