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中二病を治したかったのだが! ~それは青春というより黒春~  作者: 中山おかめ
第肆幕 オトンが誰か分からないんやけど
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4-16 闇に病んだ悩み ver.カッコウ

 悪夢のような光景だった。


 ジュンが見知らぬ3匹の猿に組み敷かれていた。聞きなれた筈のパシャリパシャリというシャッター音が、この時は酷く不快だった。

 ジュンは止めて止めてと泣き叫んでいた。だが肌と肌がぶつかり合う音が止むことは無かった。プツンと血管の切れる音がした。僕は行為を止めぬ猿めがけて突進した。


「撮影中につき関係者以外立ち入り禁止です」


 1匹の猿が僕の前に立ちはだかった。僕はその下卑た笑顔に拳を叩き込もうとした。でも振るった拳はあっさり躱され、逆に殴られた。別の男によろめく僕の背中を蹴られ、地面に転んでしまった。


「オバケは大人しく眠ってな」


 トンカチで釘を叩くように何度も何度も背中を踏まれ、僕は昆虫標本のように動けなかった。だが意識は明瞭で、ジュンの泣き叫ぶ声がいつまでもいつまでも耳に残った。悔しくて悔しくて堪らなかった。猿共を叩き伏せる力が僕にあれば……


 ※『白と純』第4章4節より


 ***


「いつも思うのですが、キャッチコピー馬鹿丸出しなのです」


 江口さんはファミリーレストラン・ゲストのメニュー表に書かれたキャッチコピーを指差しながら言った。


『お客様をいつでもゲストとしておもてなし』


 そもそもゲストとは客の意味である。店側としては、どんなお客様でも丁重におもてなしします、という意図を伝えたいのだろうが、実際の意味としては客を客としてもてなすという、至極当然のことを言っているに過ぎない。


「まあ何となくニュアンスは伝わるから、問題はないのではないか」


 この国の人間はゲストという言葉に高貴な印象を抱いているフシがある。只の客ではなく、お客様。そんなイメージ。


「それで二郎さん。目的は何なのですか?」

「デートと言ったじゃあないか。俺と一緒は嫌か?」

「無理にチャラ男を気取らないで欲しいのです。気持ち悪いのです。いつものサイコパスな二郎さんに戻って欲しいのです」

「オマエホント酷いな。でもまあ、今回ばかりはサイコパスと言われてもしょうがないか……」


 俺はテーブルに擦り付ける勢いで頭を下げた。いや、実際に擦り付けた。


「ゴメン。見てしまった」


 ただそれだけで、江口さんは全てを理解したようだった。


「……ああ、別に減るものでもないですし、見てしまったのはしょうがないのです」


 以外なことに江口さんはプライバシー侵害を怒らなかった。寧ろ安堵すら覚えているように見えた。もしかしたら彼女は、ずっとずっと誰かに相談したかったのかもしれない。


「ビックリしましたか?」

「ああ、ビックリした」


 その事実を知った時、俺は脳味噌がカチ割られた気分だった。落雷を受けたかのような衝撃だった。

 他人の俺ですら身を焦がす程のショックを受けたのだ。当人が受けた衝撃はきっと何倍もの、いや何十倍もの威力だろう。


「なあ江口さん……愚痴ならいくらでも聞くよ。必要なら胸を貸すよ」

「じゃあその雄っぱいを揉ませて欲しいのです」

「うっ……それで江口さんの気が紛れるのなら幾らでも」


 だが江口さんがそうすることは無かった。彼女のセクハラ発言は、平静さを取り繕うためのものだったのかもしれない。暫く沈黙。やがて江口さんの瞳からポロリと涙が零れ落ちた。宝石のように輝く涙をみて、俺はあのDNA鑑定結果が脳裏に浮かぶ。


 江口杉子と十字架聖奈が姉妹である確率:ほぼ100%

 江口聖と十字架聖奈が親子である確率:ほぼ100%

 江口聖と江口杉子が親子である確率:ほぼ()


「どうしてわたしは……パパと血が繋がっていないのですか?」


 父親が非血縁。それが江口杉子の、闇に病んだ悩みだった。


「パパと同じ白い髪、紅い目を持って生まれたのに、どうして……」


 アルビノからアルビノ個体が生まれるとは限らない。寧ろ、通常個体が生まれる可能性の方がずっと高い。だからこそ彼女もアキラさんも、自分達の血の繋がりを信じて疑ってなかった。


