69話
「けい」
声をした方……私の家の方向には険しい顔をした圭がいて、早足で私の方へと歩いてきていた。そこまで距離がなかったのですぐ私と戸柄先輩の間に滑り込む。
「戸柄先輩、ですよね。姉さんに何か? それとも兄さん?」
私を背に、圭が言葉を続ける。圭また身長伸びてないか。伸びるの早くないか。
「あなたは」
「間切圭。間切梓の弟です。で、何か御用ですか」
「いえ別に……。……間切くんは元気?」
「……」
少しだけ呼吸が落ち着いてきた。
「圭、波留」
圭が何も言わずにいると今度は兄の声が耳に響く。驚いて見れば兄はコートにマフラーにと、完全防寒装備で家の玄関のところに立っていた。
「兄さん、身体……」
「平気だよ。二人とも、俺は少し話してくるから家に入ってなさい。……ごめんな」
私達の方へよって来た兄が悲しそうな顔で私達の頭を撫でる。
「……玄関の前にいる。あんまり遠くに行かないで」
「わかった。ごめん」
渋々そういった圭に弱々しく微笑んでから兄は戸柄先輩に向き合う。私は圭に手を引かれて玄関の方へと連れて行かれた。
「姉さん、あの人に何言われたの」
「?」
「顔色悪い」
私の頬を両手で包んで、圭が心配そうに顔をのぞき込んでくる。圭の手が温かくて心地よい。というか、私の顔色は悪いのか。
「なにも。大丈夫だよ、暗いから、少し怖くなっただけだ」
絞り出した声は頼りなかった。
「……手、冷たい」
「圭はあったかいね」
「姉さん手袋持っていかなかったの」
「忘れてた」
「……」
私の手を握った圭は、視線をずらして少しだけ離れた場所にいる二人に目を向けた。また険しい顔をしている。
「あの人知ってる。兄さんに執着している人でしょ」
「よく知ってるね」
「噂になってた」
まるで親の敵でも見るような目で戸柄先輩を睨む圭。ふむ。圭がこんな顔をするのは珍しい。
「……暴力は駄目だよ」
「あの人が兄さんに何もしなければ」
「そう」
何もないといいが。
私も話している二人に目を向ける。距離があるせいで二人の表情は見えない。
……彼女も、私が死んだあとにあの男と会ったんだろうか。話をしたんだろうか。あの男に害されてはいないだろうか。元気に、しているだろうか。
そう考えたところで、ゆっくりと目を瞑り、首を振る。
考えても無駄だ。彼女にも、あの男にも、私はもう二度と会えないし、関わることはできない、彼らのことを知る機会すらない。
二人でくっついていれば話し終えたんであろう兄がこちらへと戻ってきた。戸柄先輩は佇んだまま動かない。
「兄さん」
「待たせた。……家に入ろう」
「あの人は?」
「一人で帰れるって。……たぶんもう関わってこないよ」
兄がそう言うならと、三人で家の中に入る。なんか良い匂いがする。夕飯の匂いだろうか。
「波留、大丈夫か?」
「大丈夫。そんなに顔色悪い?」
「悪い。…………ごめんな」
兄はまた泣きそうな顔をしていた。
なんで兄が謝るんだろう。
「兄さんのせいじゃないよ。兄さんこそ身体大丈夫?」
「うん。取り敢えず明日様子見て、大丈夫そうだったら学校行くよ」
「そっか」
兄が大丈夫ならいいんだ。
その日の夜は夢見が悪かったので弟と一緒に寝た。
そして、それからというもの、戸柄先輩が私の前に現れることも、兄の体調が崩れることもなくなり、平和な日常が戻ってきた。
あんな兄に執着していたのに、随分とあっさりしたものだと思ったが、兄も何も言わないので気にしないことにした。やけにすっきりした顔をした東雲先輩がいたが、それも気にしないでおいたほうが良いだろう。




