3-11 三者面談 下
江口親子が担任の教師に呼ばれ教室の中へと姿を消した、その直後のことだった。
階段の陰から父さんが現れた。予定よりも大分早い到着だ。
「父さん? 随分早いな。面談まで後1時間以上あるのだが」
「いやー、ヤギコーをちょっと回ってみたくなってね。懐かしいなあー」
父さんは目を細めながら呟いた。父さんはヤギコーの卒業生らしい。
つと、今日来る親の中に父さんの同級生、もしくは先輩後輩がいるかもしれないと思った。
もしそうなら、高校時代の父さんについて聞いてみたいと思った。何て呼ばれていたのか、非常に気になる。
「んー、とりあえず一度ジローちゃんの教室を見ておこうかな。何組だっけ?」
「B組」
「じゃあ2階だね」
父さんは今来た道を戻り、階段へと向かう。俺もその後に続いた。
何故か1年B組と書かれたクラスプレートの周囲に、男女含め数十人の生徒が、狼のように群れをなしていた。
三者面談待ちにしては人数が多すぎるし、他クラスの生徒もいる。その上、妖婆アッラ・フォーもとい保険医厚井先生の姿も……
「あ、田中君だ!」
女子生徒の一人が楽しげな声を上げると、集団はさながら狩りのようにこちらに向かってきた。
「なんだ? 何かあったのか」
「今日田中君の三者面談でしょ。一度お父さんを見てみたいと思って」
「オレ達は十字架さん目当て」
とんだ暇人だなこいつ等。
「二郎君モテモテだねえ」
父さんがニヤニヤ笑いながら言った。
「そんなんじゃあねえよ。ただ面白がってるだけだって」
俺は溜息交じりに返答した。
「……ということは、おじさんが田中君のお父さんですか?」
「はい。僕が二郎君の父親です」
父さんはニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべながら答えた。集団は、主に女子生徒達はマジマジと父さんの顔を品定めした後、背を向けヒソヒソと密会を始める。
「……普通じゃん」「期待外れだわ……」「何かがっかり」「え、そう?」
おい雌共聞こえてるぞ。恐れ知らずの愚か者共め。
「普通でごめんねー。二郎君は母親似なんだよー」
幸いにも、父さんは特に意に介した様子は無く、朗らかな笑顔で告げた。
「え!? あ、ご、ごめんなさい! 皆を代表して謝罪します」
「私を含めないでよ! 私は優しそうなお父さんでいいなーって思ってたんだから!」
「ホントー。ありがとー」
相変わらずのニコニコ笑顔。この度量の広さと強かさは是非見習いたいものだ。だが俺はすっかり忘れていた。彼女達の背後には、父さんの笑顔ですら粉砕するであろう、品性と感性が捻じ曲がった妖婆が待ち構えていたことを。
妖婆アッラ・フォーこと厚井先生が爛々と目を耀かせ、ニュルリと巨大ミミズのように体をくねらせつつ、人垣をかきわけ父さんの正面に顔を出した。
「こ・ん・に・ち・わ~。わたしは保険医の厚井で~す。これ、お近づきの印にド・ウ・ゾ」
粘っこい挨拶の後、厚井先生は胸の谷間(塩水入り)に挟んでいた一枚のSDカードを差し出した。父さんは神妙な様子で厚井先生の顔を見ながら、無言でそれを受け取った。
駄目だ父さん! それ観たらSANチェック待った無しのブツだよ絶対。
だが、ここで展開は意外な方向に進む。
「……マリア先輩?」
「へ?」
「やっぱりマリア先輩じゃないですか! お久しぶりです」
父さんはホント嬉しそうに破顔して厚井先生に語りかけた。
厚井先生は父さんの顔を凝視してから、
「き、ききききき、キキイイイィィーーーー!!」
と、黒板を引掻いた時のような奇声をあげた。
「キラ君!? どうしてここに」
「息子がここの生徒なんですよ。いやー、驚きだなあ。ここでマリア先輩に会えるなんて」
「え、あ、そそ、そうね……偶然って凄いっすね」
始めてみる厚井先生の焦った表情。いつもの無理矢理若作りしたイタい振る舞いは見る影もなく、まるで好きな人を前に慌てふためく女子高生のようだ。アラフォーだけど。
そしてマリアって名前なんですね。初めて知りました。
「風の噂で学校の保険医をしてるって聞いてましたけど、まさかヤギコーだったとは。やったな二郎君」
「やったって……何が?」
「マリア先輩はそれはもう立派な医者だったんだぜ。マリア先輩がいるなら安心だ」
「へ!? い、いや、その……」
厚井先生はバツが悪そうに視線を逸らした。父さんは追い打ちをかけていく。
「きっと病院にいた頃と同じように、軽い怪我一つでも迅速適切に対処して」
いいえ。女子に対する対応は極めて雑で、男子への対応は過剰でした。
「生徒の体調不良も即座に見抜き、健康指導も完璧にこなし」
いいえ。男子生徒の尻を追っかけてばかりでした。当事者の俺が言うのだから間違いない。
「患者から全幅の信頼を得ていたように、今度は生徒達から尊敬を集めているんですね」
いいえ。ほぼ全校生徒から敬遠されています。保健室はいつもガラガラです。
「ね、先輩そうでしょう」
父さんは誇らしげに、真っ直ぐな眼差しで厚井先生を見つめた。
「い……イヤアアアアアアアアァァァァァ!!」
重圧に耐えかねたマリアは身を翻し、世界新記録を塗り替えられるのではないかというレベルの速度で逃げ出した。
「相変わらずバイタリティの凄い人だなあ。流石先輩」
父さんが盲目的なまでに信頼を寄せるとは……厚井先生の過去に興味が湧いてきた。関わりたくないけど。
嬉々と喜びながらマリアの後を追い駆けていった父さん。
父さんと入れ違いで、一人の大人の女性が赤いハイヒールを鳴らしながら姿を現した。彼女の出現により生徒達、主に男共が色めき立つ。それもその筈。その大人の女性は、艶やかな空気を身に纏っており、溜息を漏らしてしまう程の美しさだった。
パシャパシャ! パシャパシャ!
