5-4 七夕物語(中二)の公演だ! 上
そして来たる7月26日木曜日。ついに公演の日を迎えた。
俺は自転車に跨り、目的地に向けて発進。
演劇部は一度ヤギコーに集合してから地下鉄にて目的地に向かう予定だ。だが、地下鉄になんか絶ッ対に乗りたくない俺は現地集合とさせて貰った。
俺は自宅から約30分かけて、目的地の肩平市民センターに到着。既に玄関口付近で演劇部の面々がたむろしており、俺以外は全員揃っているようだった。俺は自転車を駐輪場に止めてから、彼等と合流する。
「全員揃ったな。では行くぞ」
そう言って、大門先輩は市民センターの中へ。俺達もぞろぞろと続く。
公演は肩平児童館、正確には児童館が併設されている、肩平市民センターにて行う。
市民センターには会議室や和室等の施設があり、今日は演劇に適した1番広い和室を使用する予定だ。
その和室には舞台がついており、ピンスポットライト・マイク・スピーカー等の照明・音響設備も揃っているため、それなりに本格的な舞台を作ることができるらしい。
ヤギコー演劇部は毎年7月下旬に、子供向けの七夕物語を公演することが恒例行事となっていた。そして、公演の主なキャスト・スタッフは1年生。つまり、この舞台は新入部員に経験を積ませるための舞台なのだ。
……オイちょっと待て。俺はあくまで仮入部なのだが。新入部員違うのだが。
「おはようございます。お待ちしておりました」
全員が玄関の内側に足を踏み入れたところで、玄関隣の事務室から40代と思わしき女性職員が、柔和な笑みを浮かべながら出てきた。俺達も「おはようございます」と挨拶する。
「大門寺くん。それに皆さん。今日はよろしくお願いしますね」
そう言って、女性職員はぺこりと頭を下げた。
「うむ。こちらこそよろしくお願いします」
大門先輩もまた軽くお辞儀をした。俺達も大門先輩に倣う。
「……あら? 悲室ちゃんは来てないのかしら?」
女性職員はキョロキョロと俺達を見回しながらそう言った。
次の瞬間、演劇部の空気が張りつめる。
「メゴは……悲室はちょっと、都合が悪かった」
大門先輩が、覇気のない声でそう告げる。
「あらそう。皆も悲室ちゃんのことを楽しみにしていたのに」
頬に手を当てながら、心底残念そうに呟く女性職員。
「じゃ、悲室ちゃんによろしく伝えておいてね。皆悲室ちゃんに会いたがってたって。あらやだ。これだとオバサン達が、みたいに聞こえちゃうわね。勿論子供達のことよ。まあ、私達も悲室ちゃん会いたいけどね。大人気よねえ悲室ちゃん」
女性職員はクスクスと笑いながら「悲室ちゃん」を繰り返した。だが、悲室という名前が繰り返されるたびに、演劇部の空気がまるで呪いにでもかけられたかのように重々しくなっていく。
『もうその名前を出すな』
部員達の眼が、無言でそう訴えていた。
「だが朗報がある!」
大門先輩はどんよりとした空気を蹴散らすかのように大声を張り上げた。そして素早く俺の後ろに回り込む。
「悲室とは方向性が異なるが、それに並び立つ二枚目新入部員がこいつだ!」
女性職員は「あらまあ」と頬を赤らめた。
「新入部員じゃあありません」
俺はキッパリ否定する。
ヤベエ。この人、外堀も埋めていく厄介なタイプだ。
「確かに3年生での入部は気が引けてしまうよね。でも、ヤギコー演劇部はいい子ばかりだから、快く受け入れてくれるわ。頑張って!」
しかし、女性職員は俺の発言を別の意味に勘違いしたらしい。背後がクスクスしている。俺はシクシクだった。
いいさ。老けて見られるのは慣れっこだい。
「あ! 中二のお兄ちゃんだ!」
開き直った俺に向けて、今度は若く見られる発言が飛んできた。
事務室隣の児童館から小柄の少女が飛び出し、俺の元へと駆け寄ってくる。俺は少女の右手にぶら下がっているぬいぐるみを見て、彼女が何者か思い出した。
彼女は以前、川にキモカワ系ペンギン型ぬいぐるみのモニーちゃんを落として泣いていた少女だ。
「おはよう。1ヶ月半ぶりだね」
「あ、そうだった。中二のお兄ちゃん。おはようございます」
忘れていた朝の挨拶を慌ててする様子がとても微笑ましい。
「違いますよ。このお兄ちゃんは高校生です」
女性職員が訂正する。
「えー。でもお母さんが、お兄ちゃんは中二病だって言ってたよ。間違ってないよね中二のお兄ちゃん」
無邪気な笑顔で、少女は俺に同意を求めた。女性職員が顔を背け「プッ」と笑った。背後の演劇部共もケラケラと笑う。
「お兄ちゃん。中二病治った? それとも辛い?」
少女の発言の直後、周囲は爆笑の渦に包まれる。
うん。現在進行形で辛いです。その悪気のない純朴さ、魔王に会心の一撃です。
***
「良い子の皆にお願いがあります。まもなく劇が始まるから、ケータイを持ってる子は電源を切るか、マナーモードにしてね。守れない子はウンチ投げつけちゃうよ」
「ウンチー!」「ウンチだって!」「くそ投げんぞ!」「ウンチウンチうるさい!」「お下品なアナウンス」
開演前のウンチアナウンスに子供達がワイワイと反応する。
子供って不思議とウンチ好きだよなあ……と、普段なら感慨深くなるのだが、今の俺はそれどころじゃあなかった。
俺は既にヒコボシの衣装に着替え終え、準備万端なのだが……そわそわして落ち着かない。
自分の台詞を小さく呟く。
演技を脳内でイメージする。
それを何度も繰り返した。
問題ない。完璧に頭に入っている。だが、動悸は一向に収まらない。寧ろ、どんどん早くなっている気がする。
俺は自分自身を強心臓の持ち主だと思っていた。
実際、他人に話し掛けたり、未知の店に飛び込むのは平気だ。人の前に出て話したことだって、何度も経験がある。
なのに、何故ここまで緊張するのだ?
