4-5 イケメンの家にお泊りでドッキドキ! 廉
田中と共に2階のリビングへと上がり、キンキンに冷えた麦茶を振る舞われた。冷たい喉越しがとても心地よく、一度口を付けてから中身を飲み干すまで、コップを手放せなかった。
アタイはどうやら、自分が思っていた以上に喉の渇きを覚えていたらしい。麦茶のおかわりが注がれ、今度は慌てずゆっくりと口にした。香ばしい麦の香りともに、舌を撫でる酸味と塩味。麦茶に麦茶以外の何かが入ってる。
「何これ凄く美味しい。ただの麦茶じゃない?」
「塩レモン麦茶。夏バテにぴったりなのだ」
「今度私も買おうかな。どこのメーカー?」
「手作りだから売ってないよ」
「へえ! 田中君のお母さん料理得意なんだね」
「いや、俺が作ったのだ」
その言葉に、アタイは目を見開いた。この激ウマ麦茶は田中二郎特製? だとしたらやっぱり……
「田中君、聞いてもいい?」
「どうぞ」
昨日からずっと気になっていたことがあった。昨日、田中は「父さんは留守」と言った。「両親」ではなく、田中は「父」と限定した。
今朝の掃除だって、田中が馬鹿丸出しで歌っていたことに目を奪われがちだったが、掃除自体は非常に手馴れたもので、日常的に家事をこなしていなければあそこまで効率的に働くことはできない。つまり……
「田中君のお母さんは……」
踏み込み過ぎだ。アタイは途中で言葉を止めた。だが、もう言ったも同然だった。
「うん。ご想像通り、母さんは家に居ない」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃあない。それと、多分勘違いしていると思うけど、母さんは死んだのではなく、俺が小学生の時に出て行ったのだ」
田中は自らの家庭事情について流暢に語った。その口振りから悲壮感は感じられない。でもそれはそれで悲しい気がした。
「どうしてそうなったのか、聞いてもいい?」
「よくある話だ。母さんが父さんに愛想を尽かした。そして姉さんは母さんに付いて行った。俺は父さんを放って置けなかったからここに残った。ただそれだけの話」
人に歴史あり。アタイは今、その言葉の意味を噛み締めている。
田中はアタイと違い、裕福で円満な家庭環境で育った人間だと思っていた。だからいつでも底抜けに明るく、爽やかな笑顔を振りまき、他者に優しくすることができるのだと思っていた。
今朝の奇行を目撃して、悩みの無い奴は羨ましいと妬んだりもした。アポイントも無く家に押しかけ、半ば強引に泊めて貰っておいて言うのもなんだが、正直アタイは田中の事を遠い存在、異なる人種だと感じていた。
だが、それらは思い込みだった。アタイはただ、田中のことを何も知らなかっただけなのだ。
それに、親が片方しかいないという事実により、不謹慎かもしれないが彼に親近感を覚えた。今まで以上に、田中という人間に興味が湧いた。顔が好きだからとか付き合いたいとか、そういうのを抜きにして、アタイは彼の事をもっと知りたいと思った。
「さて、俺はまたシング・ア・ソングしに戻る。今度は盗み聞きするなよ」
ジメジメと湿度の増した空気を入れ替えるためか、田中は努めて明るく言った。
「掃除が終わったら朝食を作るから、それまで適当に寛いでくれ。麦茶は自由に飲んでくれて構わない」
「わ、私も掃除手伝う!」
泊めて貰った手前、何か彼に返したかった。だが、田中はアタイの申し出に難色を示した。
「気持ちは嬉しいのだが、部外者を医院スペースに入れる訳にはいかないかな……」
「じゃあ、他に何か手伝えることはない?」
「そうだな……それじゃあ洗濯をお願いできるか? 2人分いきなり増えたから、やってくれると助かる」
「任せて。洗濯は私の得意分野だよ」
