第107話 埋め合う個の力
ノアは現在、黒刀も無ければ身体能力を底上げするコートも纏っていない。騎士達の目がある場所に堂々と普段の装備で来れるはずもなかったため、ナイフ一本でジャッカルと向かい合っている。互いが命を、首を狙ってジリジリと間合いを測り合う。その緊迫感に耐えられなくなった子供達が目を瞑った瞬間、二人は同時に踏み出し刃を交差させた。ぶつかり合って熱を帯びていく剣。その度にノアの体勢が崩され、力はジャッカルの方が上だということがわかる。しかし周りの騎士達の表情は酷く険しいものだった。何故ならノアがどんな体勢からでも斬り返していき、ジャッカルの皮膚を少しずつだが削ってきているからだ。力では負けていても剣術ではノアのほうが優っている。その好ましくない状況にジャッカルは歯を軋ませ、距離を取ろうと剣で薙ぎ払う。しかしノアの猛攻は止まる様子を見せず、剣をかいくぐってジャッカルの首一点を狙い続けていた。周りの騎士達も勿論見ているだけではなかったが、つけ込む隙がなく大したことができていない。そんな中、一人正面から割り込む者がいた。
「八咫烏ゥゥ!!」
ロキはツノを肥大化させて飛び出すと、剣が手元になかったことを思い出し、なりふり構わず豪腕を振るった。
「浅はかだね」
仮面の下からくぐもった声をロキに向け、それと同時に日頃の鍛錬とは比べ物にならない威力の蹴りを叩きつけた。いつもあれだけ注意しているにもかかわらずこれだけ無謀な行動を取る部下にノアは呆れる。申し訳ないとは思うが、二番隊の隊長を前に加減をするほどの余裕はないためロキを問答無用で空に打ち上げる。
だが、ロキがどれほど八咫烏へ怒りを溜め込んでいたかをノアは理解していなかった。否、今のロキの表情からでもわかるであろうその感情の深さを知ろうとしなかった。
「グッゥゥ、このために……この日のために」
意識を離さないように心の中で燃えている怒りへしがみつき、拳をほとばしらせて落雷を作り上げる。雷とともに急降下したロキは、ノアの懐へと潜るとそのまま拳を突き出した。
「今まで戦ってきたんだぁぁぁあ」
「無駄だよ」
ロキの底力が予想外だったとはいえ、既にノアは予測を始めて次の行動へ移っていた。ノアは体を無理やりひねり、それと同時に回し蹴りを繰り出した。蹴りはロキの顎を直撃し、すかされた電撃は拳とともに行き場を失う。
「また負けるのかよっ……。お前なんて……隊長が来れば……」
気づいた時には傷みに襲われていたロキは、悔しさで表情を歪ませる。憎くて憎くてたまらず懸命に鍛錬を積んでも届かなかった無力感。闇に沈んでいく意識の中で、微かに隊長の名前を呟いた。
「コイツノコウドウは……ムダじゃナイ!」
崩れるロキの背後から迫ってきた狂気の影。
やっと見せた隙。一人の勇敢な騎士が作り出してくれた隙。この絶好のチャンスをジャッカルは見逃さなかった。ノアが蹴りを放ち終えた直後を狙い、鋭い突きを放っていた。
だが、ノアにはその攻撃さえも当たることはななかった。
「やハリ……トドカヌ、か」
ジャッカルの剣は空から降る雪を散らしただけで、ノアには掠ることさえなかった。ノアは驚き少しだけ目を見開きはしたが、熟練された反射神経でジャッカルの剣を全ていなし、その返しで腕で切り落としていた。腕が飛び、ぼとりと落ちる光景に騎士達は息を飲む。ジャッカルは腕を落とされてもなお立ち向かってきたが、ノアのナイフによって首を払われる。首をパックリと裂かれて倒れるジャッカルの姿。死力を尽くした隊長の行動も無駄に終わり、騎士達の表情に絶望が広がっていく。
しかし、ジャッカルは死んでいないどころか、諦めてもいなかった。
「……オレはイッタゾ? ムダじゃナィと」
地に転がっている頭が口を歪ませ、空を見上げた。ノアは、殺したと思っていた敵が喋った事に困惑しながらも、すぐさま上を警戒する。すると次の瞬間、下から腕が飛び出しノアの首を突き刺した。
「なっ‼︎ ググ、これは……」
首に鋭い指が食い込み、呼吸が乱される。先ほど切り落としたジャッカルの腕が動き出し、ノアの首を握り潰そうとしているのだ。何とか外そうするも、尋常じゃない握力になすすべもなく首を潰されてそのまま千切られていく。
「ガフッ、こんなことが」
マスクの下から流れる血で積もった雪の色を変えていく。完全に想定外だった。油断していたわけではなかった。多大な緊迫感の中で行われた、ジャッカルの自然な視線の動かし方きよって注意をそらされた事もあり、命が宿っているわけもないただの腕がひとりでに動き出すとは予想できなかった。
騎士達は歓声に近い雄叫びを上げて二人を見比べた。倒れているのはジャッカルで、立っているのはノアだ。しかし今の一撃は全員の威勢を高めるのには十分だった。ジャッカルはこの流れを利用して全員に指示を仰ごうと口を開いた。瀕死の敵にトドメを刺すべく、声を張り上げようと息を吸い込む。だが、次に起きた目の前の光景にジャッカルは声を出せなくなった。
「あぁ、やるじゃないか。 いっぱい食わされたよ」