「何故DNA鑑定をしようと思ったのか、聞かせて貰ってもいいかな?」


 俺はハンカチを江口さんに渡した。彼女は溜息をするかのように鼻をかむ。


「パパに、ママの写真を見せて貰ったことがあるのです。とても綺麗な人だったのでよく覚えていたのです。そしたらヤギコーにその人とそっくりな聖奈さんが居たのです。わたしはまさかと思い、暫く聖奈さんを観察を続けてたのです。でも外見が似ていること以外は何も分からなかったのです。だからわたしは強硬手段を取ることにしたのです」

「それで、あの日屋上で髪の毛を抜き取ったのだな」

「ハイなのです。聖奈さんの髪の毛を入手したわたしは、厚井先生にDNA鑑定をお願いしたのです。この時、聖奈さんとわたしのものだけでなく、聖奈さんとパパの鑑定も依頼したのです。聖奈さんとわたしが姉妹であることさえ分かれば必要のないことだったのですが、念のため……というよりも本当に只の気まぐれから、パパの髪の毛も一緒に提供したのです。そしたら鑑定結果にはわたしとパパの分まで含まれていたのです」


 江口聖と江口杉子が親子である確率:ほぼ0%


「わたしは目を疑ったのです。何度も目を擦りました。何度も確認しました。ですが鑑定結果は間違いなく、わたしとパパが実の親子ではないことを示していたのです」


 父親と信じていた者が、実は他人だった。その事実をたった独りで知ってしまった彼女が心に大きな傷を負ったことは言うまでも無いだろう。


 いや、傷と言うよりも、それはもはや穴だ。マンホールのように大きく、蟻の巣のように複雑に入り組んだ穴。江口さんは唐突に穿たれた底の見えない穴を埋めようと、独り必死に足掻いていたのだ。


「……パパに、知られるのが恐いのです。嫌われたく、ないのです」


 江口さんは見知らぬ土地で独り迷子になった子共のように、途方に暮れた声で独りごちた。


 聖さんが江口さんを嫌うかどうかは置いておいて、少なくとも傷付くのは間違いないだろう。手塩を掛けて育ててきた愛娘が他人の娘であるという事実が、親にとってどれほどの衝撃であるかは、まだたった16のガキである俺には想像すらできない。


 でも江口さんの気持ちなら想像することはできる。


 俺も父さんのことを、血の繋がった親だと信じて疑っていない。父さんもそうだろう。だがもし、江口さんのように非血縁である事実を、俺だけが知らされたらどうだ。どう感じる。


 全身を流れる血液が液体窒素に変換されたかのように、内側から体が凍り付いく。怖気が走り、嫌悪感で自分を殴りつけたくなる。父さんの笑顔が過ぎり、申し訳なさで胸が一杯になった。


――パパ……ごめんなさい。


 そうか……彼女は父親に対して、罪の意識を抱いているのか。

 血が繋がっていないという事実は、子供にとって親に対する最大の裏切りなのだ。


「もう……どうしたらいいのか分からないのです」


 彼女の譫言(うわごと)にも似た叫びを聞いていく内に、今まで不可解に思っていた江口さんの行動が、輪郭が持ち始める。


――わたしは、聖奈さんと純粋に仲良くならなければならないのです。


 何故江口さんは、十字架さんと仲良くなることに固執したのか。

 それは確たる血の繋がりを求めたからだ。

 自らの地盤が急に揺らぎ始めたため、江口さんは確固たるアイデンティティーを求めたのだ。


――あんなんと血が繋がっているなんて反吐が出る! 


 何故江口さんは、あの日錯乱した聖奈さんのことを、ボロボロと涙を流しながら叩いたのか。

 それは見つけたはずのアイデンティティーが、当人に否定されようとしていたからだ。

 もしかしたら父と血の繋がりを持つ十字架さんに対する嫉妬もあったのかもしれない


――血の繋がった大事な娘にナニしやがった!


 何故江口さんは、鑑定結果を父親に相談しなかったのか。

 相談できるわけがない。聖さんは江口杉子を、レイナさんとの間に生まれた娘と信じて疑っていないのだ。

 父親が知ってて娘を育てた場合と訳が違う。

 安易に話したら、2人の関係に間違いなく亀裂が生じる。


「……本当の父親を探してみるか?」


 江口さんは首を横に振った。


「探したくないのです。だって、わたしの本当の父親はきっと――」

「済まない……軽率な発言だった」


 『白と純』がノンフィクションだというのなら、恐らく江口さんの本当の父親は……


「わたしは……カッコウなのです」


 兎がキュウンと泣くように、江口さんはか細く震えた声を絞り出した。


 カッコウは托卵という習性を持つ鳥類だ。托卵とは、卵の世話と子育てを別の親に托す行動である。こう言うと共生のように聞こえるが、実際には寄生に近い行動だ。


 孵化したカッコウは巣の持ち主の卵を、時には生まれた雛すら巣の外に突き落とし、殺すという。そして他の卵と雛を全滅させた後、巣で唯一の存在となったカッコウの雛は、仮親の寵愛を一身に受け、すくすくと育っていく。


