第122話 捕縛と解放
(何処だ? ここ)
チリチリと火の粉が窓を叩き、部屋を不気味に照らしている。見渡す限り玉座の間を思わせる場所のようで、広く高級な雰囲気を感じさせる飾りつけがされている。
その中心に存在する場違いな巨大な岩。そしてその岩に、今ノアは縫い付けられている。腕や足は岩にめり込み、身動きは殆ど取れる状態ではない。
(上界だってことは間違いないだろうけど、この熱さ……ニヴルヘイムじゃない?。 ムスペルスヘイム、か? 床に引き込まれて……僕はそれから……)
炎の国と呼ばれる北区のムスペルスヘイムと思わせる独特の熱気。熱にやられたせいで頭がぼっーとしてしてしまったせいか、手足を拘束された状態のノアは自分の姿に失望したように意識を濁らせた。
(何してるんだろうな、僕は)
汗を滴らせ、虚ろな目をしたノアに近づく者がいた。
「起きたのぉ?ご機嫌はいかがぁ?」
項垂れるノアに近づいたのはやけにブカブカの服を着た少女。ペタペタと裸足で近寄る彼女は、深く被ったフードからはみ出る黄色い髪を二つに分けて可愛らしく結んでいる。特徴的なものといえば、フードを突き破っている二本のツノ、そして少女は柔らかく笑っているが口から覗く鋭い牙が嫌でも恐怖を与えた。
「いきなり襲っちゃってごめんねぇ。 でもママが連れて来いっていうからぁ。 ねぇ、聞いてるぅ?」
少女はケラケラと笑うと、その場でくるくると回ってノアの表情を伺う。しかしノアは人形のように固まったままで、その様子に少女は不服そうに頰を膨らませ、茶化すように肩を叩く。
だが次の瞬間、ノアの肩に置いた少女の手に激痛が走った。
「痛ッた!」
気がついた時には既に少女は小指が消失しており、微動だにしなかった人形にも変化が見られた。それは動かなかった人形、ノアの口が少女の血で汚れていたことだ。
驚くべき速度、まるで爆発したように動き出したノアに、少女は小指を食い千切られていたのだ。反応が遅ければ手を丸ごと持っていかれたかもしれないと、本気で思わせるほどの殺意を感じる。
「そのツノを見せびらかすなぁッ‼︎ 醜い劣等種が」
ノアは目をギラつかせ、翼を何度もバタつかせる。巨大な岩を力づくで壊そうと前のめりになって腕を引き抜こうとするが、このまま続けても先に壊れるのはノアの腕だ。にもかかわらず、ノアは止めるどころか更に力を込めていく。
今も軋んでいるこの腕がもげたとしても、喉を食い破ってやると言わんばかりの気迫に、少女は思わず声を漏らした。
「ひぇ〜、いきなり何〜? どうしたのよぉ、これじゃまるで獣じゃない」
長さが半分になった小指をさすっている少女は、突如怒り狂ったノアを恐れるような表情を浮かべる。しかし実際はどこか面白がっているようにも見えるうえに、小指を喰われた事を気にしている素振りも見せていない。
「調子にのるなよ、龍ごときがァァア」
「ちょ、ちょっとちょっと あなたもだいぶ壊れてるわねぇ。 それに私、龍族じゃないんだけどぉ」
腕ごと千切ろうとしているノアを縫い付けていた岩がメキメキと鳴り始め、ついに岩に亀裂が入った。少女は緩い口調ではあるが、確かに頰に汗をつたわせ始め、やむなく呪いを発動した。
少女が指を振った途端に石造りの床が流動し始め、ノアを巻き込みながら一段と大きな岩へと修復されていく。まるで生き物のように動き出す地面や壁。部屋に備え付けられていた棚や額縁までもが動き出し、まるで生き物のように少女の側を泳いでいる。
「ッグ、この……ォゴォ」
どうにかもがいて脱出しようとするノアを、部屋そのものが抑えつけてくるのだ。飾られていた二本の剣が浮かびあがり、ノアの肩の筋肉を削ぎ落とす。腕力だけではどうすることも出来ない状況に、ノアはおとなしく捕縛されるしかなかった。
「ふふ、抵抗しても無駄よぉ。 私は『色欲』。この部屋にある物質は全て私の僕となる」
しばらく奮闘するも、家具に取り押さえられて岩に沈められる。更に肥大化した岩石に取り込まれたノアは、怒りに任せて咆哮を轟かせた後、諦めたようにだらりと力を抜いた。
