第128話 揺れる者と揺らざる者
炎に侵食された氷の城の中心で剣を交えていた騎士隊長の二人。オズワルドは腹を押さえて跪き、正面にいる男を恨めしそうに睨んでいる。そこにいるのは、息ひとつ乱れていないニコラスだ。オズワルドは騎士隊長の名に恥じない実力を持っている。しかし一番と三番の差は歴然で、ニコラスに絶対の壁がある現実を叩きつけられていた。
「もうやめるんだ。何でこんな…」
「うるせぇ!お前はいつだってそうだ。 自分と張り合う相手を無駄だと切り捨て、はなっから勝った気で見下しやがる」
「そんなことっ……」
そんなことない。そう言い切る事が、ニコラスには出来なかった。
以前のニコラスは、自分が完璧だと信じて疑わず、己が行う事こそが正義だと決めつけていた。きっと心のどこかで、オズワルドの言うとおり他者を見下していたのかもしれない。他の騎士達には期待せず、自分だけが正義を作れると思い上がっていたのだから。
現にニコラスは、今の今までオズワルドが自分を憎んでいた事を知りもしなかった。関心を示した事がなかったからだ。
「君にいったい何があったんだ。 こんな事件まで起こして、目的が俺なら皆んなは関係ないだろ!」
「黙れ黙れ黙れ!俺こそが一番の騎士、次に騎士長になるのは、この俺だァ!」
自分に恨みを持っていたとしても、ここまで惨劇を起こすのは普通じゃない。一人の男が憎いからといって、城全体を巻き込み反乱軍すら招き入れるなど、もうとても騎士と呼べる男ではなくなっている。しかしその事すら理解出来ていないのか、オズワルドは怒りのままに力を振るう。
「ッ、何だよその目はよ! 一人無様に吠えてる俺が、さぞ面白いんだろうな」
「違う!落ち着いて話し合おう。 君に何があったんだ。 君のやった事はもう許されはしないけど、今止まればまだ間に合う。 君の中に、何か得体の知れないものが蠢いている」
ニコラスの静止の声を振り払うように、オズワルドは表情を狂わせる。以前の彼はこんな男ではなかった。何かが、誰かがオズワルドを狂わしたに違いないと確信する。
「死ねェェェエエ」
騎士長を目指してきたオズワルドの剣は、まさにその座に届きうるほど洗練されたものであり、ニコラスの脳天へと降り注がれた。しかし、割れるのはニコラスの頭でなく剣のほうだ。
ニコラスは今、鎧も兜も着けておらず、機械生物のエネルギーを蓄えたマントすらテトに貸した状態。しかしそれでもなお、ニコラスには届きはしない。
「なんだよ……クソが。俺だって呪われてさえいればお前なんてッ」
「オズワルド……」
オズワルドはずっと羨んでいた。何もかも手に入れたような顔をしてるニコラスを。部下からも慕われ、騎士長や姫達からの期待も大きい。そんなニコラスが羨ましかった。
「だから、全部壊してやる。 お前の部下も、騎士長も第一王女も殺してやった。 あとはお前とあの姫だけだ!」
全てが耳鳴りのように聞こえ、ニコラスは呆然とする。トオエンマが、ティアラが殺されたと聞いて自然と手から力が抜けていく。一刻も早く敵を殺さなければ、アリスの命も危ない。そんなことはわかっているのに、身体は止まったままだった。
「お前は……もう、敵なのか」
諦めたように呟き、痛々しい表情をするニコラスに構うことなく、オズワルドは龍の暴風を展開し始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
孤立して佇む塔がズンと揺れ、アリスは筆を思わず止めた。何かがこの城で起こっているという漠然な事しかわからない状況は、一層不安を募らせたが、アリスは黙ってページをめくる。
次の瞬間、あまりに大きな衝撃に耐えかねたのか奥の棚が倒れてしまい、もう古くなっていた棚は割れて本が散らばった。その中で一冊が視界に割り込んで来たことによってアリスは無意識に表情を緩めた。パラパラと天井が今でも崩れてきそうな部屋で、アリスは思わずその本を手に取って読み始める。一番大切にしているにもかかわらず、一番ボロボロで汚れている。しかしそれも当然だ。毎日毎日、何度も繰り読み返した絵本であり、タイトルは滲んで文字も読めないほどだ。
そんな悠長なアリスを迎えに、誰かが階段を登ってやってきた。
「ハァ…ハァ……。 アリスちゃん、よかった無事で」
扉を勢いよく開けたのは、息を切らし兎の耳を垂らしているテレサだった。テレサは、アリスの無事に安堵したように胸を撫でおろしたが、すぐに顔を引き締めた。
「ここは危ないわ、外で反乱が起きちゃってるの。城内にも紛れ込んでたみたいで、この塔にもいずれ誰かが来るはずよ。 今のうちに逃げましょう」
テレサ自身の状態も酷く、ここに来るまでに何かあったのかスカートの裾は破られ、それを隠すように赤い布で覆っている。それだけで外でどれだけ凄まじい事が起きているのかが予想できた。
しかし、アリスは首を横に振った。
「どうしたの? 早くしないと…」
