1-7 我が業(中二病)が俺を滅そうと画策する 下
信長と別れ、俺は教室まで戻ってきた。早退の言葉はもう考えてある。
『ゲホッゲホッ……早退する』
これだけだ。これだけ言えばいい。咳をしつつ、早退を告げる。それ以上は口を開かない。無理に話そうとすると、勝手にイタイタしい発言が口から飛び出てくるのだから、最低限の言葉で済ませてしまおう、という作戦だ。少々礼儀に欠き、余り気が進まないのだが、背に腹は代えられぬ。
俺は扉の前で一旦立ち止まり、深呼吸した。
扉はゆっくり開けろ。油断すると勢いよく、そして華麗にて流麗な決めポーズをとりながら扉を開きかねない。俺の右手よ。今だけは大人しくしていてくれ……
だが、だがだがだが! 右手が己が力を見せつけまいとプルプル震え、暴走を始める。俺はその場に屈み、必死の思いで右手を押さえつけた。
クッ……静まれ我が右手ギガ・デストロイよ。一振りで街を滅する破滅の王笏よ。今は貴様の力を行使すべき時ではない――
「おい田中。大丈夫か?」
そんなこんなしている内に、ライム先生の方から教室の扉を開け、心配そうな声を掛けてきた。
「どうした? 腹が痛いのか?」
どうやら先生は、しゃがみ込んでいる俺を見て勘違いしたようだ。ご心配をおかけして大変申し訳ない。お腹は痛くはありません。イタいのは俺の行動です。
だが、このイタい行動が功を奏し、思いがけないチャンスが生まれた。
「気分が優れないなら、早退するか?」
まさか先生の方から早退を勧められるとは……フククククク、やはり世界は魔王たる俺様を中心に回っているようだ。
俺様はスッと立ち上がり口を開いた。
「早退なぞ有り得ぬ! この魔王たる俺様がそんな軟弱なことをすると思っているのか。見縊られたものだな」
「や、やっぱ早退したほうが……」
「心配御無用! この程度の戒めなぞ、どうということなし!」
俺様はライム先生を横切り、胸を張りつつ、かつ、ドスンドスンとワザと大きな足音を立てながら自席へと戻った。そして腕を組みながら威風堂々と着席。
「……では、田中君も大丈夫みたいですし、授業を再開します」
俺は机の上に突っ伏した。
うん。まあ、心の奥で早退は嫌だと思ってたよ。具合が悪いわけじゃあないから、いささか罪悪感も覚えてたし。どうやら俺が見舞われているこの症状は、心の奥で思ったことや感じたことが表面化するという厄介なオプション付きのようだ。
「その、田中君……大丈夫?」
隣の十字架さんが、ヒソヒソ声で話し掛けてきた。
「やっぱり具合悪そうだし、早退した方が……」
「フククククク……魔王たる俺様が病に伏せるなど在り得ぬ」
十字架さんの引きつった顔。集まるクラスメイトの視線。ライム先生だけが俺を無視し、授業を続ける。
我に返り、恥ずかしさの余り両手で顔を覆った。顔が熱い。多分耳まで真赤になってる。
なんなのコレ? 何が原因なの? ホント勘弁して下さい。
「そ、その……ごめんなさい」
十字架さんはそれだけ言うと、黒板の方に向き直った。俺は申し訳ない気持ちで一杯になる。彼女には後できちんと謝ろう。
取り敢えず俺は教科書とノートを机に広げ、授業に集中することにした。
授業も中盤に差し掛かった頃、視界の隅に、生徒同士が小さな紙をやり取りしているのが目に写った。授業中の私語は基本的に厳禁だ。だから、授業中はああやって紙に書いてやり取りする。
スマートフォンを使うという手もあるが、発見されれば即没収の為、そのリスクを避けるためにも紙を使っているのだろう。
……ん? 紙に……書く?
ピカッと、頭頂部の豆電球が点灯した。
そうだ。文字という手があった! 文字を書けば喋らずに済む!
思い立ったなら即行動。俺様はノートに、十字架さんに向けた謝罪の言葉を書き込んでいく。
『十字架さんへ。先程は大変失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございません。酷く怯えたであろう。LV99の勇者と遭遇したゴブリンのような表情で、大きく揺れ動いておった。だが恥じることは無い。魔王たる俺様の魔力を浴び続けてもなお、正気を保てていること自体が奇跡――』
!!?