「おお頼もしい。では宜しく頼む。ああ、それともう一つお願いがあるのだが……」
田中が途端に神妙な表情となる。
「その……歌いながら掃除してたことは黙っててくれ。特に信長には知られたくない」
何を言われるのか身構えていたアタイだが、その願いを聞いて脱力した。
「言わない言わない。アタイはデリカシーの無い男じゃないんだから」
アタイの返事に安堵したのか、田中は表情を緩めた。少々反応が大げさすぎやしないかと思ったが、アタイはその真意を後に知ることになる。
***
田中からのお願い事の内容を考えながら、アタイは個々の洗濯物に適切な対処して、洗濯機の中へ放り込んでいく。
タオルやハンカチは広げてから、ズボンやシャツは色落ちを防ぐために裏返しにしてから。手にした衣類がズボンやワイシャツであれば、ポケットに中に何か入ってないか逐次チェックする。
もし、ポケットにレシート等の紙類が入っていたら、洗濯物は大惨事になるからだ。アタイが洗濯初心者のとき一度やらかしてしまい、衣服にへばり付いた紙を取り除くのに大分苦労した。
手伝いを申し出て置いて、逆に手間を掛けさせてしまうことは絶対に避けたかった。故に、アタイは洗濯籠の中の衣類を一枚一枚広げ、入念な確認を怠らない。
「キャッ!?」
クルクルに丸められた布を広げ、それが何なのか理解した瞬間、アタイは短い悲鳴を上げてしまった。
手にしたのは、青と黒のクールなストライプ柄のトランクス。父親と暮らしたことのないアタイが初めて手に取った男性用下着。田中が穿いていたもの。田中の下半身を柔らかく保護していたガードマン。それを理解するや否や、アタイの中で好奇心と罪悪感が舌戦を始めた。
天使曰く「プライバシーの侵害にあたる行為だから駄目。そもそも男の下着なんて不潔」
悪魔曰く「単純に男女でどう違うのか興味があるだけだ、やましい気持ちは無い。他の男子なら不潔に感じるが田中は違う。田中が奇人なのは事実だが容姿は超一流。イケメンの下着とかお目に掛かれない。トランクス一丁の彼を想像すると興奮する。この機会を逃したらきっと次は無い」
常時悪魔が優勢だったが、最終的には「性格がアレでスケベな田中ならパンツをどうこうしても何の問題もない」という謎の暴論で悪魔は天使を叩き伏せた。
アタイはつい先日、田中の事を変態と罵倒したが、自分も人のことを言えないかもしれないと思った。
好奇心という名の悪魔に言われるがまま、アタイは手にした下着を伸ばしたり裏返したりしつつ、隅々まで間近で観察した。
男性用の下着はピッタリと肌にフィットする女性のものと比較して、かなりゆったりとしていた。恐らく、股間にぶら下がっているものを圧迫しない為で、理にかなった構造なのだろう。
そして何より特徴的なのは、男性用の下着は足を通す部分だけでなく、股間の中央にも穴が開けられていることだ。普段はボタンで閉じて置くようだが、有事の時はボタンを外して……どうしよう何かドキドキしてきたで。そしてアタイはトランクスの内側から第3の穴に向けて指を通し――
「……何してんの?」
背後から冷や水を掛けられ、ナマコのように内臓全てが口から飛び出るほどアタイは驚いた。振り返ると、下着泥棒を見るかのような、軽蔑した眼差しを送ってくる信長が立っていた。彼も田中の家に泊まっていたのだ。
「ちちち違うんや! 田中に(洗濯を)お願いされたんや! やましい気持ちなんて無いで! これはその……汚れをチェックしてたんや! 本当や!」
決定的証拠を突き付けられているにも関わらず、なおアリバイ工作を試みる犯罪者のように、アタイは弁明した。
「2重の意味で言い辛いんだけど……」
信長は一つ溜息を吐いてから、悲しそうに呟く。
「それボクのトランクス」
十字架聖奈、一生の不覚。




