第115話 君のために
パラパラと、まだらな拍手がそこらから聞こえてくる。アリスの踊る姿は、初々しくも確かに咲き誇る何かを感じさせ、皆の目に焼き付けいていた。
「にぃ、つかれたぁ。あしいたい、もうもどる〜」
履き慣れていないハイヒールのせいか、アリスはプルプルと足を震わせていた。ノアに運んでもらおうと腕を伸ばし、アリスの目には自分からは絶対に動かないという意思を感じさせられた。
ノアは、今にも座り出しそうなアリスを仕方なく抱き上げる。アリスが足を痛めないように踊ったはずなのだが、ここで駄々をこねられては悪目立ちしてしまうため慌てて端に連れて行かざるを得なかった。
「えへへ」
本当は今どうしようもなく嬉しかった。ノアと踊れた事、そして何より皆んなが拍手を送ってくれた事が嬉しかった。夢だと思えるほど新鮮な感覚で、ずっと踊っていたいとも思えた。しかし、それ以上にアリスは恥ずかしかったのだ。注目を浴びることを苦手とするアリスにとって、こんな視線を集めること自体が想定外。全員の前に立ち、褒められたことでこそばゆさを感じて、それを誤魔化すためにも駄々をこねていた。
その様子を見てクスクスと笑う王族達の表情には、影が少しだけ取り除かれているような気がした。
「凄いじゃない! アリス、貴方踊れたの? 途中からしか見れなかったけど、私びっくりしちゃったわ」
そんなアリスを連れて戻ると、ダンスを見ていたらしいアシュリーが感動の涙で目を潤わせていた。アシュリーは幾度となく感激の言葉をぶつけて褒めちぎり、妹の顔に頰を擦りつける。そんな二人を呆れるように眺めるホムラも、どこか嬉しそうだった。
「皆様、お客様がお見えになりましたのでそろそろ」
ノア達にそっと声をかけたのは白い兎の耳をしたメイド、テレサだった。テレサはいつもの気楽さを感じさせない立ち振る舞いで、畏まったように頭を下げている。メイド服も普段のものとは違っているためどこか品を感じさせられ、表情も緊張を保つように引き締められていた。王族の場にも顔を出せるほどテレサの立場が高いのは少々意外ではあったが、この振る舞いならば納得してしまう。
「わかった」
ノアは、アリスを連れて行くべきかを悩んでしまう。お客、それは他の区から足を運んできた王族達や騎士隊長達だ。その王族達の顔合わせがあるのだが、そこにアリスを参加させても大丈夫かどうか不安が募る。
他の区にいる王族達がどんなものなのかはノアもわからない。またアリスが駄々をこね、王族達の機嫌を損ねてしまうかもしれない。それこそ、ニヴルヘイムの王族としての格を下げたと思われ、二度と参加できなくなるかもしれない。
アリスをそんな大勢の中にいきなり入れてもよいのだろうか。まだ早いんじゃないのか。そんな考えが頭をよぎる。
「テレサ、アリスのこと見ててくれないかな」
「それは構いませんけど、よろしいのですか?」
「こればっかりはね。 急いでも仕方ないことだから」
「にぃ、どこいくの? おなかすいた〜、もういや。 もどるの〜 」
アリスは、ノアが何処かに行こうとしていることに気づき、慌てて立ち上がり駄々をこね続けた。ここで一人にされれば不安で押しつぶされそうになるし、いつも何処かに行ってしまうノアについて行きたいと思ったのだ。
「ちょっと挨拶してくるだけだよ。 戻ったらパンケーキ作ってあげるから、ここで待っててね」
「ぅう〜」
腕を引っ張りながら空腹を訴えるアリスを見て、まだ早い、まだ無理だ。ノアはそう判断した。一番彼女を理解している自分がそう感じたのだから、それが間違いないと確信していた。しかし、ノアはアリスの心情は一つも理解していなかった。否、出来なかった。何故さっき駄々をこねたのか、何故今もわがままを言っているのか。その言動はただの上っ面なもので、言葉で表せなかった本当の理由があるとは考えることもできていなかった。
十数人の王族達が流れるような動作でお辞儀をしていき、軽く言葉を交わしていく。綺麗な表情を見繕い、友好関係を築き上げているように見させていく。しかし心の中では他の者達を見定め、自分と比較し嘲笑っていることだろう。その背後では騎士隊長達が自分達の姫の威厳を保つために、ギラギラと目を光らせている。
居心地が良いとはとても言えない空気で、アリスを連れてこないで良かったと心の底から思えた。
