終-27 セックス・センス
~病室~
◆◇ローズブレイド信長◇◆
「合格おめでとう!」
サッちゃんは笑顔で拍手を送ってきた。子供達も「おめでとー!」とボク等を祝福してくれた。
「まあ、魔王たる俺様に掛かればこの程度の試練は遊びのようなものだがな」
ジローちゃんが胸を張って威張る。試験終了後の帰り道に「答案用紙に名前書いたっけ?」とあたふたし始めた癖に。後でサッちゃんにこっそり教えてやろ。
「ボクは正直ギリギリだったと思う。入学した後、勉強に付いていけるかな……」
「それあたしセリフ」
サッちゃんはクスクスと笑いながら言った。
「ゴ、ゴメン……」
「ちょっと! 嫌味のつもりじゃないんだから落ち込まないでよ」
「相変わらず信長はネガティブだな」
そう言って、ジローちゃんとサッちゃんの2人は揃ってケラケラと笑った。ボクはどうして明るく振る舞えるのか不思議でしょうがなかった。どうしてそんなにも、2人は強くあれるんだろう。
「マオ兄! ジュケン終わったんだろ」
「一緒にあそぼー!」
子供達がジローちゃんの服の裾を引っ張った。
「……よし! 今まで我慢してきた褒美を取らせてやろう! じゃ、ちょっくらプレイルームに行ってくる」
そしてジローちゃんは子供2人と両手を繋ぎ、病室を後にした。
「ジローちゃんってホント年下に人気あるよねえ」
「中身が子供だからじゃない?」
「言えてる。でも、ぶっちゃけボク等もまだまだ子供じゃね?」
「そうかしら……」
サッちゃんは物憂げに瞳を揺らす。どこか遠くを見ているようだった。
「あたし達4月から高校生よ。いつまでも子供ではいられない」
「そう……だね」
ボク等3人は約束通りヤギコーに合格した。4月からヤギコーに通うことになる。本来であれば――
「その……サッちゃんは……」
ヤギコーに通えるの?
そう尋ねようとしたが、言葉が喉の奥で引っ掛かってしまった。
「ノブちゃん……言いたいことがあるの」
サッちゃんはボクと目を合わせずに言った。彼女はとても神妙な様子で、ボクは黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「もう来なくていい」
酷く渇いた声だった。
***
~食堂~
◆◇田中二郎◇◆
最上階の食堂には、僕と幸以外の客は誰も居なかった。休日の営業時間は既に終了しており、店員すら残っていなかった。
僕と幸は薄暗い店内の最奥へと進む。幸が奥の方がいいと言ったのだ。幸はソファー席に腰を下ろし、僕はその向かいの腰掛に座った。
「それで、頼みとは何なのだ?」
「……隣に来て」
幸は僕と目を合わせずに呟いた。僕は言われるがまま、幸の隣に腰を下ろす。ソファーのクッションから空気が抜け、フシュルルルと間抜けな鳴き声を上げた。
幸の様子が……何だかおかしい。
幸は本題を切り出さず、ただただ黙ったまま。もしかしたら重大な告白があるのかもしれないと、僕は覚悟した。覚悟などしたくなかったが、覚悟せざるを得ないことは重々承知していた。
気付くと、いつの間にか幸が僕との距離を詰めていた。僕にぴったりくっつき、頭を僕の肩に乗せた。幸のスゥスゥという、風前の灯火のような弱々しい息遣いが聞こえる。僕は何だか悲しくなった。
「ウェッ!?」
思わず変な声が漏れてしまった。
幸が、僕の太腿に手を置いてきたのだ。それだけじゃなく、膝と腰のあたりを何度も何度もゆっくりと往復する。
「幸? どうした?」
幸の顔を見ながらそう尋ねたが、幸は僕と目を合わせようとしなかった。
「恐い?」
幸が僕の太腿をくすぐるように撫でながら尋ねた。
「恐くない」
嘘だった。
僕はいつもと違う幸の空気に、ほんのちょびっとだけ恐怖心を抱いていた。闇は好きな筈なのに、薄暗い静謐な空間が妙に居心地悪い。
やがて幸は太腿を撫でる行為を止めた。そして枝のように細い腕を衣服の隙間に滑り込ませ、腰から肩にかけて、カタツムリがゆっくりと這い上がるような速度で体をなぞる。胸の突起に幸の手が触れた。幸はスプーンでコーヒーとミルクを掻き混ぜるように、突起の周囲を弄り回し、ときに摘まんだ。
「ン……」
甘く切ない感覚が頭へと駆けのぼる。とも思えば小さな虫に噛まれたかのような不快な痛み。
気持ちいのか、それとも気持ち悪いのか、どっちつかずの曖昧さに僕は翻弄され、されるがままになっていた。
やがて飽きたのか幸はその行為を止めた。そして両手でグイッと僕の肩を押してきた。ドサリと、僕は背をソファーに預ける形になる。
「ジローちゃん……」
幸が僕の名を呼んだ。いつもの溌溂とした発音じゃあなく、気だるげで甘さを感じさせる呼び方だった。
「あたしとセックスしない?」
幸は能面を付けているかのような、感情が失われた表情で言った。言葉の内容と、表情とのギャップもあり、僕は暫く言葉の意味を理解できなかった。
好きな子に誘われることは、男としてこの上なく喜ばしいことの筈なのだが、正直恐かった。幸は一体、何を考えている?