くつくつと笑いながら邪悪なマスクを揺らすノアを見て、誰もがその希望の花を摘むがれた。その代わりに植え付け直された絶望の苗の大きさは計り知れない。ノアの首にあった傷がみるみるうちに再生していき、ジャッカルが命懸けで喰らわせた証が消えていく。
「でも次はない」
ジャッカルとロキはもう動ける状態ではないにもかかわらず、二人の努力で作り上げた傷は無に戻された。誰も足を動かす事も、口を閉じる事もなかった。
「今度こそ死ね」
首を切られるだけじゃ死なないとしても、再生能力があるわけではない。ジャッカルは脳みそまで細切れにされればもう生物とは言えなくなるだろう。そしてそれを行うノアを誰も止められはしない。誰もがそう思っただろうし、ノア自身もその未来が来ることを確信していた。
だが、ノアが振り下ろしたナイフは青い光を浴びている一本の剣によって止められた。
「死なせないさ。俺がいるかぎり」
金色の翼を広げて空から舞い降りた英雄によって、窮地は掬い上げられる。
「ニコラスさんだ!」「一番隊隊が応援にきたぞ!」「今のうちにジャッカルさんの治療を!」
ノアは、登場だけで周りの空気を一転させた英雄を睨み、手からボロボロと崩れていくナイフを見て舌打ちをする。
波紋を起こしながら光輝く剣。それは遺跡で発見された太古の武器であった。化学の力が収縮されたエネルギーの塊は、ノアのナイフを簡単に砕き皮膚ごと蒸発させていく。
(あの剣、普通じゃない。 それにニコラスの部隊も集まり始めてる。残ってるナイフだけじゃ苦しいか)
ニコラスの攻撃を躱している間に、首を継ないだジャッカルも復帰してきた。首を糸で縫っただけで動くようになったジャッカルは、ニコラスとの連携もあり非常に厄介な相手だった。そして何より、ここまで状況を変えたニコラスに殺意を覚える。
二人の隊長の剣にくわえ、周りの勢いづいた部下達の援護も重なっていき、懐から出していくナイフも次々に破壊されていく。加算され続けるニコラス達の攻撃は、ノアの処理能力を遥かに上回っていた。
「ぢぃぃ!」
それでも諦めないノアは何百もの襲いかかる死を潜り抜け、隙を見せた相手を次々になぎ倒していく。そして騎士達の間から一直線に、一番目障りであるニコラスの顔めがけてナイフを投擲した。その精密性にはニコラスでさえ反応できずに直撃し、騎士達が狼狽えている間に離脱を試みる。だが、ニコラスの顔には傷一つついておらず鬱陶しいゴミを落とすように払いのけた。
「なっ」
「今の一撃は見事だった。ただし、最後のあがきとしてはな」
ニコラスの青い閃光がノアへ向かって伸びていき、ノアの肩をいとも簡単に貫いた。遥か後方へと吹き飛ばされたノアは、城の壁を突き破っても勢いは止まることなく、城内へと飛ばされて血を撒きながら床を転がる。
「ぁああぁぁあぁぁああ」
ノアは肩を手で押さえながら雄叫びを上げる。その咆哮に含まれているものは何なのか。ニコラスに対しての怒りか。子供達を助けようとしたことへの後悔か。近づいてくる騎士達の足音への恐怖か。 敗北に浸たらされたことの悔しみか。
それはノア自身には分からない。
「くそっ、落ち着け! まだやれる、まだやれるさ!」
眼がゆらりと赤みを増し始めた事に気づき、ノアは顔を歪みながら何度も念じた。『虚飾』の力を使えば使うほど自分の中の何かが壊れていく。だから出来る限りこの力は使わないようにしていた。だが眼を使わずにこの場を切り開けるかも怪しい状態だ。早くあの場へ戻らないと子供達が連れて行かれ、ここに来た意味すら無くなってしまう。だが壊れてしまう事を気にしていても、負けてしまえばそこで終わり。そんな敗北感を味わうくらいならば壊れたほうがマシだ。
「……仕方ない」
ノアが、壊して壊される覚悟を決めて庭へ戻ろうとすると、黒と白を基調としたスカートをふわりと浮かしながら天井から猫が降りて来た。
「ノア、大丈夫!?」
テトは、慌てて側に駆け寄ると自分のエプロンでノアの顔に付着している汚れを拭う。今さっきの戦いを見ていたのか、目の下には薄っすらと涙が溜まっている。
「わたしも、いく」
「でも仮面は持ってないんだろ。 ここは僕だけで…」
「んーん、一緒に行く」
今テトは仮面を持っていない。その事を指摘されて一瞬考えるがやる事は変えなかった。このまま出て行けば使用人として潜り込んでいた事がわかり、もうここには居られなくなるだろう。それに八咫烏と共に出て行けば毒猫だという事が一目瞭然なため、顔もバレて本格的に手配書に書かれてしまうだろう。そうなれば顔を出して中央街すら歩けなくなる。これから先ずっと裏で生きていくのは嫌だし、ノアと一緒にここに居られなくなるのも辛いが、黙ってノアだけを戦場に送り出すことは出来なかった。
「一緒に、行こ?」
テトは、柔らかな微笑を浮かべて手を差し出す。力を振るう許可を得るように、優しみに、満ちた手のひらをノアに向ける。
その手を見て、その顔を見て、ノアは頷いた。
「なるほど、そういうことか」
「え?」
ノアは、伸ばされた手を引っ張りテトを引き寄せた。テトの体はその力に逆らう事なく傾き、その細身の体はノアにしっかりと受け止められる。
その時、マスクの下にあるノアの表情は邪悪に染まっていただろう。




