第六十七話・看破不可――焦燥
人生において最も酷い一日。字一はそう感じた。
(ここまで来て……こんなガキ共に邪魔されるとは……)
汗ばむ手で三枚目を返す。2を除いた中では最小のカード、4である。これでさらに15ポイントが加算され、直人のポイントは44となった。字一は0だ。
(なぜこんなことになったのか……。そうだ、最初の狂いはコイツのせいだ)
周りの人間に悟られぬよう、スーツの内側に手を入れる。なくなっていてほしい、と字一は願ったが、無情にも懐刀はそこに存在していた。
(こいつを手渡された時から、俺は動揺し始めたんだ)
『指の一本でも落とせば十分だろう』
風三は平然と言い放った。幹部である風三と九断は、実際にそのような光景を目にし、時には自ら手を下してきたのだろう。だが、字一にとっては初めての経験である。
(指を落とせ、だと? ……覚悟はしていたつもりだったが……)
字一は本来、殴る、刺す、などといった暴力は好まない性格である。だからこそ俊を仲間に入れたのだ。
(もしかしたら俺は、無意識のうちに負けを望んでいるのか? ドスを抜かないですむよう、知らず知らずのうちに負けたがっているのか!? バカな、ここで負けてしまっては全てが水疱と帰してしまうというのに……)
だが、事実負けている。この五回戦も敗北が既に決定してしまっている。
「10です」
またもだ。直人は強いカードを上から順に引いている。
(クッ……流れは完全に奴のもの……。ならば、守備に徹底するだけだ)
倍数を2にするため、字一は5を引いた。さらに15ポイント加算となる。
(仮に、2以外の全てのカードを取られたとしても89ポイントだ。二倍しても178の被害で済む)
が、そこにもまた見落としがあった。
四枚目、直人が引いたのは予想通りの9。字一は6だ。残ったのは2、7、8の三枚。字一の予想では、直人は8を引くことになっていた。もはやここまで来ると偶然では済まされない。何かしらのイカサマを用いて、必ず最強のカードを引けるようになっているのだろうと確信したのだ。
それが見落としだった。
「最後……2、です」
誤算。直人は、字一がわざと最後まで残していたカードを取ったのだ。
(2だと……? バカな! それじゃあ……)
慌てて字一もカードをめくる。8だった。10ポイントが字一のものとなる。
「僕の得点は64です。差は54ですね」
(しまった――)
最後に残された一枚。見なくともわかる。7だ。
「54かける7は378。これで僕の勝ち分は合計689です」
――おお、スゴいぞ! ギャラリーがどっと沸いた。彼らは直人達の目的こそ知らないが、今の一回が大きな前進となったことは伝わっているようだ。
「ノルマの三分の一を越えました。このまま続行し……」
「待て!」
字一が、直人の言葉を強引に遮った。あまりの剣幕のせいで、瞬時に周りのギャラリーも凍りつく。
「おかしい、不自然すぎるぞ」
「……」
「イカサマがないか、調べさせてもらう!」
中年男が回収しかけたカードを奪い、裏返しにして絵柄を見る。ガンが本当についていないのか、確認するためだ。
――確かに、今のは強いカードばっかし連続だったな。――いや、こっちの方も、下からほぼ順番に取っていたぞ、たぶん。そんな声が聞こえるのをよそに、入念にカードをチェックする。しかし、どこにもガンらしきものは見つからない。
(他には何が考えられる? ディーラーの男は俺が選んだんだ。直人に都合よく配るはずがない。……第一、シャッフルしたカードの順番を見もせずに把握し、どこにどのカードを配ったのかを密かに伝えるなど困難だ。丈二のような強運の持ち主でない限り、カードの並びをコントロールするなど不可能に近い。丈二は直人の隣に座っている)
いくら考えてもイカサマの手口がわからない。
しかも、時間をかけるほど、場の空気が悪くなってしまう。負けを素直に認めない小心者――そんな目で字一を見るギャラリーが出てくる。そんなことはプライドが許さない。さらに都合の悪いことに、組の人間である字一がイカサマをやると組全体の威信にかかわるが、一般人である直人がイカサマで組員を倒すことは、逆に英雄視されてしまう。
「……中断してすまなかったな。再開しよう」
だが、イカサマの疑惑を晴らしたわけではない。直人の行動に不審な点がないか、字一は監視することにした。
(さっきのようなことを繰り返されるとあっという間に負けてしまう。何とかしてイカサマを見抜かなければ……!)
残された猶予は1311万。下手をすれば4、5回程度で完全敗北となる。
(なぜだ、なぜ直人は強いカードばかり引けるんだ!)
六回戦、直人の引いたカードは……やはり、キングだった。
「このクソガキがッ! 必ず打ち負かせてやる!」
声を張り上げて威嚇するも、動揺したのはギャラリーばかりで直人は無反応である。
字一がカードをめくろうとした頃、ビルの前に黒塗りの高級車が停まった。