第104話 飲んでも飲まれるな
ノアは大きな宴会場で賑やかな雰囲気に揉まれていた。アリスを寝かせた後、ノアは誘われるままに宴会に参加した。
そこでは長机がずらりと並べられてその上には豪華な食事が隙間なく置かれている。ここらの食べ物を持って帰ればアリスも喜ぶだろうと、少しづつ頂戴しながら淡々と時間が流れるのを待っている。勿論主役は任務でも大きな活躍をした一番隊の部隊で、番号無しである、部隊とも言えないノア達三人は隅のほうにいるだけなのだ。ただ、時間が経つにつれて楽しくなってきたのか、メアリィはあちこちに移動して踊り子の踊りに混ざったり隊長同士の会話に加わったりなど、いつも通りの迷惑少女と化していた。それらの苦情は全てノアに来るのだが、メアリィの抜群のスタイルと幻想的な美貌が作り出す優雅な踊りは歓声を沸かし始めていた。そして騎士達が酒をちまちまと飲むのを見ては、メアリィも真似するようにノアの血を吸いに来た。何度も何度も往復しては首元に吸いついて来るため鬱陶しいものがあったのは覚えている。ロキも最初は緊張したように肩をすぼめていたが、酒瓶を数本飲んだあたりから眠りこけてしまった。
「おいノア、お前も少しくらい付き合え」
楽しそうに見えなかったのか、ホムラが酒瓶を片手に肩を組んで陽気に話しかけて来た。隊長と話したがっている様子の五番隊の部下達の視線もあり、どうにか遠慮したかったのだが、断るたびにホムラは絡んできた。酒に弱いホムラに呆れたが、酒に酔ってみるのも良いかもしれないと思えた。酒は嫌な事を忘れさせてくれるというし、宴会の場で酒を一口も飲まないというのも確かに良くないと思ったのだ。
しかしノアはお酒というものを飲んだ事がなかった。飲もうと思った事は無かったし、まず飲む機会すらなかった。
「注ぐ?」
迷っているノアを見て、隣にちょこんと座っていたテトが酒瓶を持ち上げ中に入っている紅色の液体を揺らした。使用人、特に女性であるメイド達は宴会の場では騎士達に酒を注ぐのが仕事だ。だがテトは、誰にも酒を注ぐことなくずっとここに座っているだけだった。離れたくないという想いもあったが、他のメイド達がノアにご奉仕しようとするのを防ぐためにも隣を陣取っていたのだ。そしてノアに息抜きをして欲しいという考えもあり、控えめに酒を進めてみたのだ。だが、ここからが問題だった。
ノアは勧められるままに酒を口にした。盃をくいっと流し込み、味を楽しもうとするがやはり味はわからなかった。しかし体がポカポカしていくのは感じられ、なんだか重たい鉄の心が解放された気分になれた気がした。
一時的なものとはいえ、こんなにも楽しくなれるならギルドの酒場で一日中酒を浴びていた奴らの気持ちもわかるような気がしてきた。酔いから覚めたくないから彼らはずっと飲み続けてきたのだろう。
「あ! ノアもお酒飲んでるの? 美味しい?ねぇねぇ美味しい?」
ノアが酒を楽しんでいると、何度目かわからない邪魔者の声が耳に届いた。
メアリィは体を傾けて顔に近づき、笑いながら頰をつついてきた。彼女は何に対しても楽しそうで、それが良いところであり邪魔なところでもあった。テトは、ノアにくっつくメアリィにむっとして腰を少し浮かしたが次に起こった出来事を前に唖然として固まってしまう。
「でもあんまり飲んだら血の味が変わっちゃうからそんなに飲まないでェ…グ‼︎」
側にいたメアリィの首めがけて腕を伸ばし、彼女の首を絞めながらノアはからからと笑った。ノアの顔は赤く、目の焦点も合っていない。
