3-1 人の恋文はただの娯楽
【第参幕】
「ねえキミ達。アイドル業に興味ないかな?」
曇天が太陽を覆い隠し、灰色の空気に包まれた昼下がりのことだった。
アタイは友達と一緒にテレビで紹介された喫茶店に向かっていた。その途中、見知らぬ金髪モヒカンのオッサンが話しかけてきた。
「キミ達ならきっと天下が取れる」
「TKY48なんて目じゃない」
「一緒にスターダムを上がろう」
怪しいオッサンは、モヒカンを左右に揺らしながら調子のいいことばかり口走った。当時中学生だったアタイ達はそんな甘言に騙されるわけも無く「そういうの結構やから」と、オッサンを無視した。
しかしオッサンは引き下がらず、卑しいネズミのように手を何度も何度も擦り合わせながら、猫背で後を付いてきた。
「ねえ待ってよ。ボクを捨てないでよぅ」
オッサンの猫撫で声は心底気味悪く、全身に怖気が走り、鳥肌が立つという言葉が生温い程だ。
友達との楽しい時間を邪魔されたアタイは怒りを覚え、周囲の反対を押し切り、背後のオッサンと対峙した。そして「もう付いてくるな」「気味が悪い」「変態オヤジ」等々、思い付く限りの罵倒を並べた。
しかし、オッサンは微塵も怯まなかった。アタイはこれ以上付いてくるなら警察を呼ぶと脅した。それでもオッサンは立ち去らない。それどころかアタイの顔をマジマジと、無遠慮に観察してきた。
「オマエ……まさか『蒼居マリア』か?」
オッサンから放たれた言葉により、アタイは固まってしまった。内側から広がっていく凍てついた感触は、まるで全身の骨が氷に変わってしまったかのようだった。
「いや……マリアがこんな若くないか。ということは――」
「ひ、人違いです!」
オッサンはニヤリと笑う。その笑顔は、蜘蛛百足ゴキブリと言った、醜い生き物を凝縮しても敵わない程の、最早笑顔と形容するのも憚れる程の、醜悪極まりないものだった。
「ボクは何て運がいいんだろう」
オッサンは、楽しいおもちゃを見つけた悪魔の様にゲハゲハと嗤った。
様子がおかしくなったアタイを心配したのか、友人達が前に出てオッサンを口汚く恫喝する。しかし、オッサンは微塵も怯まず、醜悪な笑みを浮かべたまま友人達に告げる。狂信者が経典を読み上げるように天高く、そしてアタイを奈落に突き落とすべく、オッサンは口から怨嗟を吐き出した。
「キミ達コイツの正体知ってるの? コイツはね、両親の愛の結晶なんかじゃないんだ。なぜならコイツは――」
***
6月14日木曜日。気象庁が梅雨入りを発表し、気象予報士も本日は雨と告げていた。
しかし、雲が反抗期により家出したのか、はたまた水神様がへそを曲げたのか、教室の窓から一望する空は太陽がにっこり笑顔の清々しい天気だった。
この真逆の結果に、お天気お兄さん及びお姉さんは目から雨を降らしているかも知れない。所により、雷が落ちているかも。俺、田中二郎は晴れ晴れとした空を眺めながら、会ったこともない気象予報士達に同情した。
「はあーーー……」
細木君が机の上に突っ伏しながら、盛大な溜息を吐いた。爽やかな青空に反し、彼の表情は曇り気味だった。
「朝っぱらからどうしたのだ?」
「だってさー、来週から中間試験だぜー。やんなっちゃうよ」
細木君が顔だけこちらに向けつつ言った。
「そんなに落ち込むことか? 俺としては午前中で終わるから嬉しいのだが」
「ケッ! これだから優等生は」
細木君が忌々しげに吐き捨てる。
「これから毎日徹夜か。はあーーー……しんどい」
「授業中しょっちゅう寝てるからだろ。授業を真面目に聞いてれば、焦ることも――」
「あー、説教はいいです。聞きたくありましぇーん」
細木君は耳を塞ぎ、目を背け、再び机上に突っ伏した。駄目人間と化した彼を放置し、先程から読書にいそしむ十字架さんに声をかけた。今日も清楚な美貌と円周率が眩しい。
「何を読んでいるのだ?」
「コレ? 古須木ロシェ先生の『応援団長殺し』」
古須木ロシェとは、数年前にデビューした作家だ。扱うジャンルは恋愛小説で、時折ちょめちょめなシーンが挿入される。
「ケッ! 学年主席も余裕かよ」
いつの間にか細木君が傍に来ていて、十字架さんに対しても悪態をついた。
「流石に感じ悪いぞ」
悪態の付きすぎだと思い、俺は細木君をたしなめた。
「すんませーん」
反省の色のない声だったが、細木君はそれ以上愚痴を言わなくなった。
俺は鞄の中身を机に移す作業を再開した。
「……ん?」
空っぽの筈の机中に、手の平サイズの長方形の物体が入っていることに気付き、それを取り出した。
「た、田中君……それって」
出てきたのは、一封の封筒。
「ラブレターじゃねーか!」
細木君の叫び声と共に、クラス中の視線が封筒に集中する。
「今時ラブレターだと?」「流石イケメン。住む世界が違う」「細木! その古代兵器を奪い取れ!」
「ほいきた!」
虚を突かれ、あっけなく封筒が奪われた。そして細木君は何一つ躊躇うことなく封を開き、便箋を取り出し読み上げる。
俺は「ヤメロ」と言ったが、その程度で学生のノリを止められる訳が無い。
「えーっと何々……親愛なる田中二郎様。お話ししたいことがあるので本日の放課後、屋上まで来てください。キャーーー!!」
細木君がアイドルグループを前にした女のような奇声を上げた。教室のざわつきもより大きなものになる。
「オイ。悪ふざけはそれぐらいにしろよ。返せ!」
「ウワッ!」
プライバシーの侵害に腹が立ち、俺は便箋を取り返そうと勢いよく手を伸ばした。だがその拍子に細木君は便箋を落としてしまった。
ひらひらと舞い落ちる1枚の便箋。直後、飢えたピラニアの如くそれに群がるクラスメイト達。その中には十字架さんの姿も。
皆、試験前でストレス溜まってるのかな……
ピラニアと化したクラスメイト達を眺めつつ、そんな感想を抱いた。
「いや持ち主に返せよ!」
我に返り、俺は逆おしくらまんじゅう状態になっているピラニアの群れに飛び込んだ。しかし、娯楽に飢えたピラニア共の力は凄まじく、力及ばず弾き出されてしまう。しかも、その反動で眼鏡が外れてしまった。
それすなわち……現代に蘇りし魔王が魂の咆哮!
「いい加減にしろ愚民共! それは貴様ら如き些事が手にしていい代物ではない。魔王たる俺様の深淵を不用意に覗くば、耐性無き者は狂気に侵され、異形の俗物に身を墜とすことになるであろう」
プライバシーの侵害だから止めて下さい。
そう言いたかっただけなのだが、中二症発症により、言葉が仰々しく変換される。どういう訳か、俺は眼鏡が無いと中二発言がガトリングガンのように飛び出す体質になってしまっていた。
俺は急いで床の眼鏡を拾い上げ装着し、魔王モードを解除。そして、今のイタイタしい言動に対する、クラスメイトの反応を覗う。
「おれにも見せろ」「アタイに渡せや」「イ●スタ!」
幸いにも、クラスの皆は手紙に夢中で、誰一人俺の中二発言を聞いちゃあいなかった。安堵で胸を撫で下ろすが……
「……無視されるのも、それはそれで寂しいなあ」
複雑な心境だ。




