第六十九話・解放交渉
「貴様……こんな、こんな下らないイカサマを仕組んでいたのか!」
幹部の見ている前だということも忘れて、字一は声を荒げた。
「こんなイカサマ、認められると思うのか!?」
「イカサマじゃねぇぞ」
変装を解いた丈二が反論する。
「俺はただ、カードをシャッフルしてディーラーに渡しただけだ。カードの表を見ながら並べ替えたわけじゃあない」
「だが……」
「それにだ。仮にイカサマだったとしても、勝負の最中にそれを見抜けないあんたが間抜けだったってことだ。イカサマは現行犯を捕まえなきゃ意味ねぇんだぜ」
「しょ、勝負はまだ続いている! まだ500万……」
「もうよい。見苦しいぞ」
風三が議論を中断させた。
「彼の強運――偏才のことは我々も聞いている。だが、君の敗因はそれだけではないだろう?」
「う……」
「そもそもは、君の爪の甘さだ。念入りに警戒していれば問題はなかった」
ついさっき到着したばかりで勝負の過程を見ていないにも関わらず、風三は的確に字一の弱さを責めた。まるで初めから結果がわかっていたかのように。
「どっ、どっちにしろ、相手の策が割れた以上、俺に負けはありません! 丈二がカードに触らなければ!」
「いいや、君は勝てない」
九断が冷たく言い放った。
「そんな……。か、必ず、ここから逆転してみせます! 俺の偏才なら可能です! 負けません!」
「負けるとは言っていない。勝てない、と言ったんだ」
「!?」
「君は、彼に勝ってその後の処分を出来るのかね?」
九断もまた見抜いていた。字一がドスを受け取る際、『力』の行使に抵抗を感じていたことを。
「あまり我々をなめないで欲しいな。字一君」
「数十年、裏の社会で生きてきた身だ。本物の覚悟と偽物を見分けることぐらい出来る」
(偽物――)
幹部二人の言葉が、次々と字一の体に突き刺さる。数時間前、本部にいた時とはまったく違う表情だ。
「組の代紋が入ったドスを受け取ったにも関わらず、君はそれを使うつもりになれなかった。覚悟がなければ拒否すればよかったのだ」
「執行からの逃避と責任の重圧が目を狂わせ、転げ落ちるように敗北した。わかるか?」
(バカな……あの状況で拒否など出来るわけが……)
唐突に、字一の脳裏に一つの考えが浮かんだ。脳に弾丸を撃ち込まれたかのように、その考えは衝撃を伴って字一を襲った。
(俺は……試されていたのか。この幹部達に、テストをされていたというのか?)
「本当に残念だ、字一君」
(まさか――)
足元に、ぽっかりと穴があいたような感覚。直人達がカジノに現れたという報告を受けた時、字一は昨日と同じことをするだけだと思っていた。相手の戦意を削いでしまえばいいだけの仕事だと思っていた。幹部二人は、字一への試練に利用した。
字一だけが何も知らなかった。直人達の策も、幹部の思惑も。
「まだ500万残っているな」
視線を字一から直人へと向け、風三は言った。
「約束通り、君があと500万稼げば二人は解放する。二人はそのために連れてきた」
「……ありがとうございます」
直人の表情には安堵の色があった。ハッキリと保障がついたからだ。
「さて、残りの500万を賭けた勝負だが……字一はもう使えない」
ビクリ、と字一が肩を震わせる。だが、風三は気にも留めない。
「代わりの者が勝負を引き継ぎ、続行する。構わないか?」
その質問は直人に向けられていた。しかし、それを遮る声が後ろから割って入った。
「……父さん。もう勝負は必要ありません」
元彦が、ここに来てから初めて口を開いた。
「一人分の金額は一千万でしょう。今の1500万で、光助だけを解放してください」
感情のこもっていない、静かな声だった。いつの間にかギャラリーたちも去っており、しばらくの間、沈黙が周囲を包んだ。
「……ほう。お前はいいのか」
「ええ」
「ボス。何を言いよっとですか」
光助が口を挟む。その額には、珍しく汗が浮かんでいる。
「今も見たやろ? いくら綺麗事を言ってん、こいつらは信用したらいかん大人やぞ。そいつらん元で働くなんざバカげちょる」
「光助!」
九断が声をかけるが、光助はやめない。
「治安維持だのなんだと言うちょるくせに、自分の周りの人間すらまともに救えん。それがこいつらん正体や!」
「黙れ!」
「やめろ、光助。お前は逆らうな」
元彦が右手で光助を制する。
「全ての元凶は俺だ。それに、二年間も雲隠れしてしまった身分だしな。今更一般人には戻れない。お前はまだ間に合う」
「やけん……」
「父さん、九断さん。光助を解放してカタギにしてやってください」
元彦の目に迷いはない。かといって全てを諦めた顔でもない。穏やかな、運命を受け入れるような顔だった。
「わかった。受け入れよう」
「ほ、本当にいいんですか!? ボス……」
丈二と直人が同時に叫んだ。が、元彦はそれも視線で制する。
字一だけが、顔を伏したまま動かなかった。