手を差し伸べたまま困惑するテレサ。こんなに崩れそうな塔の中で、残ると言われれば困惑してしまうのも無理はないだろう。
「やっぱり、貴方だったんですか」
アリスは、長い亜麻色の髪を耳にかけると、表情を覗かせて残念そうに微笑んだ。この事件の元凶を前にして。
「やっぱり?どういうこと? いや、そんなことより今はまずこの塔から……」
「誤魔化さないでください。 前から薄々感じていましたけど、貴方は賊の一人。何人もの騎士や使用人達を虐殺してきた魔族。それがテレサさん、貴方ですよね」
「え……アリスちゃん、いきなり何言ってるの。っていうか私は兎、獣族だし。じゃなくて!今はふざけてる場合じゃないの!」
「じゃあ、それは何ですか?」
アリスは、テレサの腰に巻かれた赤い布を指差して冷たい目で彼女を見通す。それは赤いドレスだ。それだけでは何の意味も持たない物で、ただ身を包むために利用しただけかもしれない。
だがアリスにとっては違う。所々に付着した赤い斑点模様、それを誤魔化すために元の生地を赤にしているが、一目見ただけでもその不器用さが感じられる。誰が、誰のために作ったのか。どれだけ苦戦して編まれたものか、それらが一目見ただけでも感じとれてしまうのだ。
「……ぷふっ、あははははははははは」
テレサは腹を押さえて盛大に笑う。いつもの健気な彼女からは想像できない類の笑みで。そしてテレサは、懐から黒の外套と仮面を取り出し、床に投げた。くだんの件の、魔族の賊を象徴する仮面だった。
「あー、笑っちゃった。 凄いじゃない! 今まで上手くやってきたのに、たったそれだけでバレちゃうなんて。ノアさん、とっても愛されてるのね」
笑い疲れたテレサは、浮かべていた笑い涙を拭うと、ストンと表情から色を消した。
「ああ、羨ましい」
少女の頭に飾られていた兎の耳は、白から黒へと変わっていき、瞳も鋭さが加わり始める。ムスペルスヘイムでは幻獣の中のコレクションとして扱われていた彼女だが、希少価値は高いにしても、その本質は魔族。害を及ぼすために他者を喰らう魔獣であった。
「残念です」
「どうして、とか聞かないの? 今まで仲良くやってきたじゃない。 死ぬ前に知っておきたいでしょ?」
「そこまで興味はそそられません。でも、今起こっている事の原因が貴方なら、相応の報いは受けてもらいます」
「あはははは!!冷たいなぁ。……まったく、随分と遊ばせてもらったわ。 でもそれも今日で終わりね。 おもちゃはいずれ壊れるもの、母さんがよく言ってたわね。 アリスちゃんの思っているとおり、これはノアさんからアリスちゃんへのプレゼント〜。 ふふ、凄く素敵だと思わない? 彼、健気に何度も失敗しては作り直してたのよ? アリスちゃんに渡してくれって。 だから、私がもらったの」
テレサは腰に巻いたドレスを見せつけるように、その場でくるりと回る。周りにいる奴らが皆んな滑稽に見えて仕方がないという風に、テレサは一人で笑っている。
必死に作り上げた物を渡す事もできず、渡されるほうも手に取る事なくここで殺されるのだ。
「いつから知ってたの?私の正体がわかったなら、騙されたフリでもしてついてくればよかったのに。 そうすれば逃げるチャンスもあったのにね。やっぱりまだまだガキね、アリスちゃん。アリスちゃんは別に殺す必要は無かったし、せっかく仲良くなったから勿体無いけど、私のために殺さないと」
多少は成長しているとは思うが、やはり考えが浅いとしか言いようがない。せっかく優しく騙して生首にしてあげようと思ったのに、こうして何でも口に出してしまう時点でお粗末だ。だからこうして怖い目にあうのだ。甘やかされて生きた馬鹿なお姫様を不憫に思う。
「これをさっきまで持ってたノアさんがどうなったか知りたい? 知りたいわよねぇ!? あははは、あの世に行けばわかるかしら」
残酷性で満たされたテレサは、魔獣の脚力から線となって飛び回り始めた。その速度は戦闘経験のないアリスが捉えきれるはずもなく、目で追うことすら不可能だ。テレサが跳ねるたびに棚や机が破壊され、部屋が瞬く間に分解されていく。思い出の場所が次々と壊され、次に壊されるのはアリス自身だ。
「私はまだ死ぬわけにはいきません……。自分で捨ててしまったものを拾い集めきるまでは。あの人にまた胸を張って会えるようになるまでは」
「ん〜? はは、何を言ってるのッ!」
美しく不敵な笑みを浮かべるアリスと、その笑みを殺すために部屋中を駆け回るテレサ。机や壁を破壊しながら、その破壊をアリスへと届かせようとする。
「魔獣の私から逃げられるかな!?」
「逃げる? まさか、私はもう逃げたりしません。 まずはそのドレスを奪い返させてもらいます」
「あはは、面白いね。 王族はみーんなそう! 死ぬ間際まで自分の状況を理解できない。 あの第一王女もそうだったわぁ!」
残虐な魔獣と化け物と呼ばれていただけの少女。比べるまでもない力の差に笑い、テレサは魔獣の腕を振り下ろし、次の瞬間、塔を黒い光が包み込んだ。




