終-23 スタンド・バイ・ユー
~中峰八幡宮~
◆◇勇舎幸◇◆
合格祈願の願いも込めて、あたし達3人は中峰八幡宮まで初詣に来ていた。人混みが大嫌いなジローちゃんに合わせ、今年も元旦から日をずらしての初詣だ。でも、一度くらい年の瀬を迎えるタイミングで初詣に来たいなあ。
今年もジローちゃんは初詣に関する礼儀作法について教鞭を振るった。いつもは軽く聞き流していたが、今年は一字一句漏らさぬよう傾聴した。
「高校でも馬鹿騒ぎしような!」
境内でジローちゃんがあたし達に向けてそう言った。あたしとノブちゃんは頷き、3人一緒の合格を誓った。
初詣を終え、あたし達は受験勉強の為にノブちゃんの家へと向かった。随分と真面目なお正月の過ごし方だけど、3人一緒なら何でも楽し――
「さち……幸!」
あたしは机から顔を上げた。
「ジローちゃん……どうしたの?」
まどろみの中、あたしは胡乱に返事した。
「どうしたの? はこっちのセリフだ。いきなり気絶して……大丈夫か?」
ジローちゃんがおでこに手を当ててきた。ヒンヤリとした彼の手が気持ちいい。
「熱は……無いみたいだな」
「ちょっと根を詰め過ぎじゃね?」
ノブちゃんが眉を顰めて言った。どうやらあたしはノブちゃんの家で勉強している最中に、いつの間にか寝てしまったらしい。
「大丈夫大丈夫。さて、勉強再開しましょう」
「駄目だ」
ジローちゃんが厳しい論調で言った。あたしは腹が立ち、大丈夫だ問題ないと反論する。
「いきなり気絶する奴が大丈夫な訳が無い。体調が万全じゃあないと勉強も非効率だ。今日は終了だ終了」
取り付く島もない。あたしのことを考えてくれているのは嬉しいが、受験勉強に焦りを覚えている今は正直煩わしい。
「サッちゃん。ボクもいきなりでビックリした」
いつもなら「ジローちゃんは心配し過ぎ」と言うノブちゃんだが、今日は違かった。あたしとしてはちょっと寝落ちした程度の意識なんだけど、ちょっと不安になってきた。
「幸。病院に行け」
「それは流石に――」
「駄目だ絶対に行け。病院に行くまで勉強会は中止だ」
ジローちゃんは健康が絡むと絶対に譲らない。医者の血がそうさせるのだろうか。あたしは溜息交じりに「分かったわ」と返事した。
後日、あたしはお母さんと一緒に病院に行った。診断の結果、体に異常は診られず、受験勉強による疲れやストレスが溜まっていたのだろうと診断された。
あたしは一安心し、問題ないことを2人に報告した。2人は「よかった」と胸を撫で下ろした。特にジローちゃんの反応は大袈裟で、変なところで心配性なんだからとあたしは笑った。
そしてついに、推薦受験の日が訪れた。ジローちゃんに言われた通り体調にも気を遣い、万全の態勢であたしはヤギコーに向かった。
***
~ローズブレイド家~
◆◇勇舎幸◇◆
「合格おめでとう!!」
掛け声と共に四方八方から祝砲が鳴らされ、紙吹雪紙テープがあたしの頭に降り注ぐ。
あたしは推薦入試に見事受かった。それを知ったマックスおじさんが祝賀会をやろうと提案してくれた。マックスおじさんはパーティ好きで、放送コンテストで優勝した時もこうして祝ってくれた。
「ありがとう!」
あたしは紙吹雪塗れになりながら感謝の言葉を発した。
「ジローちゃんもノブちゃんも、本当にありがとう!」
あたしは2人に向けて、もう一度感謝の言葉を発する。ジローちゃんは照れ臭そうに頬を掻き、ノブちゃんははにかんだ顔を俯けた。
「2人が手伝ってくれたから、こうして、こうして……エグッ……」
急に感極まってきて、涙が出て来てしまった。おかしいな……泣くつもりなんて全然無かったのに。
「幸が頑張ったからだ」
「サッちゃんの努力の結果じゃね」
そう言って、2人はあたしの肩を叩いてくれた。あたしは手の甲で涙を拭い、顔を上げる。
「……ってお母さんまで!?」
正面でカメラを構えていたお母さんが鼻をグズらせていた。
「だって、だって、あの幸が……ヤギコーに……立派に……」
「もー、これじゃあ卒業式が思いやられそうね」