完璧を見繕っていたノアの問題点が浮上する。たった一口、口に含んだだけで酔うほどノアは酒に弱く、そして酒癖が壊滅的に悪かった。
「ノア!?……離ひっ、グエ」
メアリィが抵抗するように掴んでいる指を解こうとしたため、力を込めて乱暴に引き寄せる。抱き寄せられたメアリィは、驚いたように何かを喋ろうとするが、その前にノアに口に指を突っ込まれ封じられる。
「お前はいつもいつもいつもいつもいつもぉぉ………。 五月蝿い、喧しい、鬱陶しい、面倒くさい!! 僕の奴隷になるって言ったよなぁ? 僕の言いなりになるって言ったよなぁ?」
「もごごごこ!?!」
指を喉の奥まで入れられ、口の裏をかき回され、牙を撫でられ、舌をつままれる。メアリィは返事をしようにも出来ず、訳もわからず目を回す。
「おい、返事は?」
「はわわわわわ」
メアリィは涙を浮かべながら必死に手をばたつかせるが力が入らない。テトに助けを求めるような視線を向けるが、彼女は手で顔を覆い指の隙間からチラチラと覗いているだけだった。
「無視? 無視はよくない、よくないよ。血が欲しいんだろ? この僕の血がさぁあ!」
メアリィの鋭い牙に指を押し当て、口の中に血を流し込む。脳みそが混濁したメアリィは呼吸困難に陥いりそうになるが、見ていられなかったホムラが止めに入る。
「ノ、ノア。大丈夫か? 酒ダメだったか? 付き合わせて悪かったな。 水やるから落ち着けよ。……………おい?やめろ?……馬鹿! こういうのは酔った女の子に攻められるものであって!!やめろぉぉおぉおおお!?グェェ!」
肩を掴んで声をかけたホムラだったが、こちらを振り向いてゆらゆらと近づいてくるノアに笑みが引き攣っていく。そして、気絶したメアリィの首を掴んでいる手とは反対側の手が、ホムラへ向かって伸ばされた。
「おい!我らが隊長の初めてが奪われるぞ!」「今助けます隊長!」「なぁ、面白そうだから見とかねえか?」
ホムラとメアリィが首を絞められている様子を面白がって五番隊の数人が立ち上がる。皆んなで隊長を奪い返そうとノアに立ち向かうが、全員順番に首を絞められ、勝者となったノアは机の上に乗って雄叫びをあげる。
翼を広げ、酒瓶を握って暴れるノアにメイド達は唖然としていた。いつもの印象が霧のように霞むほど、今のノアは酷く出来上がっていた。
「あはは。宴会、思ったより楽しいじゃないか。ん、なんだ?次はお前らかぁ」
頭はくらくらして、足場はぐにゃぐにゃとしている。だがそれでもいい気分だ。こっちに向かってくる奴らも、自分を見て驚いている奴らも、平等に敗北を教えてやろう。
ノアは今までになかった笑みを浮かべてギラギラと眼を輝かせ始めた。すると、背後から誰かに腕を引っ張られ机から下ろされた。
「……〜〜、〜〜〜」
何を言っているか理解できず、考える事も面倒になりその人物も同じように押し倒す。それだけでその人物は怯えたように声を殺し始めた。手を伸ばせば頭の上にフサフサとした猫のような耳があり、お尻には耳以上に触り心地のいいフサフサとした尻尾が生えていた。
「‼︎ッ〜〜!」
首を絞める前から抵抗する素ぶりは無く、それは触れた瞬間にビクンッと体を跳ねさせた。耳を鷲掴みにしたり、尻尾を引っ張るたびにそれは体を跳ねさせ、弄んでいるうちに楽しくなってきた。しばらくの間、ノアがにぎにぎと触り心地を存分に堪能していると、それは次第に動かなくなりパタリと倒れる。
また自分の勝利だ。
「くははは、次はどいつだ。 最強はこの僕だぁぁあ」