 江口さんは、実は他人だった父親に育てさせた自分を、そんなカッコウとなぞらえているのだ。


 俺は……独り寂しく泣くカッコウの心の穴を埋めてあげたい。彼女の痛みを消してあげたい。だってそれが、心の穴を埋めるのが、魔王の務めなのだから。


『おい……何を考えている。ヤメロ』


 俺の中の"ニンゲン"が、俺を引き止める。


『それはいけないことだぞ』


 分かっている。


『場合によっちゃあ、傷を広げちまうぞ。そん時どうする』


 その時は一生をかけて償うさ。


『ハッ! 相変わらず重くて煩わしい奴だ』


 よく、分かっている。


『いいぜ。もう好きにしな馬鹿魔王。好き勝手やって勝手に自滅するのがお似合いだ』


 勝手なのは重々承知。

 だが、自滅する気は毛頭無い。


 そして俺様は自らの手で眼鏡を外した。

 それ即ち偉大なる魔王降臨の儀。


「白兎エロスギネ……いや、名前改め白兎イノセンス・ラヴよ」


 俺様は一筋の闇を、次につながる一手を、独り震える白兎に垂らした。


「カッコウであり続けろ。父親を欺き続けろ。秘密は墓場まで持って行け」


 高圧的に告げると、嫌そうに彼女は表情を歪めた。


「そんなのパパに悪いのです」

「ならば、洗い浚い真実を話すか?」


 白兎は首を、半ば狂乱気味に振った。


「そんな事、怖くてできないのです!」

「ではカッコウであり続けるのだ」

「嫌なのです! 育ての親を騙し続けて、感謝の気持ちなんて微塵も無く、最後には親を捨てるように巣立っていく。そんな冷酷な悪鳥にはなりたくないのです!」


 確かにカッコウは、仮親を欺き他人の子供である自分を育てさせる。傍から見ると、恐ろしい習性である。冷酷と思われても無理ないだろう。でも……


「俺様はそう思わない」


 はたしてカッコウは、仮親への感謝の気持ちが無いのだろうか。仮親の愛を受け続けた雛が、育ての親への愛を一切持ち合わせないことなんて有り得るのだろうか。


 以前観たドキュメンタリーで、カッコウの巣立ちの日、仮親は満足げに、立派に成長した我が子の後ろ姿を見送っていた。巣立つカッコウも、どこか物悲しい目で仮親を一瞥してから飛び立って行った。仮親を最後まで欺き抜いて、気持ちよく巣立ちの姿を見送らせることが、カッコウなりの愛情なのではないか?


 所詮は動物。そんな高度な感情持ち合わせていないと言われれば、それまでかもしれない。でも、実の親の愛情を受けられない運命を持つ鳥類にも苦悩がある筈なのだ。


「腹を括れ。口外(オープン)黙秘(サイレンス)の2択のみ。なら黙ってる方がいいに決まっている」

「……でも、やっぱり裏切り行為だと思うのです」


 親に隠し事をし続けるのは、それだけでストレスになってしまう。この問題を解決できなければ、彼女の心は軋み続けるだろう。


「もし隠し続けることが辛いというのなら、自分を欺くのだ。思い込みは貴様の得意分野であろう」


 そして俺様は彼女を誑かす呪文を唱えていく。


「そもそもほぼ(・・)ゼロパーセントだろう。もしかしたら0.000000001パーセントで血縁者かもしれないじゃあないか」

「馬鹿言っちゃいけないのです。宝くじが当たるよりも低い確率、何の根拠も無しに信じられる訳がないのです」

「根拠ならある」


 白兎が息を呑んだ。


「貴様と父親は共にアルビノだ。非アルビノからアルビノ個体が生まれる確率は非常に低い。アルビノの父親が、血の繋がりのないアルビノの少女を娘に持つ事など、それこそ宝くじが当たるより低い確率であろう。ならば、素直に貴様の父親は江口聖であると考えた方がよほど現実的ではないか? もしくは鑑定結果にミスがあった」


 詭弁なのは重々承知。

 信じたいと思える可能性を彼女に提示することが、重要なのだ。


「……そうだと、いいな」


 白兎が僅かに笑みを浮かべた。俺様は畳み掛ける。


「さて白兎イノセンス・ラブ。口外(オープン)するか。それとも黙秘(サイレンス)か。どちらを選ぼうとも、俺様も助力を尽くそう」


 白兎は俯け続けていた顔をようやく上げた。目尻に涙が溜まっていたが、決意に満ちた眼差しだった。


「さあ決断の時だ。オープン・オア・サイレンス?」

「サイレンス」

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