ノアも王族から騎士隊長へと視線を移し、自分との実力の差を測り始めていた。他の騎士隊長に挨拶をかわしながらも、かつて敗北した相手のエデンや、その他の騎士長クラスの姿を探すが、此処にはどうやら来ていないようで、そうと分かれば途端に肉体を支配していた殺意が抜けていくのを感じた。
そもそもノアはこういう王族達のやり取りの意味について、まったく理解していないし一切興味がなかった。皆が何を必死に笑顔を見繕って友情関係を築いているのかも、この集まりが何を目的として開かれているかも知らないのだ。アリスが関係する事なら知る努力はすべきだろうが、今はそんな争いに首を突っ込めるほどの域にもいない。そのため、ノアは王族達が優雅にお茶を飲んでいるように見えるだけの光景を、ただぼんやりと見ているだけだった。
そんな時だ。椅子が倒れたせいでガタンッと大きな音が響いた。どうやら王族の一人が勢いよく立ち上がった時に椅子が足に当たったようだ。何か揉め事が起きたのか、と椅子を倒した本人にノアは視線を向けるとそのまま硬直してしまった。何故ならその王族も、目を大きく見開いてノアを見つめていたからだ。
その王族は見覚えのある少女だった。白雪の髪を長く伸ばし、透け通る滑らかな肌を持った紫紺の瞳の少女。美貌を具現化させたような美しさからつけられた、宝石の剣姫という異名を持ったSランクハンターでもある人物だ。
「…アテナさん?」
ノアは、アテナに手を引かれて椅子に座らさせられたのだが、アテナは俯いて固まっているだけで、彼女の背後にいる騎士であろう女性にずっと睨まれている状態が続いていた。周りの王族達もその様子に一瞬だけ不思議に思い首を傾げはしたが、今や興味を失ったように話し合いを始めていた。
ノアが状況を飲み込めず、困惑していると、アテナの守りびとがため息を吐くように口を開いた。
「アテナ様」
「……わ、わかってるわ。 ………その、黙っていてごめんなさい」
アテナは王族だった。自分の身分が嫌で、自由を求めてハンターになったのだという。ノアは、どおりで容姿が整っているわけだと納得する。髪質やきめ細やかな肌は平凡のそれではなく、ギルドの連中が騒いでしまうのも仕方ないことだろう。
アテナは上目遣いを向けて、バツが悪そうに指をもじもじといじっている。
だがバツが悪いのはノアのほうだ。散々ギルドではアテナには世話になっていたのに、ノアは暴れ回り勝手に出て行ったのだ。あの時、あの場に彼女が居たのかはノアの記憶にはないためわからないが、ギルドの中にはノアが暴れた傷跡はしっかりと残っただろう。今にして思えばルドルフ達にも多大な迷惑をかけている。
「…………」
「…………」
二人は沈黙を貫き、自分の反省すべき点を思い思いに考えていた。相手の顔を伺い、どうすべきか、何を言うべきかを悩みに悩む。動いているのは紅茶から昇る湯気だけだった。
「……プッ、」
その重たい空気から先に抜け出したのはアテナだった。思わず吹き出してしまったように笑う彼女を見たノアはきょとんとした表情で固まった。
「あはは、おかしい。 ごめんなさい。なんだか緊張しちゃってたみたいで」
「い、いえ。 こちらこそすみませんでした。 その、いろいろ」
やっと謝罪の言葉を言えたノア。その言葉を聞いたアテナは、ほっと息をついて肩の力を抜いた。あの事件で自分とノアの間に溝が出来てしまっている可能性を一番恐れていたからだ。
「ふふ、いいの。 それより、前みたいに呼び捨てにしてほしいな」
「そんな。前ならまだしも、流石に王族だとわかった今となって呼び捨てなんて」
「私がしてほしいの。 お願い」
アテナのお願いにノアは怯む。この場で王族を呼び捨てにするなど中々の勇気が必要だ。現に、アテナの守りびとは彼女の言動全てに驚いたように固まっている。
「じゃ、じゃあ…アテナ」
名前を呼ばれたアテナは嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。まるで何年も夢みた事が叶ったように、心の底から幸福を感じていた。
ーーーその二人を、穢れた少女はじっと見ていた。兄と知らない女性が楽しそうに笑い合うその光景、それを少女は羨望した。
「にぃ………」




