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中二病を治したかったのだが! ~それは青春というより黒春~  作者: 中山おかめ
第肆幕 オトンが誰か分からないんやけど
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4-3 家出の理由

 ジュンはとても美しい女性だった。アイドルとして華々しく活躍できる程の美貌の持ち主で、こんな後ろ暗い業界で働いているのが不思議だった。聞けば彼女は18歳の若さでこの業界に身を落としたらしい。


 憐れな女だと思った。愚図で間抜けな女だとも思った。だから彼女に嫌悪感を抱いた。それは同族嫌悪だった。


 夢に破れ挫折し、生きる為にしょうがなく働くアリ。それが僕等だ。1匹消えたところで社会に何の影響も与えられない矮小な生き物なのだ。


 翌日に控えている彼女との仕事が、僕はとても億劫だった。


 ※『白と純』第1章4節より


 ***


 アタイ達3人は今、ちゃぶ台をちょうど正3角形の形で囲む様に座っていた。

 リンゴのような甘い香りがアタイの心を落ち着かせる。田中の手で、トクトクトクとテーブルの上に置かれた花柄のカップに紅茶が注がれていた。

 カモミールには心身をリラックスさせる効果があると聞く。田中は緊張したアタイの心を解きほぐすために、この紅茶を選んだのだろうか。

 田中は左斜め向かいに座る信長にも紅茶を注ぐ。


「どうしてジローちゃんの家に泊めて欲しいんだ?」


 信長はアタイに向けて単刀直入に尋ねてきた。だが、アタイは口ごもってしまう。そもそも何故、信長が田中家に居るのだろうか。


「俺が呼んだのだ」


 心を読んだかのように、自分の分の紅茶を注ぎながら田中は言った。紅茶を注ぎ終えた田中はティーポットを流し台に持って行く。


「ハッキリ言って、女子が付き合ってもいない男の家に泊まるなんて非常識じゃね」


 信長が厳しい口調で責め立ててくる。彼の言い分はごもっとも。女子高生が夜遅くに独り家を飛び出し、アポ無しで異性の家に泊まりに行くことなど、自分でも正気の沙汰ではないと思う。それでも、アタイはとにかく自分の家に居たくなかったのだ。


「まあまあ。十字架さんも訳ありなのだ」


 ディーポットを洗い終えた田中が右斜め向かいに座った。そして紅茶の香りをクンクンとリラックスした表情で嗅いでから、中身を口に含んだ。田中に釣られ、アタイと信長も紅茶を口にする。


「十字架さん。家に泊まるのは構わない。部屋なら余ってるしね。ただ、信長の言うとおり理由わけを聞かせて欲しい」


 田中はティーカップを手に持ったまま穏やかな声で言った。アタイは信長の方をチラリと見やる。


「大丈夫。信長は信頼に足る男だよ」


 またまた心を読まれた。アタイが驚きの視線を田中に送ると、彼は悪戯っ子のように微笑した。

 アタイは観念し、家を飛び出してきた経緯を語る。

 アタイの話を傾聴けいちょうする彼は、まるでカウンセラーのようだった。


 ***


「オトンはな、ウチらを守って死にはったんや。とても立派な最期やった」


 かつて小学校の作文で『お父さんお母さん』という課題を出され、アタイは大層困惑した。何故なら生まれた時からずっと、アタイの家には母親しかおらず、それが普通だと思っていたからだ。けど、作文の課題として出されたことで、アタイは初めて父親という謎の存在を意識した。


 そして家に帰ってから開口一番に父親のことを訊ねた結果、帰ってきたのが先の言葉だ。オカンは今まで見たことない位に辛そうな表情をしていた。当時小学生だったアタイはオカンの深い哀悼を受け止めきれる訳が無く、声を上げて泣いてしまった。


 だがアタイは課題として出された以上、父親について何か一つでも書かなければならないという、必要のない義務感を背負っていた。オカンが仕事に行った後も、アタイは悶々と頭を悩ませつづけたのだが、解決策は何一つ思い付かなかった。


 アタイは一旦考えるのを中断し、毎週の楽しみである金曜ロードムービーを観るべくテレビを点けた。その日は、昔のアニメ映画『風の谷なう。鹿』、通称なう鹿の放映だった。そしてそのなう鹿で、親の形見に関するエピソードに入った時、アタイの脳内にビビビと電流が走った。


 そうか……父親の形見を見つければいいのか。


 本当に愚直だったアタイは、なう鹿に感化されるがまま、我が家に残されているはずの父親の遺品を探した。


 暫くして、アタイは違和感に気付いた。父親の面影を感じさせるものが、我が家には何一つ残されていないのだ。


 着ていた衣服、身に付けていたアクセサリー、使っていた食器、そしてなにより、なう鹿のエピソードで肝となった父親の写真1枚すら発見できなかった。過去のアルバムをほじくり返しても、そこに映っているのはアタイとオカンのみ。父親に関して、影も形も無い。


