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6-10 この悲しみが続く限り 転

 ~現在~


 16時ちょっと過ぎに、気絶していた姫路がようやく目を覚ました。姫路は猫のように仰向けで全身を伸ばしつつ、大きな欠伸を披露する。


「んーーー……よく寝たってな」

「姫路。体調はどうだ?」

「問題ねえよ。寧ろ元気いっぱいってな」


 姫路は起き上がると共に、清々しい笑顔でそう言った。


「姫路先輩ゴメンナサイ。苦手だと分かってたのに……」


 田中が狩りに失敗したオオカミのようなしょんぼり顔で謝罪する。


「ん? 何の話だ。じゃ、さっそくラストシーンの稽古に入ろうぜ」


 何事も無かったかのように振る舞う姫路。どうやら先程の怪談は彼の記憶から抹消されたらしい。

 オレは田中の肩を叩き、これ以上は触れないでやれと暗に伝える。田中は無言で頷いた。


 皆で協力して部室のテーブルや椅子を端に寄せ、立ち稽古するためのスペースを作った。今日は少人数での稽古の為、態々視聴覚室を借りる必要はない。


 オレと姫路は部室の北側に、それ以外の3人は南側に分かれる。北側が舞台で、南側が観客席の設定だ。


 ラストシーンはロミ雄との婚約が解消されてしまった元婚約者が、無理心中を図ろうとするところから始まる。しかし、今日は急遽婚約者役が来れなくなってしまったため、稽古できるのはジュリが刺された後のシーンからだ。


 オレと姫路は立ち位置を確認するが、どうもしっくりこない。


「田中。婚約者役になれ」

「What's!?」


 田中が英語で叫ぶ。田中は不意を突かれると偶に英語が飛び出す癖があった。


「勘違いするな。オレが言っているのは、婚約者役も含めた立ち位置の確認をしたいから、一時的に仮の婚約者役をやってくれという意味だ」

「ああ、そういうことですか」

「うむ。婚約者がロミ雄を刺そうとするシーンから始めたいから、適当な台詞を吐きながらオレを刺しに来てくれ」

「了解」


 オレは小道具箱から刃先が引っ込むおもちゃのナイフを取り出し、それを田中に渡した。オレと姫路は舞台中央、田中は下手側で位置に付く。




~TAKE1~


「ロミ雄よ……忘れられた時代に生まれし七英雄の末裔よ。貴様で最後だ。貴様を殺せば、虚無なる災害(ヌル・ディザスター)の封印が解かれる」


 田中が酷いアドリブ台詞を吐き始めた。確かに適当にと言ったが、それは感情を込めなくてもいいという意味だ。あと設定を中二改変すな!


死と言う名の無に還れレスト・イン・ヴォイド!」


 田中がオレ目掛けて突っ込んで来る。


「駄目!」


 姫路がオレを庇うために前に出た! そして凶刃が姫路の胸を穿つ――筈だったのだが。


「グフゥ……」

「ロミ雄! ああ何てこと!?」


 ナイフは姫路の頭上を素通りし、易々とオレの胸に突き立てられた。

 小柄な姫路がオレを庇うには、圧倒的に身長が足りないっ!


「アッハア! ロミ雄を打ち取ったりぃ! 災害(ディザスター)よ! 汝の目覚めの時は今来たれり!」


 田中がノリノリで狂人の演技を続ける。

 お前眼鏡したままだよな。刃物を持つと性格変わるタイプか?