それ故僕は、「はい」とも「いいえ」とも異なる疑問を返してしまった。
「どうして?」
幸はその返答が甚く不快だったようで、アスファルトで固められていた表情にひびが入った。
「あたしとのセックスは嫌?」
幸の声は怒りで揺れていた。
***
◆◇勇舎幸◇◆
ジローちゃんが未だに性的な接触を苦手としていることは分かっていた。だからこそ、あたしは拙い知識でジローちゃんの体にイタズラした。
ジローちゃんは平静を装っていたが、やはり怯えていた。でも、ジローちゃんは中々行動を起こさなかった。そのことに安堵を覚えつつも、あたしは業を煮やし彼を押し倒した。
「あたしとセックスしない?」
さあ、木下の時と同じようにあたしを突き飛ばせ。あたしを拒絶しろ。
「どうして?」
ジローちゃんの馬鹿みたいな返答に、頭にカッと血が上った。
「あたしとのセックスは嫌?」
自分でも酷くおどろおどろしい声が出たと思う。でも都合が良かった。
「だから……どうして僕と幸がセックスをするのだ?」
「やっぱり嫌なのね……」
あたしは立ち上がり、ジローちゃんから離れようとした。
「嫌じゃない!」
でもジローちゃんはあたしの手を掴み、離れるあたしを引き留めた。胸に火が灯り、あたしは泣きそうになってしまう。
この気持ちを認めてはいけない。認めてしまえば、あたしは今まで以上の苦しみを彼に与えてしまう。決意しただろ。あたしは魔王を殺すんだ。彼の中に潜む、心優しき魔王をぶち殺す。ジローちゃんを"ニンゲン"にするんだ。
「じゃあセックスして。あたしを抱いて」
でも、あたしは……あたしは……
***
◆◇田中二郎◇◆
幸が……幸が分からない。生死の分岐点に立っている彼女が、どうしてこんなことを言い始めるのか、まるで分からない。
「だから……どうして? どうしてこんな時に」
僕がそう尋ねると、幸は顔をクシャクシャに歪めた。
「こんな時? こんな時って何? 病人は抱けないって事?」
「うん」
僕は半ば反射的に返事してしまった。
「セ、セックスするのは元気になってからで」
僕は何を言っている? 幸と性交渉の約束をしているのか、それともやんわりと断っているのか、自分の発言なのによく分からない。
「いつよ?」
「え?」
「あたしはいつ元気になるのよ……」
周囲の空気が一層淀んでいく。
「あたしはいつ元気になるのよ!」
小鳥の断末魔のような、高く切ない金切り声。何気なく放った言葉が彼女を酷く傷付けてしまったことを理解はしていたが、僕はパニックを起こしてしまい、彼女を傷付ける言葉を重ねてしまう。
「だ、大体。幸は信長が好きなんだろ。したいのなら信長に頼めばいいだろ」
僕はこの時ほど、自分自身を憎んだことは無い。
***
◆◇勇舎幸◇◆
人は死が迫った時、性欲が増すそうだ。何でも子孫を残すという本能がそうさせるらしい。大人向けのラジオで聞いた話で、当時はふーんとしか思わなかった。でも、あたしは今それを身をもって納得した。
セックスは元気になってから。ジローちゃんにそう言われ、自覚した。このままだと、あたしは女を知らずにこの世を去ることになる。あたしの全身から血の気が引いた。
きっと、あたしは心の奥底で体を重ね合せることを切望していた。だからセックス何て単語が口を突いて出た。ジローちゃんを傷つけ突き放すなんて、他にも色々方法があるのに、あたしはあえて性的関係を迫る方法を選択した。つまりはそういうこと。
