終-29 それでもあたし達は笑顔で踊る
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◆◇勇舎幸◇◆
どんな急な坂道でも、あと少しで終わりだと思うと、一気に駆け上りたくなるのは何故だろう。後々疲れて歩みが遅くなることを考えると、歩いたほうが合理的。でもあたしは走りたくてしょうがなかった。
「いよっと!」
気合の掛け声と共にあたしは心臓破りの坂を突破。平坦な道にたどり着く。移動を走るから歩くへと変えた。手で顔を仰ぎ火照った体の冷却を試みたが、あまり効果は無かった。目の前にはなだらかな下り坂。ここも一気に駆け下りたい衝動に駆られるが、生まれたての小鹿――とまではいかないが、震える足と相談し止めといた。
徒歩で坂道を下る途中、ミヤコーバスがバス停で停車していた。長い車体前方の扉から何十人もの学生が、卵から孵化したカマキリのように湧き出ている。そのカマキリの中に親友を発見。
「ノブちゃん先輩。おっはよー」
ノブちゃんは嫌そうに顔を歪めた。
「先輩は止めい」
「だってノブちゃんは2年で、あたしは1年だよ。先輩って呼ぶのが道理よ」
文句を垂れるノブちゃんと横並びでヤギコーに向かう。その途中、背後からチャリンチャリンとベルを鳴らされた。
「諸君、おはよう」
自転車に乗ったジローちゃんが現われた。ジローちゃんは速度を緩め並走する。
「ジローちゃん先輩。後ろ乗せて」
「残念。我が愛馬は俺以外を乗せることはないのだ」
この馬鹿魔王は自転車にティンダロス号と名前を付けている。相変わらずイタイタしい。
「疲れてんのよ。ケチなこと言わず乗せろ!」
あたしはママチャリ後部の荷台を掴んで揺らした。
「ウボアッ!? 危ない危ないって! 分かったからヤメロッ!」
ジローちゃんが自転車を停車させ、あたしは荷台に座った。そして発進――せず、ジローちゃんはあたしを荷台に乗せたまま自転車を押して歩いた。
「自転車の2人乗りは法律違反だし、そもそも危険なのだ」
とのジローちゃんの弁。相変わらず真面目だ。思ってた以上に荷台の乗り心地が悪かったから、あたしは途中で降りた。
あたしはヤギコーに通うことができるようになった。医者曰く、沢山笑って沢山泣いたことであたしの免疫系が活発化し、悪い細胞を全てやっつけてしまったらしい。死ぬ準備を始めたのに、逆に生き返ることになるなんて、皮肉と言うかなんというか……。医者は「ありえない」「奇跡だ」を繰り返していた。
ま、奇跡でも何でもいい。
あたしはこの世界で生きていく。
「でも、本当に良かった。こうしてサッちゃんとまた……また……」
ノブちゃんが言葉の途中で涙を流し始めた。
「幸……」
ジローちゃんも目に涙を溜め、珍しく今にも泣きそうな顔をしていた。
「2人とも馬っ鹿みたい。こういう時こそ、笑顔を見せてよ。GOODBYE AND SMILE! さよならは笑顔で、でしょう?」
ノブちゃんは袖で涙を拭き、そして笑う。ジローちゃんは頬をバチンと叩き、そして笑う。2人の笑顔を見て、あたしもまた笑った。
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※田中二郎作『それは青春というより黒春』102~105ページ目より抜粋
どうやらもう時間切れらしい。
空に浮かぶ太陽が消えた。消えたと言うよりも、上から白く塗りつぶされたと表現した方が適切かもしれない。青空に、白い絵の具をボタリと垂らしたかのような痕ができていた。雲のように風情のある白さではなく、純粋な真白色。無色透明とはまた趣が異なり、色と表現するのも躊躇われる空虚な白。まさに色が無かった。
太陽があった場所から徐々に白い闇が広がっていき、お絵かき動画を逆再生しているかのように見えた。
世界が真っ白なキャンバスへと戻っていく。幻想的で、そして恐ろしかった。
「サッっちゃん早く!」
「置いてくぞ!」
2人が焦った声を上げた。
「先に行ってて。直ぐ追い駆けるから」
あたしは首だけを後ろに向けて言った。2人はあたしの言葉に従い、校門を抜けパッと姿を消した。
色無き白の津波が蒼天の空を覆い尽くすと、白き手は地面へと伸びた。空を飛ぶ飛行機、遠くの山、高層ビル、電柱と、高いものから順に消滅していく。空気中の光すら飲み込みながら、白い空が落ちてくる。
大地と天空が真白に染まり、風景の境界線が全て消え失せ、辺り一帯は白白白。世界は白紙へと還元された。あたしは真白の宇宙に放り出され、自分が今何処に居るのかも分からなくなる。それでもあたしはギリギリまで其処に居た。ギリギリまで、大切な人達を傍に感じていたかったから。
遠くから、あたしを呼ぶ声が聞こえる。あたしは愛しき人たちに向けて、最期の挨拶を放った。
「ジローちゃん……ノブちゃん……そして、お母さん。今まで、ありがとう」
さよなら。
白い闇があたしすらも飲み込もうとした直前で、あたしは最後に残った校門の向こう側に飛び込んだ。
***
~勇舎家~
◆◇田中二郎◇◆
「ご臨終です」
幸の担当医が、微塵たりとも聞き間違いを許さぬ、無感情な機械のごとき声で告げた。
「嘘だ……だって、だってまだサッちゃんの体、暖かいよ!」
信長が喉を震わせる。信長は眠っている人を起こすように、幸の体を揺すった。だが、幸は目を覚まさなかった。
「………………ぁあ!」
福子おばさんが、言葉にならぬ叫びを上げた。福子おばさんは眠り続ける幸に覆いかぶさり、ひたすら娘の名前を呼び続けた。
「幸……」
俺はつと、彼女の名を呼んだ。
「幸……」
もう一度彼女の名を呼んだ。しかし、返事は返ってこない。俺は堪らず部屋を出た。
壁の向こう側でも信長と福子おばさんのすすり泣く声が聞こえてくる。これが現実だと、否応にも実感させられる。何処に逃げようとも、その事実が変わることは無い。幸は、俺達とは別の世界へ飛んでいったのだ。
幸との日々の記憶が、走馬灯のように駆け抜ける。オマエの笑顔は大好きだけど、今それを思い出すと、正直胸が張り裂けちまいそうだ。
血が全身から抜けていくような脱力感に襲われる。でも俺は踏ん張って、壁を背に立ち続けた。
「安心しろ。最期の願い……必ず叶えてやる。でも……」
でも、今だけは……今だけは……
俺は天井を見上げた。ひたすら見上げ続けた。
勇舎幸
享年16
今の際、彼女は幸せそうに笑っていた。




