第120話 水たまりは行き止まり
前話の位置を第3章の最後に修正しました。
大樹の上では、血の槍で幾度となく貫かれて沈んでいった触手型生物で死骸の山が出来上がっていた。進んでいくうちに触手型の生物は形が変わっていき、中には腕や羽があるものも出てくるようになっていた。
「ノア〜こいつらキリがないよ」
また一つ、緑色の液体を浴びながら死骸を作り出したメアリィは、建物の中を漁っているノアに呼びかける。液体は粘り気があるうえに酷い臭いを放っているため、メアリィはたびたび腕に鼻を近づけては顔を歪ませていた。
「うぉっ!?」
その一方で、ロキは驚いて叫び声をあげている。 触手型生物の皮膚に剣が弾かれたのだ。予想外の事で体勢を崩したロキは、次の触手型生物の反撃に対応できなかった。
「やばっ…」
ロキは来るであろう痛みに備えて歯をくいしばったが、その前にノアが触手型生物の大きく開けた口の中めがけて、ナイフを投擲していた。
「あ、ありがとうございます。……ここら辺まで来ると、もうただの刃じゃ通らないみたいですね」
口の中にナイフを突っ込まれても絶命していない触手型生物は、痛みを感じているかのように悶えてうねうねと暴れ回っている。そのグロテスクな光景を見ていると胃がキュっと絞られるような感覚を覚えてしまう。ロキも早くトドメを刺そうと剣を刺し込もうとしたようだが、皮膚が硬質化しているのか中々刃が通っていない。
「こいつら、なんなんですかね。 700年前の動物はこれが普通なんでしょうか」
「多分こいつらも機械生物だと思う」
「え? それじゃあ作られたってことですか? でも機械らしいところなんて見当たらないですし、緑色ですが血みたいなものもでますよ」
「それだけここの技術は凄かったんだろね。こいつらも国を守るために作られた機械兵器、ここは妖精族の国だったんだろう」
暫く歩けば、大樹の上に国があった。超巨大な大樹は、上に広場など余裕で作り出せるほどで、枝や葉には旗がくくられている。中央には巨大な湖や噴水が見え、今は風化して建物も殆ど残ってはいないが、それでも人が暮らしていた面影は残っていた。
そこで気になったのは、半壊した建物や街灯などに鉄が一切使われていないことだった。きっと妖精族が鉄に触れれば火傷をしてしまうため、工夫された構造でできているのだ。
そして自分達の国を守らせる機械生物も、出来るだけ鉄の部分が露出しないようにしているのだ。妖精という種族が扱うには不気味な見た目だったが、この国が妖精族のものだった事は間違いないだろう。
「ひとまず調査の任務は達成ですかね?……って、隊長………あれ」
ロキは、ノルマを達成した事で胸を撫で下ろしたが、メアリィが走ってこちらに向かって来ている事に気付いて口を震わせた。正確に言えば涙目で逃げているメアリィの背後、明らかに今までとは大きさも数も段違いな大量に蠢く触手型の機械生物にだ。
「助けてぇ〜‼︎」
「隊長!」
前回の遺跡とはうってかわって、常に敵との戦闘になっている。前回の遺跡は聖杯が既に取られていた事や、住み着いていたメアリィが機械生物を暇つぶしに倒していた事が関係あるかもしれないが、流石にこれほどの数の機械生物はいなかった。
「……ああ、もう。ちくしょう」
ノアは、ずっと眼で遺跡の全体を探っており、奥へ続く道は見つけているのだ。この先に聖杯はきっとある。そう勘が訴えかけていた。しかしノアには入る事が出来ない。その道だけは、ノアには入れない。
「あと少しだったのに………。撤退しよう。正面は僕がやるから、左右は任せるよ」
「了解!」「うぅ〜。 ここやっぱ嫌ーい!」
後ろ髪を引かれる思いはあるが、このまま迷っていても、あの気持ち悪い生物達に押しつぶされるだけだ。ノアは最後に、底に道が視える湖を見た後、未練を断ち切るように剣を抜いた。
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「あらお疲れ様、随分と長かったわね。 お前が帰ってくるのを、私はずっと待っていたのよ?」
ティアラは、自分の元に帰ってきた守りびとにねぎらいの言葉を送る。
ノアの状態は誰もが顔を引攣らせるほどで、怪我は大した事ないにしても、泥や謎の緑色の粘液が付着して顔もろくに見えないほど酷い有様だった。そんなノアを、ティアラは心配する様子もなく、面白そうに見ていた。
「うふふふ、その様子じゃ無理だったみたいね。 せっかく私がチャンスをあげたっていうのに。 ああ勿体ないわ」
ティアラは側にあった花瓶から花をいくつか摘まみ取り、ノアに向かって息を吹きかけた。パラパラと頭に降り注ぐ花は、ノアの頭に付着した粘液に絡め取られていく。