でも目の前の男はとんでもなく馬鹿で残酷なことを言いやがった。ノブちゃんに頼めとか言いやがった。感情の糸がプツリと切れ、爆発する。
「ジローちゃんには……分からないわよ……」
もはやあたしは当初の目的を忘れていた。ジローちゃんの中に住む、心優しき魔王を殺し、彼を"ニンゲン"にするという目的を忘れていた。
「ジローちゃんに……中二病風情にあたしの気持ちなんて分かるわけがないのよ!!」
怒りで我を忘れ、恐怖で心を覆い尽くされ、あたしは狂乱し泣き叫ぶ。でも、それが魔王に致命傷を与えた。
***
◆◇田中二郎◇◆
気付くと僕は、自分の部屋の床で大の字になっていた。帰ってくるまでの記憶がまったくない。だが、取り乱し泣き叫ぶ幸の姿は鮮明に記憶していた。
『ジローちゃんに……中二病風情にあたしの気持ちなんて分かるわけがないのよ!! 何が悪魔よ! 何が魔王よ! 何が下僕よ! 馬っっっ鹿みたい!! あんたは只のガキじゃない! あたしと同じ、何の能力も無いただの"ニンゲン"。あたしも、そして他の子も、誰一人あんたには救えない! なのに希望を持たせて……余計辛いのよ! いい加減中二病は卒業しろ! ウゼえ! もう二度と姿を現さないで!!』
僕はこれまでの振る舞いが急激に恥ずかしくなってきて、駄々っ子のように手足をバタバタと暴れさせる。
「何が……魔王だ!!」
幸の言うとおり、僕はただの"ニンゲン"だ。何の力も持たない矮小な存在。好きな子1人救えない。それどころか、身の丈に合わぬ行動で彼女を傷付けてしまった。マリカも……そしてコウジも……
何か……もう疲れた。もう終わりにしよう。魔王なんて諦めよう。ホント疲れた……
僕はよく他人から、特に女から「なんか思ってたのと違う」と言われることが多かった。他者は僕に、少女漫画に登場するヒーローのような人物像を求めているようだった。僕はそれを下らないと思っていた。
でも、これからは皆の期待通りの"ニンゲン"になろう。自分の望む自分では無く、他者の望む自分になろう。過度な干渉は止めて表面上の付き合いに留め、平穏な生活を送るのだ。
下らない妄言妄想は全て封印。尊大な口調も止めよう。ラブロマンス映画に出てくる好青年でも参考にしようか。
1人称も変えよう。僕の1人称は"僕"だけど、これからは"僕"でも"俺様"でもない、同世代に大人気で普遍的1人称である"俺"にしよう。
黒を捨て、ありふれた青になろう。
そうすれば傷付けることも、傷付けられることもないのだから……
***
◆◇勇舎幸◇◆
これで、ジローちゃんがここを訪れることはもうない。あたしはそう確信していた。
ノブちゃんにも来なくていいと伝えた。そもそも、ジローちゃんが来なければ自動的にノブちゃんも来なくなる。だってノブちゃんはジローちゃんが大好きなんだから。ジローちゃんが傷つき苦しんでいたら、ノブちゃんはジローちゃんを優先する。そして彼を傷付けたあたしを敵視する。
「死にたい……」
あたしは病室のベッドの上で、人知れず呟いた。思ってた以上に大きな声が出てしまい、あたしは誰かに聞かれてしまったのではないかと不安に駆られた。
病室の皆は、スースーと寝息を立てていた。あたしも寝ようと、開けていた目を瞑った。でも、いつまで経ってもあたしは夢の世界に誘われなかった。
暗闇。静寂。孤独。後悔。恐怖。
決別から半日も経ってないのに、寂しくてしょうがない。
「誰か……助けて……」
あたしはいつまで生きなくちゃいけないんだろう。