「やっと落ち着いたかしらぁ? 紹介が遅れたわねぇ、私はトビラ。 これから長い付き合いになるんだからよろしくねぇ」
どうやらノアを拉致した原因はママと呼ばれる存在に関係しているようで、以前も二人組の獣族が同じような事を言って襲ってきた事を思い出す。
「もう少しでママも帰って来ると思うから、それまで大人しくしててちょうだいな。 私はちょっとやる事があるからさぁ」
トビラと名乗った少女は、袖に隠れた手をプラプラと振って、岩に埋もれたノアに背を向ける。もう彼女はノアを敵とすら見ておらず、ノアはそのまま、地面と一体化したまま部屋の中央に取り残された。
「……これで勝ったつもりか」
ここで思い出したのは、「眼を使わないで」と言ったメアリィの言葉。ノアが壊れていく事を彼女が恐れて発した言葉なのだろうが、どのみちこんな事を繰り返していけばいづれ壊れる。
早いか遅いかならーーー何事も早い方がいいに決まってる……
――眼を使えば、あんな奴最初から殺せた。そもそも捕まる事もなかった。だから、まだ負けてない。僕はまだ負けてない。僕はまだーーーー
「……い、おい!聞いてんのか!」
ブツブツと独り言を呟いていたノアの鼓膜を打ったのは焦りを感じさせる表情をさせた男だった。それは見覚えのある顔で、白い羽に、逆立った髪からはみ出た馬の耳。ペガサスと呼ばれる幻獣の特徴を持った亜人である男だった。男は焦りを感じさせる表情を浮かべており、額からは血が滲み出ていた。
「時間がねぇんだ。 なぁ不死鳥、俺と取引しねぇか」
男の名はシスマといった。シスマは、以前ノアを襲い連れ去ろうとし、失敗して返り討ちにあった。そんな奴の言葉を聞いてくれるとは自分でも思えない。だが今はそんな事を言っている状況でもなかった。
「取引? あの女は一緒にいないのか」
「……あいつは死んだ。 いや、殺された」
「ふーん。ああ、それで僕のところに来たわけだ。 代わりに敵討ち、命でもよこせと。おまえもか……」
「ち、ちがう。 確かにお前との戦いが関係してないとは言えない。 だが、あれはヤられる覚悟は俺たちにもあった。 負けた事をとやかく言うつもりはねぇ」
「じゃあなんなんだ」
「母さんを……このムスペルスヘイムの支配者を殺してほしい」
――シスマはいつも隣にいた少女を別に愛していたわけでもなかったはずだ。ただ隣にずっと居て、それが当たり前だった。そんな当たり前であり、無意識のうちに自分の全てになっていた少女は、尊敬していた人物に無残に殺された。その人物は母親であり、母親でない者だ。
拾ってもらい育ててもらい、恩を感じていた。恩を返したいと日頃から頑張ってきた。でも、その人物は母親の皮を被った化け物で、自分の大切な人は価値観や興味心の有無で吐き捨てられた。そしてそれすら、自分は感謝をしてしまう。それはそういう類の呪いだった。
「なんで僕に頼る」
「俺じゃあダメなんだ。……あの人の呪いの前じゃ、俺は奴隷だ。『崇拝』によって何でも受け入れちまう。 それに、俺もヤバイ状態だ。 そう長くはもたない」
シスマは顔をくしゃくしゃにしてノアに縋り付く。よく見れば腹にも深い傷があるようで、シスマ本人が言うように、命もそう長くは続きそうになかった。
シスマが母親だと思い込んでしまった人物。それは一度感謝をしてしまえば永遠に奴隷にされてしまう悪魔だった。だから裏切った。しかし呪いの影響でそれも半端なものとなり、ただ反逆者として狩られて終わるだけとなってしまう。
「今もトビラが俺を始末しようと探しているはず。 母さんを殺してくれるなら、お前をここから出してやる。 決めてくれ、あいつが戻って来る前に!それに、早くしねぇとお前のとこのニヴルヘイムは手遅れになるぜ?」
「どういう意味だ?」
「母さんが内乱を起こさせて崩壊させようとしてる。 今頃ニヴルヘイムは氷の国じゃなくなってるかもな」
どこまでが本当なのかがわからないシスマの話に、ノアは眉間にしわを寄せた。しかしそんな事を言われてしまえば、話に乗る以外道はなかった。