 オカンは今でも亡き父を愛しているかのような口振りだったが、家にはその遺品が何一つ無い。まるで、父親という存在を完膚なきまでに排斥し、一部の隙もなく存在を認めないと主張しているかのようだった。


 そういえば、我が家には仏壇が無い。以前友達の家に遊びに行った時、お爺さんの仏壇に向けてお婆さんが祈りを捧げているのを見たことがある。

 友達の家がそうだったように、普通肉親が亡くなったら、その人の仏壇を設置すべきなのではないか? アタイ達も父親に向けて毎日祈りを捧げるべきなのではないか? だが我が家には影も形も無い。


 アタイは背筋に冷たいものが走るのを感じた。途方もない違和感に恐怖した。


 その時覚えた違和感は、高校生になった今もアタイの中で燻っている。




「学校で何かあったの?」


 アタイのプチ家出の切っ掛けは、オカンの何気ない一言だった。


「ど、どうしてそんな事聞くん?」

「だって、昨日まで今にも死にそうな暗い表情だったかと思えば、今日は晴れやかな顔で帰って来はる。気にならん方がおかしいやろ?」


 いつもは頭がふわふわなオカンの癖に、今日に限って妙に鋭い。アタイは学校でのAVバレを何と言って誤魔化そうか頭を回していたが、


「聖奈。正直に話してや。親子の間で、隠し事は無しやで」


 その言葉で、小学生の時から燻り続けていたものが、遂に弾けた。


 今までずっと溜め込んできたもの。

 今まで恐くて確認できなかったもの。


 学校で田中に色々とぶっちゃけてしまって一種のトランス状態だったアタイは、覚悟を決めてオカンを逆に問い詰めた。


「そんならソッチも正直に話してや。アタイのオトンについて」


 オカンが息を呑み、辛酸をなめた表情で言った。


「オトンはな、ウチらを守って死にはったんや。とても立派な最期やった」


 それは小学生の時に聞いたのと全く同じ言葉。それでアタイは確信した。

 オカンの言葉は、あらかじめ準備しておいた言い訳。虚構。

 オカンはアタイを傷付けない為にも、真実からアタイを遠ざけようとしていたのかもしれない。でも、もう逆効果でしかなかった。


「嘘吐くなや!」

「嘘なんて言うてはりません。オトンはウチらを守って死にはったんです」


 オカンの虚言が、アタイをより一層惨めにする。この身に流れる得体のしれない血液を、雑巾のように絞り出してしまいたい。だがそんなことは不可能だ。だから血の代わりに、アタイは声を絞り出した。


「副産物なんやろ……」

「聖奈?」

「アタイはAVの副産物なんやろ!」


 吐き出した禍々しい呪詛が、屋内の空気を浸食する。オカンは汚染された空気の吸入を拒むかのように、息をすることすら忘れていた。


 アタイは気付いたら家を飛び出していた。外は雨だった。アタイは構わず、雨を切るように住宅街を走り抜けた。


 金髪モヒカンは言った。オマエは両親の愛の結晶なんかじゃないと。

 そうだ。アタイは望まれて生まれた子じゃない。


 モヒカンは重ねて言った。AVの副産物に過ぎないと。

 そうだ。アタイはソレの作成過程で出来上がった製作廃棄物。


 同級生はわらった。エロビデオの娘とか有り得ないと。

 そうだ。アタイはからかわれ弄られる程度の価値しかない存在。


 ニュースで言っていた。中絶で多いのは不倫相手との望まぬ妊娠であると。

 しかしアタイは愛し合った結果ですら無い。なのにどうしてこの世に生を受けたのか。


 辞書に書かれていた。子は夫婦を繋ぎとめるかすがいだと。

 しかしアタイにはその価値すらなかった。


 オカンは言った。オトンは立派な最期を迎えたと。

 もしそれが本当なら、オカンはどうしてオトンが誰か教えてくれないの?

 どうしてそんな嘘を吐くん?

 やっぱりアタイは副産物に過ぎないから?


 分からない。何を信じればいいのか分からない。

 親の言葉も、この身に流れる血も、伝え聞いた出生秘話も、何もかもが不鮮明で不明瞭。

 アタイは一体何者なのだ。


「大丈夫。何があろうとも俺は味方だ」


 我武者羅に、脇目も振らずに道路を走り抜ける中、アタイは田中の声を聞いた気がした。これは空耳だ。混乱した脳が聞かせた幻聴。それでもアタイは一抹の望みを捨てきれず、周囲を見回した。勿論、田中の姿なんて何処にもなかった。


 しかし、奇跡が起きたのだろうか。道路の向こう側の電柱広告が目に入った。雨と涙でよく見えなかったが、辛うじて書かれた文字を読み取ることができた。


『田中――クリニック』


 そしてアタイはその広告が指し示す先を目指したのだ。

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