第110話 天才の努力
カタカタと音を鳴らし糸は紡がれる。糸と糸が交差し、きめ細やかな生地が次第に出来上がっていく。何日もかけて完成させた生地を眺め、満足感を得られるのもつかの間。これからが本番。あらかじめ設計された型と生地を縫い合わせるために、糸を通した針で縫い続ける。身頃とスカートの部分を縫い合わせたら、刺繍を入れていき完璧を目指して細かく指を震わせる。だがドレスの形に仕上がっていき作業が終盤になる頃、集中していたせいで今まで気づかなかった事に気づいてしまう。
「これはボツ、か」
形が不恰好、それもある。しかし一番の問題は模様だ。真っ白な生地に映る赤い斑点模様。それはノアの指から滲み出た血だ。知らないうちに自分の指輪を針で刺していたのだろう。あちこちが赤く染められており、台無しになってしまっていた。どのみち王族が着れるような出来ではなかったが、気分の沈みはとめられない。
ノアは、ため息を吐いて重い腰をあげると、高級素材で出来上がった雑巾を燃やして部屋を出た。
「おいひぃ!」
アリスは、溢れ落ちそうになる頰を押さえながらパンケーキを口に詰め込む。その様子をアシュリーは微笑ましそうに眺め、自分もアリスと同じパンケーキを口にする。
「あら、美味しいじゃない。 中々やるわね」
アシュリーは数々の高級料理を口にしてきたが、パンケーキの柔らかな食感と優しい味も相まったあまりの美味しさに思わず舌鼓をうった。
アリスも自分の好物が褒められ、はしゃぐように喜んでいた。そのせいで口の端からポロポロと食べカスが落ち、アシュリーに笑いながら口元を拭われる。
二人のお茶会を少し離れたところで見守りながら、ノアはひたすら剣を振っており、その様子を見ていたホムラが呆れたような肩をすくめた。
「お前よく飽きないな、今くらい休めよ」
「何かしてないと不安なんだよ。 それにホムラだって毎日汗だくになりながら訓練してるじゃないか」
「訓練の時間だけだっての。 ったく、聞いたぜ? 昨日また騒ぎを起こしたらしいな。ニコラス達が総動員で駆けつけても八咫烏に逃げられたって。中央街まで広まってたぞ」
「あれは仕方なかったんだよ。 僕が望んで暴れたわけじゃない」
ホムラはもう一度肩をすくめ、アリスのほうに視線を向けた。まだフォークとナイフの使い方が下手で、ほぼ手掴みで食べてきるアリス。行儀が悪いと言えばそこまでだが本当に元気で、アシュリーも嬉しそうに笑っている。姉妹二人が笑ってる光景を目にでき、ホムラは感謝をしながら目を瞑った。
「もういいだろう。………ノア、俺と戦ってくれないか?」
「は、何だよいきなり」
唐突に戦えと言われ、ノアは驚いて振っていた剣を止めた。しかしホムラの顔を見れば、ふざけている様子はなくしっかりとノアの瞳を見据えていた。
「いきなりなんかじゃねぇよ。 ずっと思ってた。お前と戦いたいってな。あの日から、お前と初めて会ったあの日からずっとだ」
ホムラは雪の積もる中、部下と並んで毎日訓練に励んでいる。だがそれは初めからではなかった。ノアに会う前、ホムラは部下達に嫌われていた。訓練は怠け、任務は手を抜いて流れるように生きていた。そうなった原因は、それでも問題ないほどの才能がホムラにあったからだ。訓練なんてしなくとも人は斬れるし、異能だって使いこなせる。騎士長や一番隊の隊長だって余裕で勝てる、なんて事は流石に思っていなかったが向上心なんてホムラにはなかったため勝てなくとも別にいいと思っていた。努力しないで好きな事が出来る。ホムラは自分の人生が幸せだと自信を持って言えた。
しかしそんな綺麗な日常は、ある日一瞬でぶち壊された。それはどこの馬の骨かも知らない侵入者に、ホムラが敗北した日だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
仕事熱心ではないホムラは、侵入者なんか逃してもいいと思えた。しかしマスクの中でギラついていた侵入者の眼に当てられ、何となくで剣を握った。頑張っている奴を、頑張った事のない自分が潰してやれば面白いと思ったのだ。
だが剣を交えた瞬間、ホムラは理解させられた。
ーーーこいつには勝てないと。
賊が操る鋭い剣技に、流れるような体術。それは死に物狂いで培って何度も磨き上げられた努力の結晶だった。最初から色がつけられた才能という名の宝石とは違う輝き。自分の剣とは違い、そこには熱がこもっていた。
そんな賊に言われた言葉を今でも覚えている。「退屈そうだ」その言葉を聞いて始めて考えた。今まで幸せだと思っていたものは薄っぺらいものだったと気づく。
満たされる事のない日常。賊の心の中にいる飢えた獣が、ギラギラと自分の心臓を射抜いてくる。死と隣り合わせの戦いの中、ホムラは久々に楽しいと思えた。この緊迫感の中で、いつも彼は過ごしているのだと知る。
