第106話 心の在り方
会議室で険しい表情をしたトオエンマは、ノアを含める騎士隊長六人と向き合う。トオエンマの話によると昨日の夜に盗賊が侵入したらしく、盗まれた大切な宝が盗まれた形跡などはなかったが多少の価値のある装飾品などは消えており死者も出たという。目撃者によると、その盗賊はマスクをつけた黒一色の亜人で闇に溶けて消えたという。
その情報を耳に入れた時、ホムラが一瞬視線を向けてきたがノアは騎士になってから八咫烏のマスクをつけてはいないため首を横に振る。
「殺されたのは七人、特にその中の二人の死体は酷い有り様じゃった。 このやり方は恐らく魔族の亜人の仕業じゃろう」
前にも聞いたノア達以外の怪盗。出現すれば必ず死体が作り出されると言われていた亜人だ。半端な実力ではやられるだけ。その厄介さに目をつぶってはいられず、トオエンマはノア達を呼び出したのだろう。だが誰で何処に居るかも分からず、次もまた来る保証がない相手にはどうすることもできない。
「賊はニヴルヘイムの中に紛れ込んでいると思う」
そう発言したのはニコラスだった。ニコラスは昨日庭の警備を担当していたが、その際に怪しい人影が侵入するのも撤退していくのも見ていなかった。それならば犯人は最初から城内に居たとしか考えられなかった。もし出てきたのなら自分が気づかないはずがないのだから。
「そしてそんな事をする奴は一人しかいない。素直に答えたらどうだ? 罪人!」
「僕?まさか。約束しただろ?反省するって。 僕はあれから真面目に生きているつもりだよ」
「信じられると思うのか? 前の宴会の場でも、貴様は問題を起こした。 何より、俺の勘が貴様だと訴えている」
「その件は悪かったと思ってるよ。僕も自分が酒に弱いなんて知らなくてさ。 でも言いがかりはやめてくれないかな。君のソレは本当に正義か? ただ葛藤をぶつけたいだけならやめてほしいね」
「ッ! なんだと!?」
「二人とも、やめな」
静止するクレアの声を聞いてもなお、ニコラスはノアを見下ろし睨み続けた。何を言っても顔色を変えずに薄笑いを向けられることがただただ気に食わなかった。
会議が終わるとノアは任務へと向かう。アリスのためにも日帰りで終わるものか、夕方には交代できるような警備を中心に行なう。任務が早く終わればロキの鍛錬に付き合った。全力で立ち向かってくるロキを乱暴に蹴とばしながらも、細かく修正するように教え込む。鍛錬は長時間にわたり、汗を流すために二人で湯船に浸かることもあった。それでも毎日、夜になる前にはアリスにご飯を作らなければならないため厨房に向かうようにしていた。食堂に行けば決まってテトが迎えてくれ、入浴後だと匂いが気になるのか決まって体を擦り付けてくる。酒酔い事件から二、三日は暫く避けられてはいたのだが、最近は何か覚悟を決めたような表情になり、逆に酒を勧めてくるようになってきた。何かあればテトは酒を飲んで欲しそうに機会をうかがってくるが、それをメアリィが全力で邪魔するため結局口にすることはなかった。それに、宴会の翌日にホムラがものすごい剣幕で怒鳴り込んできたため反省し飲むつもりもなかった。そのうえ何より問題だったのは積み重ねてきた評判が崩れてしまったことだ。あの晩のノアを見た人達が、ノアが女を襲って罪人扱いされたのも納得するに十分な光景だっただろう。だがテレサにはその事を時々からかわれるし、他にもノアに親しく接してくれる使用人もまだ居ることは救いだった。
そんなこんなで騒がしくもあるが、ノアは何事もなく騎士としての生活を送っていた。夜にはまたアリスのわがままを聞いてやり、眠るまで側にいてやる。その後静かになった暗闇の中で、ノアはまた感情の渦に呑み込まれながら暴れ狂う。そんないつも通りの日常を繰り返していた。
「ほら、反応が遅い。 予想外の攻撃が来てもいちいち固まらない」
ロキはノアの攻撃に反応出来ずに壁に叩きつけられ、ずるりと地面に倒れて剣を落とす。いくら経っても避けられるようにならない事で、ロキは自信を無くしかけていた。だがそれはロキが弱いからではない。ロキは側から見ても凄まじい速度で成長をしている。しかしロキが成長するように、ノアもまた一日刻むごとに成長しているため永遠に追いつけない鬼ごっこをしているようなものなのだ。
それでもロキの心が折られることはなかった。ロキにとって、追いつけない相手が憧れの隊長だという事が大きかった。
「「八咫烏を捕まえたぞ!」」
何処からか聞こえた叫び声。その言葉の意味を理解した瞬間、ロキはノアの指示を聞く間も無く飛び出していった。種族特有の鬼の角を生やし怒りのままに走り出した。
ぽかんとした表情のまま、置いていかれたノアはその場で頭をひねる。八咫烏が捕まったのは勿論間違えだ。何しろ自分がその八咫烏なのだから。しかし今騒ぎになっている事が気になるのも確か。八咫烏ではないにしても、その名を語るのならノアの事を知っているのかもしれない。そうだとすれば、そいつが尋問や拷問で口を割ってしまう可能性もあり得る。それなら何かを喋る前に始末しなければならない。