主な観客は子供だし、金を取っている訳でもないのに……何故?
「緊張しているか?」
大門先輩がポンと、肩を叩いてきた。
「ええ、まあ……大門先輩は緊張しないんですか」
「しているぞ。開演前はいつでも緊張でピリピリだ」
「……そうは見えませんが」
俺の目には、大門先輩は余裕綽々に写っている。
「そこは経験の差だな。始まってしまえば緊張など吹き飛ぶということを、経験的に分かっている。だから心臓が張り裂けそうでも落ち着いていられる」
「そういうもんですか?」
「そういうもんだ。田中も今に分かる。最初の台詞さえ言ってしまえば、後は流れに身を任せるだけだ。さあ……大きく楽しんで来い!」
大門先輩はバシン! と音が鳴るほど力強く俺の背を叩き、舞台袖へと送り出した。
痛い! 背中に真っ赤なもみじができているかもしれない。
俺は振り返り先輩を睨み付けた。大門先輩は、意地悪なガキ大将のようにニヤニヤと笑っていた。
後で仕返ししてやる。そう心の中で悪態をつける程度には、肩の力が抜けていた。
『むかーしむかし、あるところに、オリヒメという美しい女性が住んでおりました』
幕の向こう側にて、ナレーター役による朗読が始まった。遂に舞台が始まったのだ……
腹の中身が引っくり返るような感覚に襲われる。
「レンちゃん先輩が言ってたろ。肝心なのは、最初の台詞だ」
隣で待機中の姫路先輩が、こちらも見ずに小さく呟いた。これから舞台に挑む彼の横顔はとても頼もしく、凛々しさすら感じる。
姫路桃太郎先輩は今日の舞台に立つ人間の中で、唯一の2年生だ。これは1人経験者を混ぜることで、1年生に安心感を与えるための配役。そしてその配役は成功だった。少なくとも俺にとっては。
なお、桃太郎という名の通り彼は男である。男である彼が何故オリヒメ役なのか? それはムサイ男2人によるラブロマンスで笑いを取るため……ではなく、姫路先輩は美少女と見まがう程の可憐な容姿なのである。
後にエルフ先輩から教わるのだが、姫路先輩のような容姿の持ち主は『男の娘』と呼ぶらしい。上手い言葉を考えた奴がいたものだ。
『しかし、2人は仕事をサボり、遊び歩くようになってしまったのです』
さあ、いよいよ出番だ……
俺と姫路先輩はアイコンタクトの後、舞台へと躍り出る。
「ヒコボシさま。今日のデートはどこでしょう?」
姫路先輩が自然な女声を作る。観客の中に、彼の性別が男だと気付ける者は居ないだろう。
「愛しきオリヒメよ。今宵は深き闇の中で、海の中の生きとし生けるものを陸へと招待するのだ」
台本どおりのセリフと共に、俺は手に持った釣竿を高々と掲げた。
「まあ、何て回りくどい言い方。釣りだと素直に言えばいいのに。流石はアクムの生まれ変わりです」
「一文字違う。アクムじゃあない。ムじゃなくて……」
「そうでした。アクビちゃんの生まれ変わりでした」
「ハックション! いや違うそうじゃない。マだ。最後はマ。アク……」
「そうでしたそうでした。アクマでも人でしたね」
「余計な言葉を付けたすな! 俺は悪魔――」
「失礼しました。ウンチの生まれ変わりでしたね」
「一文字も合ってない!?」
「貴方みたいなアンポンタンマンはウンチで十分です」
オリヒメの苛烈な突っ込みとウンチ発言に、子供達がゲラゲラと笑ってくれた。俺は心の中でガッツポーズを取る。
先輩達の言った通りだった。
最初の台詞を行った後、次の台詞がスルスルと出てくる。体も自然に動く。緊張はどこ吹く風。そして、観客の視線や反応が気持ちいい。
シンプルに言うと……楽しい!
舞台は滞りなく進み、そして物語は終盤を迎える。
最初の緊張が嘘のようだ。今ではもうベテラン俳優のように、演技中に観客の顔色を窺うことすらできる。
「天の神よ。約束通り7つのデビルボールを集めたぞ。姿を現せ!」
俺は舞台の中央に立ち、観客を一瞥する。一連の演技の最中に、偶然彼女の姿を発見した。
……どうして音無さんが来ているのだ?
彼女は最後尾から、悲しそうに劇を観ていた。
「ふん。まさか本当に集めてくるとはな。しかしヒコボシ。オリヒメと会うには条件がある!」
舞台袖から父親役が現われ、俺を指差して叫ぶ。
あれ? 次の台詞なんだっけ?
先程まで流れるように出ていた台詞が、喉の奥に引っ込んでしまった。
肺に留まる台詞が鉄に変換されたのか、胸が異常に重く、そして冷たい。
それとは対極的に、頭は空っぽのように軽い。
真っ白だ。頭の中が真っ白。スカスカのスポンジ。
必死に頭を回している筈なのだが、何も思い浮かばない。
舞台には魔物が棲んでいる。
俺は台詞の代わりに、稽古中に言われた言葉を思いだした。