あたしが茶化すと、ドッと笑いが起きた。
「じゃあそろそろ席につきましょう」
「今日はごちそうだヨ~。遠リョせずどんどん食べてネ~」
ノブちゃんの両親に促され、あたし達は自分の席に着いた。皆で騒ぎながら食べるご馳走は、最高の贅沢だ。
「じゃあ、次はあんた達の番よ」
あたしは満腹の腹を摩りながら、2人に向けて言った。
「フククククク……安心せよ。必ず契約を果たそう」
「が、頑張る……」
奇天烈なジローちゃんに、ちょっと自信なさげなノブちゃん。
「大丈夫。2人なら絶対合格できるって」
でもあたしは2人を信じていた。不思議なくらいに、微塵も不安を感じなかった。
「幸」
ジローちゃんがあたしの名前を呼んだ。
「待ってろよ」
「うん待ってる!」
高校生になってからの生活が、今から楽しみで仕方がな――
***
~病室~
◆◇勇舎幸◇◆
突如記憶のフィルムが途切れ、あたしの目に飛び込んできたのは、もう2度と見たく無かったベージュの天井だった。
夢を見ていた。皆であたしの合格祝いをしてくれたあの日。希望と絶望が同時にやって来たあの日。あれから1年。たった1年。もう1年。
……そうだ。あたしはまた此処に戻って来たんだっけ。
潤んだ目を右手で拭おうとしたが、それができなかった。あたしの手を誰かが握っていたからだ。あたしは首だけを動かして、手の主を確認する。
ジローちゃんだった。ジローちゃんはあたしの手を握ったまま、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。つと、勇気付けるために彼の手を握った日のことを思い出した。
「今度は逆ね……」
あたしはジローちゃんの手を一度ギュッと握り返した。小学生の時と比べ、大きくて男らしい武骨な手だと思った。あたしは彼の指を一本ずつ紐解いていく。右手が自由になってから、あたしは居眠りし続けるジローちゃんの顔を覗いた。
あたしはクスリと笑ってしまう。口から涎が垂れていて、折角の美形が台無しだった。
あたしは気にせず素手でジローちゃんの涎を拭ってから、彼の頬に手を当てた。スベスベの健康的な肌だ。指先に触れる硬質気味の髪の毛がこそばゆく心地よい。
あたしは頬に手を当てたまま、親指でジローちゃんの唇に触れた。柔らかい唇だった。でも冬だからか、少し乾燥していた。あたしは唇を数度端から端までなぞった。ジローちゃんはくすぐったそうに呻き声を上げたが、目を覚まさなかった。一度寝ると中々目を覚まさないのは相変わらずだ。
「……起きろ馬鹿魔王!」
あたしはチョキを作り、ジローちゃんの鼻の穴に人差し指と中指を突っ込んだ。
「フガッ!?」
流石のジローちゃんも堪らず目を覚ました。
「ジローちゃんおはよう」
「おはよー……」
ジローちゃんは寝ぼけ眼で腕時計を確認し「おそよー」と言い直した。ジローちゃんは座っていた椅子から立ち上がり、軽くストレッチをする。
「起こしちゃってゴメンね。疲れてるのに……」
「気にするな。気分はどうだ?」
笑顔で尋ねてくるジローちゃんに、えも言われぬ罪悪感を覚えてしまう。
「……ゴメンね」
「だから気にするな」
「無理よ。ゴメンね」
「謝るな。幸は何も悪くないのだ」
でも、1度生じた罪悪感は喉を駆け上り、口からポロリポロリと吐き出されてしまう。
「ゴメンね。ゴメンね。あの時酷いこと言ってゴメンね。また辛い思いをさせてゴメンね」
「だから謝るな」
ジローちゃんがあたしの手を両手で包んでくれた。この温もりを、あたしは後何回感じることができるのだろうか。
「全部自分で決めたことなのだ。だから……謝るな」
この真っ直ぐ精悍な瞳を見れるのも、残り何回なのだろうか。この低くて優しい声を聞けるのも、残り何回なのだろうか。
突き放すべきだと分かっているのに、あたしは縋ってしまう。たとえもう一度突き放したとしても、意固地な彼はあたしに関わり続けるだろう。
それが愛おしくて、切なくて、嬉しくて、恐くて、だからこそ……だからこそ……