「ロミ雄よ……無に還る前に言い残すことは無いか?」

「チェンジで!」


 ***


 田中を仮の婚約者役から降板させ、2年の女子にやって貰うことにした。婚約者役はやはり女子の方が適切だ。


「最初からそうしろっての」


 姫路に鋭く突っ込まれた。

 うむ。まったくもってその通りだ。


 オレは刃を出し入れして遊んでいた田中から、おもちゃのナイフを取り返し女子に渡す。田中は骨を取られたオオカミのようにシュンとした。




~TAKE2~


「わたしにはもう何もないの。ならせめて……あんただけでも手に入れる!」


 台本通りの台詞を吐きながら、婚約者役がオレ目掛けて突進する。


「ダメえ!」


 姫路が両手を広げ、オレを庇うために前に出た! そして凶刃が姫路の胸を穿ち、苦悶の声を上げながら姫路は崩れ落ちる。


「わ、わたしは悪くない……その女が勝手に飛び出してきたのよ!」


 婚約者役はナイフを捨て、舞台袖へと逃げていった。


「ロミ雄……よかった……」


 姫路が息絶え絶えになりながら、儚げに笑う。本当に刺されたのではないかと錯覚させるほどの、迫真の演技だった。


 ストップ――その言葉をオレは飲み込んだ。


 立ち位置の確認の為に始めたことだから、姫路が刺された時点でストップするつもりだった。だが姫路の演技が素晴らしく、オレの俳優魂に火が点けられる。


「ジュリ! しっかりしてくれ! どうしてオレを庇ったんだ? お前を裏切ったオレを、どうして……」


 オレは姫路の体を両手で抱き、喉を震わせる。


「ロミ雄……それはアナタのことが、世界で一番好きだから」


 今にも消え入りそうな姫路の声。流石は元子役。今日は格段に調子が良い。まるでお話の世界のジュリが、現実に降臨して来たかのよう。オレの演技の熱量も上昇していく。


「頼む……逝かないでくれ」

「ごめんね。もう駄目みたい……」

「ジュリぃ……」


 オレの眼から、自然と涙が零れ落ちた。


 ……何故だ?

 例え一流の俳優でも、涙なんて容易く流せるものではない。なのに、何故か涙が零れてしまった。


「ねえロミ雄……お願いがあるの」

「……えっ?」


 脚本に無いどもりが、喉の奥から出てしまった。


 一瞬……姫路の顔がメゴに見えた。何故?

 疑念が生じつつも、演技は止まらない。止められない。止めてはいけない。


「私はこれからお空に旅立ってしまう。けど、ロミ雄には空じゃなくて、前を見て欲しい。私の死を……ゲホッ! ゴホッ!」


 姫路が苦しそうに咳き込んだ。台本には書いてない演技だが、今にも命が尽きかけている演出として申し分ない。


「ジュリ! もういい! もう喋るな!」


 オレも姫路のアドリブに応える。


「いいえ……どうしても貴方に、聞いておきたいことがあるの」

「な、何だ……言ってみろ」

「貴方は私の気持ちに……気付いてくれていた?」


 姫路が、今にも消え入りそうな声で尋ねてきた。


「済まない……本当に済まない……オレがもっと早くお前の気持ちに気付けていたら……こんなことには」

「嘘吐かないでよ」


 ……えっ?


「どうしてそんな嘘吐くのさ」


 姫路が立ち上がり、オレを見下ろす。


「……メゴ?」


 瞬きの直後、まるで手品のように、姫路の姿がメゴに変わった。


「大ちゃん……私の気持ちに、気付いていたよね」


 いつの間にか部室は、メゴとオレの2人きりになっていた。


「それなのに……大ちゃんはあの日、私を置いてデートに行った!」


 割れたガラスのような声で、メゴはオレを責め立てる。


「大ちゃんは、私の事なんてどうでもよかった」

「違う……」

「私の事を、キャストの1人としてしか見ていなかった」

「違う」

「所詮私と大ちゃんはただの他人だ!」

「違う!」


 どうでもよくない! キャストだなんて思ってない! 他人だなんて思ってない!


「嘘だ! じゃあどうしてあの日振り返りもしなかったのさ! 8月8日は……私達の誕生日だったじゃないか!」

「違う……違うんだメゴ……」


 そうだ。もしあの時、オレが振り返っていたら……

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