「……ノア!」
しかし行動に移す前にテトがパタパタと走ってきて、近くに来ると腕を背中に回してきた。テトも八咫烏が捕まった事を耳にしたらしく、大慌てで厨房から出てきたという。しかし確認したところノアではなかったため、少し落ち着きを取り戻しながらもノアを探していたのだという。抱きついてきた意味は特にないだろう。
そしてテト曰く、その捕まった八咫烏というのはタルタロスのメンバーらしいのだ。
「それは間違いないの?」
「うん。ノアが出ていった後に入ってきた子」
新人だとすればノアの顔すら知らないだろうし、おそらくこのまま放っておいても問題にはならないだろう。むしろここで八咫烏が死んだ事にしておいた方が、ノアが今後動きやすくなるまである。
考えが固まり、ロキが落とした剣を拾い上げている途中にテトが口を開いた。
「どうやって助ける?」
こちらを見つめて首を傾げるテトに、思考を一瞬止められ、剣を拾おうとした指がピタリと固まった。テトの助けるのが当然だと言わんばかりの表情に、ノアなら救いに行くと信じて疑わない態度に困惑してしまう。
助ける必要があるのか。別に会ったこともない子供のためにそこまでするべきだとは思えない。ここで見せしめに殺したほうが騎士としては評価されるだろうし、そんな苦労をしても今のタルタロスに価値も見いだせるとも考えられない。
そんな冷静な思考をぐるぐると回していたが、その先でふと気づく。
(…………ああ、そうか。そうだよ、そういうことじゃないよな)
利益のために、損得のためしか動けなくなっている自分に気づいて眉をひそめる。他人でも恋人でも、誰かを思いやって自分を削って行動するのが優しさ。それを忘れてはいけないのだ。ノアはその感情を大事にするために、無くしていないことを証明するために行動に移すことにした。
「僕が行ってくるよ」
庭では二番隊隊長であるジャッカルを中心に、部下の騎士達がゾロゾロと集まりだした。騎士達の視線の先には黒鳥のマスクをつけた子供が縄で縛り付けられている。最初は暴れていたが、騎士に囲まれると諦めたように大人しくなり今では縮こまって項垂れていた。嗚咽まじりに泣き声も聞こえ、完全に戦意喪失している様子だった。
ジャッカルが顔を確認するためにマスクを剥ぎ取ろうと手をかける。しかし次の瞬間、三つの人影が騎士達の間を縫うように走りぬけ、ジャッカルの体にナイフを突き刺した。
「おらぁ! そいつを離せ!」
ジャッカルの体にナイフを刺しこんだのは、同じく黒鳥のマスクをつけた子供達。しかしナイフを深々とねじ込んだ子供達はだんだん困惑し始める。隊長を刺したというのに周りの騎士達が全く驚く様子を見せないこと。そしてジャッカルの体から血が一滴も流れてこなかったこと。
子供達はジャッカルの顔を見上げると喉の奥から声を漏らした。フードから見えたのは縫い目な残る色が失われた顔だ。ゾンビであるジャッカルにとってこんな刺し傷では致命者には至らない。
「ひっ‼︎」
実力差は明確。子供達は慌てふためき、ジャッカルの体から抜けなくなったナイフから手を離して逃げだした。
しかし、ジャッカルはダメージを感じさせない動きを見せ、一瞬でバラバラに走りだした子供達を捕縛する。暴れながら声を荒げる子供達に対し、ジャッカルは無言を貫いている。
だが黒鳥のマスクをつけた賊が四人に増えたことで騎士達は困惑する。八咫烏はこの中の誰かなのか。それとも……
「こいつらは偽物だ。 八咫烏じゃない」
人混みの中から一人の騎士が声を上げた。それは表情を憎悪に歪めたロキだ。本物の八咫烏と対峙したロキからすれば、遠くから一目見ただけでこの四人が八咫烏ではないことがわかる。ロキは騎士達を掻き分けて捕縛された子供達の元へいくと、一人の子供の胸ぐらを掴み睨みあげる。
「お前らのボス、八咫烏はどこにいる! 一緒に来てるんだろ!」
「やめっ!」
「早く言え!」
子供は威圧されて恐怖にもがくが、ロキはやめるつもりはなかった。
「………‼︎」
その様子を黙って見ていたジャッカルは何かに感づいたのか、フードに隠れた目をギョロリと動かし、ロキの体を思いきり引っ張った。
「なにをっ!」
ロキは勢いよく引っ張られ、そのまま地に放り投げだされる。驚きと怒りを混ぜた声でジャッカルに抗議しようとするが、すぐに自分が投げられた理由を理解させられた。
子供達の前にボトンッ、と黒い塊が空から落ちてきたのだ。それはボロボロの布きれを身に纏い、片目がひび割れた黒鳥のマスクを顔につけている。嫌でも感じてしまう禍々しいマスクの存在感、威圧感が。これこそが本物の八咫烏だと主張した。先ほどまで本物だと思っていた子供達がおもちゃに思えるほどの緊迫感に、騎士達は慌てて剣を握る。
「証明するために剣を握ろう。 心の在り方は自分で決めよう」
マスクの下から濁る声を奏でて翼を広げる。その姿を目に写し、ジャッカルは口を不器用に歪めて剣を抜いた。
「オマェがホンモノ、ダナ」