ーーーいいなーーー
敵が放つ血生臭い剣技。何かを目指し、高みを見つめている剣。もっと見たい。そう思わされると同時に、勝ちたいという気持ちも芽生えた。才能という力で、努力の力を否定したかったのかもしれない。そしてその想いが届いたのか、才能が自分の剣を更に加速させてくれた。しかし、あと一歩のところでもう一人の賊に邪魔をされてしまい、勝ちが遠のいた。だが、それもまた羨ましい。
ーーーいいなーーー
二人の賊は驚異的なコンビネーションで猛威をふるい始めた。もう自分の剣が届かなくなり、歯がゆさが剣を引っ張り始める。だがそんな状況でホムラは無意識に笑った。
ピンチな時に駆けつけてくれる仲間。信じて互いに埋め合う戦術。それらを全て可能にさせる信頼。どれもこれも、才能だけでは不可能な領域に存在する産物。
ーーーいいなーーー
訓練を怠っていた罰が下るように、ホムラは体力の限界を迎えて敵の剣についていけなくなった。ホムラはあの日、胸に敗北の印を押されたのだ。まさか負ける日が来るとは思ってもみなかったし、何よりこんなに悔しさを感じる自分が信じられなかった。
血を流して倒れるホムラは胸に穴を開けられたが、代わりに何か大切なものをはめ込まれたような感覚。ホムラはその日を境に、綺麗な日々を捨てて泥だらけの道に足を突っ込んだ。
光の異能を最大限に発揮させ、胸に開いた傷を何とか塞ぐ。何度も何度も光を照らし、ようやく痛みが引いていく。すぐに万全な状態まで回復することはなかったが、剣を振りたいと体が疼いて仕方なかった。汗だくになりながら、ひたすら腕を動かした。無理をしたせいで傷から血が滲む事もあった。肌の上に落ちた雪が体温で溶けていき、足元に積もっていたはずの雪も今や消え失せ土が露出している。銀白の大地の中で、ホムラはひたすら泥だらけな剣技を披露した。
ホムラが剣を振り続けていると、部下達が口を開けて驚いた。今までサボってばかりだったのだから無理もない事だろう。だが、どうせすぐに飽きるだろうと白い目を向けられ、聞こえるように嫌味もぶつけられた。誰もが反省を表したいだけだと、賊を逃した恥を消したいだけだろうと呟いた。しかしホムラは気にもせず、子供のような顔つきでひたすら剣を振っていた。
あんな風に必至に生きてみたい。あいつに追いつきたい、見返してやりたい。自分の中に生きがいを生み出してくれたあいつをいつか、自分の剣技で完膚なきまでに叩き潰したい。そんな芽生えた向上心がホムラの才能を更に開花させた。
「隊長、あとは走り込みですか?」
剣を地面に突き刺し、口から出て行く真っ白な息を見ていると、唐突に声を、かけられた。右を向けば、そこには知らぬ間に訓練を始めていた部下が息を切らしながら笑っていた。
「あ、ああ」
戸惑いながらも、強張った笑みで返事をする。その後、何となしに一緒に雪の中を部下と走った。
「いやぁ、今日はしんどかったっすね。 早く風呂行きましょうよ」
肩を叩かれ左を向くと、何気なく共に訓練をしていた部下に誘われた。最近何故か数人の部下と一緒に居る時間が増え、話すことが多くなった。
「お疲れ様、最近頑張ってるみたいね」
頭上に影を作られ顔を上げると、嫌い合っていたはずの王女が汗拭きを自分の頭にかけてくれた。守りびとである自分を毛嫌いしていた王女も、今は親しみを込めて話しかけてくれるようになった。
「……助かる」
ただ懸命に剣を振っていたホムラは、気づけば皆に囲まれていた。尊敬してくれる部下や、信頼してくれる王女が自分の事をちゃんと見てくれるようになった。生まれ持った才能ではなく、培った努力で手に入れたもの。それはなによりも大切で尊いもの。
ーーーああ、やっぱりこいつはいいーーー
いつのまにか、ホムラは自然な笑顔を作っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「充分に待った。 だからもういいだろ、俺と戦ってくれないか?」
ホムラは、このためた騎士としてのルールを破りノアを牢獄から出したし、八咫烏だということも黙秘していた。だがこれ以上譲るつもりはなかった。自分の全てをぶつけたいと、心の底からずっと思っていた。
「そんな事、急に言われてもね」
一緒に訓練をしようと誘えば、ノアも快く引き受けただろう。だがホムラが願っている事はあの緊張感の中、互いに削り合う戦いだ。
「断れば八咫烏だってバラすぜ。勿論、毒猫もな。そうすりゃ嫌でも戦えるからな」
正体を暴露されれば戦わざる終えない状況になるだろう。しかもその時は、他の隊長達もおまけでついてくる事になる。ノアにこの申し出を断る事は出来ない。
卑怯だとは思う。だがホムラは本気なのだ。アリスが生きていける環境が揃うまで待ったつもりだ。夢を見せたのはお前なんだから。そんな言い訳を並べてホムラは睨む。
「俺と戦え、ノア」