「さっさとその汚らわしい体を洗ってきなさい。 その後私の部屋に来ること。いいわね?」
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「ノア〜その花飾りどうしたの? 似合ってないよ?」
待っていた二人のところに戻ると、ノアの頭に刺さっている花を見てメアリィはケラケラと笑った。勿論メアリィもロキやノアと同様に粘液だらけなため、人を笑える状態ではない。
「とりあえず風呂行きましょうよ、風呂。ずっとこのままだと使用人の人達に怒られちゃいますよ」
来ている分厚い鎧の中に粘液が溜まって、相当気持ち悪いのだろう。ロキは待ちきれない様子で足踏みをしながら、ノアの背中を押し始める。悪臭を放つ粘液を滴らせながら通路を歩くノア達は、掃除をしている使用人達からすればいい迷惑だろう。だがロキが急かしていた本当の理由はそれだけではなかった。
「さ、早くしないと。もしテトさんに見つかりでもしたら」
「……見つかりでもしたら?」
「ひっ!」」
ロキの言葉を返した人物は、たった今ロキが思い浮かべて恐れていた少女、テトだった。
ロキとメアリィは、ドキリと心臓を固めて視線から逃れるようにノアの背後へと回った。
「何かあったの?……血もでてる」
すっかりメイド服を着こなしているテトは、パタパタとスリッパを鳴らして駆け寄り、汚れることなんて御構いなしに、エプロンでノアの顔を拭こうとする。
べっとりと糸をひく粘液の中に躊躇なく手を差し込んできたテトの手を、ノアは思わず掴み取る。
「いいよ。テトが汚れちゃう。 強い敵に会ったわけじゃないし、傷はすぐ治るから」
既に手遅れなくらいテトの艶やかな腕は粘り気のある粘液でネバネバになっているが、これ以上汚れないためにもノアは距離を取った。だがその言動にムッとしたテトは、意地を張るようにさっきよりも距離を縮めてきたため、鼻と鼻が触れ合いそうになる。
「……そんなの、関係ない。治るとしても怪我はだめ」
ノアの頭についていた花を指で摘み取ると、下から覗き込むようにテトは笑った。しかしその後、ノアの安全を守れなかった奥の二人に今さっきとは違う視線を向けて、無言で圧をかけていた。
「……前に言った、よね。ノアを任せるって」
「わ、私は守ったもん」
「馬ッ鹿!私達って言えよ!!」
「だから溶かすのはロキだけにして」
「この野郎!」
二人の信用の無さにため息を吐いたテトは、微かに唇を尖らせる。きっと一緒に行きたいのだろう。しかしメイドを任務に連れて行ける訳もないし、そう言うわけにもいかないのだ。
「それにテトにはあの子を頼みたいから。うまくやってるかな」
それは勿論アリスの事だ。もう自分とは関係ないとはいえ、どうしても心配なところはあったのだ。
「……今のところ、凄く頑張ってる。 あの騎士と一緒に、今は王族の作法を勉強してる」
それを聞いて、やはりニコラスに任せて正解だったと安心する。自分ではそんな作法も教えてあげる事は出来ないし、そもそも知らない。むしろもっと早く自分から解放させてあげるべきだったと思うほどだ。
「そっか。 テトもアリスの事を頼むね」
「うん。 それはいいけど」
「けど?」
「わたし……ちゃんと言った。 付いてったらだめって。 絶対に断ってって」
テトは尻尾をぺしぺしと振りながらノアの頰を軽くつねった。しかしテトが呆れるのも怒るのも当然だ。ホムラと茶会に行く話をした時、王族に誘われても行かないと約束したのだが、冗談話にもならず、結局ノアは第一王女に誘われるがままに行ってしまったのだから。
「まぁ、あれは、仕方ないっていうか。その〜、流れで」
「むぅ」
「そ、そうだ。一緒に風呂入りに行かない? ほら、テトも汚れちゃったし、騎士用だからそれなりに広いよ?」
「ぇ!?……………………いく」
第一王女の守りびととなったノアは、以前とは違っていい扱いをされるようになった。湯船は騎士隊長専用のものになり、かなり広々としている。そのため、ノアはテトの機嫌を取るためと、話を晒すためにも風呂を勧めた。
想像以上にテトが食いついた事に驚くも、これ以上怒られなかった事に一安心する。テトはいつも風呂上がりに石鹸の香りを嗅ぎにくるくらいだから風呂好きなのだろうと、ノアは勝手に自己完結をした。
しかし、冷静ではなかったテトは、メアリィとロキの存在もすっかり忘れており、ノアが男女に分かれて入るつもりだった事は考えてもいなかったため、後でシュンとうなだれたまま、メアリィと二人きりで体の芯まで温まった。