我に返り、ノートに書き込んだ文字列を黒く塗りつぶした。
書き直しだ書き直し!
最初の2行はまともな言葉で書き出せているのだ。
ゆっくりと丁寧に書けば、きっと上手く行くはず……
『拝啓 梅雨入りの候、湿度の増す暗鬱たる教室の中、いかが冒涜的な生活をお過ごしでしょうか。
さて、此度俺様の狼藉にて、正気を失いかねない思いをされたかもしれません。突然のことで、当方も一時的に錯乱しておりますが、決して邪悪なる意思によるものでは御座いません。
確かに、貴方様の持つ巨大な宝珠に、背徳的な感情を抱いたことは否定できません。しかし、その2対の小宇宙には魔王ですら抗いがたき圧倒的魔力を有しています。
つきましては、底知れぬ名状し難き魔力の秘密を解すべく、小宇宙の体積と硬度を経験学習させて貰えないでしょうか。
敬具』
……おい、一行目から何かおかしくなっているぞ。婉曲的に表現してるが、後半ただのセクハラじゃねえか。セクハラ駄目! 絶対! 理性を保て俺。ふざけてる場合じゃないのだ。書き直しだ書き直し!
『貴様のメロンパイを供物に捧げよ』
理性何処行った!?
「田中ァ!」
「ハイッ!?」
突然の指名に、変に裏返った声が出た。
「授業聞いてんのか?」
「一字一句漏らさず聞いてます!」
「じゃあ問い4の答えは?」
ライム先生の声は少々苛立っていた。授業そっちのけで落書きしていたことがバレたのかもしれない。内容について言及されなかった慈悲が身に染みる。
「えーっと……X=√3。Y=-1です」
「……正解だ」
予習しといて助かった。魔王たる俺様は常に備えを怠らないのだ。
「一応、真面目に授業を聞いていたようだな……」
「フククククク……当然のこと。貴様の愛用する偽装頭髪と違い、俺様に嘘偽りは無い」
摂氏零度まで教室内の気温が下がり、空気がピキピキと音を立てて凍りつく。一拍子遅れて自分が何と発言したか理解した。ヤベエ。
「……田中君? 今何て言ったのかな?」
「い、いや、違うんです。聞こえてなかったか? ならば今一度ハッキリと言おう! 浸食度8の使徒、頭髪偽装不定形魔人ズライムよ! 第7階位擬装偽術【華面頭】なぞ、俺様のフォレンジックアイより御見通しだ!
いや違うですそうじゃないんです! 確かにズラだって思ってましたけどそうじゃないんです!」
ライム先生の顔が、白き般若のごとき形相へと変貌する。顔色は怒りで真っ赤に染まっていたが。おめでとう。ズライムはズライムベスに進化した。
「ちちち違うんです! 俺様は知っているぞ。髪が伸びている様に錯覚させるために、涙ぐましい努力をしていることをなワハハハハハハ! 複数のズラをこまめに交換していっても、結局は不自然に髪が伸びてるから割とバレバレ……」
おいヤメロ! 思ってても言葉に出しちゃいけねえことだよそれは!
何人か耐え切れなくなったのか、教室からポツポツと笑い声が上がり始める。
お願い笑わないで。そういうつもりは一切無いのだ。だが、俺がテンパればテンパるほど症状も状況も悪化していく。
「そうじゃないんです! そうじゃなくて、魔人ズライムよ。魔王からの邪悪なる宣託だ。より高度な頭髪偽装術を習得したくば、保健室のアッラ・フォーを訊ねるとよい。
厚井先生、実は植毛してるんで良いアドバスが貰えると思います……ってアッレえ、俺何言ってんの!? じゃなくて、あぁズラが! ズラが!――」
***
まさか高校生にもなって、バケツを持たされ廊下に立たされるなんて思わなんだ。
「フククククク……魔王たる俺様にこのような仕打ち……ズライムめ。腕を上げたな。だがしかし、これで終わる俺様では無いぞ!」
そして俺様はバケツを持つ手を高々と上げ決めポーズ。勢い余って、バケツの水を頭から被ることになり、びしょ濡れに。俺の罰に廊下清掃とトイレ清掃が加わった。もー、ヤダ。