よんじゅうご
主人公の過去のようなものが出てきます。たぶんシリアス。
夏休み真っ最中のある日、私は朝からベッドに横になっていた。いつもなら起きている時間だ。
「……熱出てるな。夏風邪か?」
体温計を見ながらそうつぶやくのは私の兄である。熱あったのか。通りで頭がぼーっとするわけだ。めったに熱を出さないからわからなかった。しかし夏風邪か……。うん。こんな言葉があったな。
『夏風邪はバカが引く』
「……夏風邪じゃない。元気」
「起き上がるな寝てろ」
上半身を起こすと兄に戻された。元気なんだ。夏風邪なんて引いてないから。だからそんなベッドに押さえつけないでください。
「そこまで熱は高くないから一日様子見ような」
「がんばる」
「ちゃんと俺が看病するから頑張るな。休め」
「兄さん学校行くんじゃなかったっけ」
兄は夏休みに何回か学校へ行っていた。今日も行くと聞いていたのだが。
「別に強制じゃない。休む」
「申し訳ない」
「本来なら俺は行かなくてもいいんだよ。だから気にするな」
「ん」
兄が私の頭を優しく撫でる。それが心地よくて、だんだんウトウトしてきた。このまま寝とこう。
『もう、具合悪いなら言いなさいな』
体温計を持ったお母さんが呆れたようにそうつぶやいた。ごめんて。気が付かなかったんだよ。
『ホントにあんたって子は……。ほら、いつもの作ってあげるから横になってなさい』
りんごはうさぎで。
『わがままねぇ』
困ったようにお母さんは笑った。
「…………ん……お母さん……?」
あれ? さっきまで近くに……あれ? もしかして寝落ちしたかな。お母さんの作ってくれたスープ冷めてないといいけど。
「おかあさー…………」
違う。
ゾッとしたものが体をかけめぐった。
今日母さんは仕事だ。体調を崩した私の面倒を見たのは私の兄だ。私、間切波留の兄、間切梓だ。お母さんじゃない。私の今の母は、あの人ではない。この世界にあの人はいない。
少し乱れた呼吸を落ち着かせ、寝返りを打つ。今が一人でよかった。兄が、弟がいたら怪しまれただろう。それにしても。
「……久々にみたな」
前世の記憶、いや、夢か。最近はだいぶ見なくなってたのにな。
「波留、起き上がれるか? お粥作ってきた」
「リンゴもあるよ!」
扉をあけて兄弟が部屋に入ってくる。兄の手元にはお盆にのせられたお粥やらが。圭の手元には折りたたみ式の机。時計をみればもうお昼どきだった。机にお粥をおいて二人が去っていく。食べていいんだろうか。私が迷っていると二人はすぐに戻ってきた。昼食を持って。一緒に食べるらしい。三人揃って和気藹々と食事を囲むこととなった。ひとり飯は寂しいから、よかった。
「人が最初に忘れるのは声らしいね」
お粥を食べながら独り言のように声に出す。あ、お粥美味しい。
「ん? あぁ、らしいな。そのあとは顔だったっけ」
兄は少し考えたあと合点が行ったのか話を続けてくれた。
「うん、それで最後に思い出」
人は長年その人にあっていないと声から忘れ、顔を忘れ、そして最後に思い出を忘れるという。どこかで聞いた話だ。
「えっお姉ちゃん僕のこと忘れるの!?」
弟が驚いたように私を見て叫んだ。何がどうしてそうなったんだろうか。
「今話したのは長年会わなかった人の話だよ。圭とは毎日会ってるし、そうでなくとも忘れないさ」
「そっか! よかった!」
可愛い弟の頭を撫でる。うちの弟かわいい。
「それにしてもいきなりどうしたんだ?」
「……何となくね。前に何かで聞いたのをふと思い出して……」
「そっか」
「ん。あ、りんご……うさぎだ」
空になったお粥が入っていた食器を少しどけてりんごの入った器を取る。リンゴはうさぎの形にされていた。
「それ僕がやったの!」
「キレイにできてる。包丁で手を切らなかった?」
「切らなかったよ、ほら!」
そう言って見せてくれたては傷一つない。もう一度頭をなでてやれば嬉しそうに顔をほころばせた。かわいい。
手を離すと圭が食事を再開したので自分もりんごを食べる。
――10年。いや、気が付かなかっただけでもっと前かもしれない。けれど、それでも結構保ったのではないだろうか。
私は、夢に出てきた母の声も、顔も、もう思い出せなくなっていた。