「おい肖像権侵害だ」
スマートフォンを取り出し、許可一つ無くカメラに向けた生徒達に向けて、俺は厳しく注意した。これは基本的人権の尊重だ。決してスマホを持ってない腹いせによるものではない。
だが俺の気遣いとは裏腹に、美女は菩薩を思わせる笑顔を浮かべつつ、たおやかに述べた。
「フフッ……別にいいですよ。こんなオバハンでよければ好きなだけ撮影しはってください」
次の瞬間、即席カメラマン共による撮影会が始まった。ズルい。
「まだまだ私も捨てたものじゃないですね」
美女は嬉しそうに呟きつつポーズを決める。堂々としたポージングは様になっており、優雅な身のこなしはとても一般人に見えない。それに、どことなく既視感があった。女優だろうか?
暫くして俺は気付いた。やはり俺は彼女を見たことがあった。それもつい最近。
そう……この美女は細木君の家で観たAV(本番は再生しなかったが)の出演女優と瓜二つなのだ。
「あらあなた……」
美女が慈しむような視線を俺に向けてきた。視線が合った。AVのことを思いだし、恥ずかしさの余り俺は思わず目を背けてしまった。美女はこちらに迫ってくる。そして、
「……カワイイ!!」
美女の喜びに満ちた声と同時に、俺の顔にまったりとしたふくよかな、むっちんぷりんの感触。肌の温もりと鼻孔を突くローズの香り。何が起きたのか理解すると同時に、俺の体温とリビドーが同時に急上昇。
周囲も大騒ぎになり、悲鳴怒声罵声そしてシャッター音がまとまりのないジャズセッションを奏でた。
「何しとんの!」
一際大きな怒声と共に、俺は美女から引き剥がされた。怒声の主は十字架さんだった。
「あら聖奈。遅かったわね」
「ソッチが早過ぎなんや! なんやの? なに同級生誘惑しとんの?」
「あまりにも色男やったからつい……堪忍してや」
「こんなとこまで来て発情せんといてや! ホンマ恥ずかしいわ……」
十字架さんは怒髪天を衝きながら美女を罵倒する。ここまで激しく怒りを露わにする十字架さんは初めて見た。
「うるせえぞ三者面談中だ! 騒ぐなら帰れ!」
1年B組の扉が荒々しく開かれ、同じく怒髪天を衝いた来夢先生が現れた。
危機を察知した周囲の同級生共は、蜘蛛の子を散らすように逃げ失せたが、当の俺は脳内がピンクぷりん一色で染まっていて、逃げるのが遅れてしまった。怒りの矛先が俺に向けられる。
「えらいすんまへん。全部自分のせいなんです。堪忍して貰えまへんか?」
だが美女が俺を庇うように、来夢先生の正面に立った。
「え、えーと……あなたは?」
来夢先生は美女を見るや否や冷静さを取り戻していく。男は皆美女に弱い。それが自然の摂理。
「私は十字架聖奈の母親。十字架レイナです」
「ああそうでしたか! お待ちしておりました。教室へどうぞ」
来夢先生はホテルマンのような振る舞いで教室の扉を開き、十字架親子を中へと促す。
「あら? 私達の順はもう少し先ではあらへんでした?」
「つい先程予定していた親から来れないと連絡がありまして。宜しければお先に……」
「なるほど。じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」
十字架レイナが先に教室へと入り、娘の方の十字架さんは無言でその後に続いた。
教室に入る直前、十字架さんが俺に向けて一言。
「不潔」
凹む。
***
【朗報】超絶美人ヤギコーに来訪【学年主席の母親】
それはヤギコーSNSで今一番盛り上がっている話題だった。
十字架親子の写真が多数アップロードされ、半ばフォトコンテストのような賑わいを見せている。
今この場において、彼女達の肖像権を気にする者は誰もいない。
ヤギコー生限定という閉じられた空間が人権侵害に拍車をかけているのだろう。
そして彼もまた、悪意なき侵害者の一人だった。
彼はアップされた十字架親子の写真を眺めていて、あることに気付いた。
そしてこれを皆に教えたら、もっともっとヤギコーSNSが盛り上がるだろうと思った。
きっと皆喜ぶだろう。
ソレに気付いた自分は讃えられるだろう。
GOODも沢山もらえるだろう。
期待せずにはいられない。
楽しみは皆で共有すべきなんだ。
だからソレを投稿した。
ただそれだけの事だった。




