第六十二話・バー『トラルク』
字一は車から降り、関係者用の出入り口からビルに入った。裏稼業特有の薄暗い雰囲気が漂う中、エレベーターで4階へ上がる。
「待たせたな」
接客室に入り、待機させられていた二人に声をかける。二人とも学生服のままだが、立国丈二は野球帽を被っている。
「意外だったよ。あれほどの醜態をさらしておきながら、よくもまぁノコノコと挑んで来れたな」
すでに勝負は始まっている。丈二がプレッシャーに弱いことは昨晩の勝負で実証済みだ。
しかし、丈二は少しも怯まなかった。むしろ逆に笑みさえ浮かべている。
「早とちりするなよ。今回勝負を挑むのは直人だ」
「な……ッ!?」
予想外だ。見ると、積里直人も力強くうなずいている。本当にそのつもりらしい。
(バカな……。トチ狂ったのか?)
字一は当然、直人に対しても調査を行っている。その結果、多少生活力が高い程度で、特別な偏才はないように思われた。
(丈二ですら俺には敵わなかったんだぞ? 今更一般人に何が出来るというのだ)
もしや自分が見落しているだけで、直人には偏才があるのか? そう考えていると、当の直人が口を開いた。
「今日は……僕が勝負します。勝負種目は昨日と同じサーティーンですね」
(何だ? この余裕は。ただヤケになっているのか、それとも何か勝算があるのか……)
その時、ふと字一は思いついた。勝負の前に確認すべきことを。
「勝負自体は構わない。が、タネはあるんだろうな」
タネとは、勝負にかける金のことである。昨日丈二がカジノで儲けた500万はほとんどが消え、今日はカジノフロアでの勝負をさせていない。金は残っていないはずである。
「……昨日の残り、26万と僕たちがそれぞれ下した預金。合わせて100万はあります」
「100万? 正気か……」
あまりにも少なすぎる。『サーティーン』では一回の勝負で200、300もの金が動くのだ。100万では一回負けただけでマイナスになってしまう。
「それでどうにかなると思っているのか。話にならん」
「なります」
直人は自信あり気に言いきった。
「ただ、僕たちには保障がないんです」
「保障?」
「もし仮に2000万分勝ったとして、その後、ちゃんと要求を受けてもらえるのかわからないじゃないですか。最悪の場合、無事に帰してくれないということも……」
「我々が……決まりを破るというのか!」
字一は思わず声を張り上げる。
「ふざけるな! 負けたからといって暴力に訴えるようなことをするわけがない!」
組としての威信もさることながら、字一個人のプライドも相まってつい大声になってしまう。
「我々がそんな血なまぐさい『力』を使うのは……敗者に対してだ。相手に負ければ間違いなく要求は飲む。ただし、勝ったら……」
スーツの内側から、木製の鞘に収められたドスを取り出す。
「指一本を落とせ、と命令されている」
「……ッ!」
刃物の登場で、直人と丈二にも緊張の色が走る。しかし、直人は懸命にそれを隠しつつ、字一に交渉する。
「それは、わかっています。でも念のため、場所を変えてください」
「場所?」
「この部屋でなく、もっと人の多いところ。多くの人が見ている場所で勝負をしましょう」
「……」
この要求に対し、字一は思考を巡らせる。
(人が多ければイカサマや暴力を封じられる、とでも考えているのか? 浅はかな。元々イカサマなど使っていないし、負けを暴力でごまかすつもりもない。無意味だ)
自分にデメリットはないと判断し、字一は受け入れた。そして勝負の場はこのビルの一階にあるバーに決まった。
「あの店は客同士がカードで遊んでいることも珍しくない。気兼ねなく勝負できるだろう」
勝負の場に選ばれたバー『トラルク』は、中世ヨーロッパをモチーフにした渋い内装が特徴的である。落ち着いた大人のムードある店として会社帰りのサラリーマン達には好まれているが、未成年者の丈二と直人は少し緊張気味である。
「ここも一応組の管轄だが……それほど深く干渉しているわけじゃあない。安心して勝負するがいい」
店の最も奥のテーブルに二人を案内し、近くに座っていた中年の男に声をかける。
「すみませんが、ディーラーをお願いしてよろしいですか?」
「ん? ……ああ、構わないよ」
第三者にカードの配列を任せる。これも直人の提案だ。
「しかし、君たちみたいな子どもがなんで……」
そう言う中年男に、字一は名刺を見せる。それ以上の説明は必要なかった。
「もたもたと時間をかける必要もない。さっさと始めようか」
「ええ。それじゃあ先攻と後攻を……」
「それは俺が決める」
「え?」
直人が驚いて目を丸くする。昨日は丈二に選ばせたはずである。
「前回はそっちに選択させたからな。今日は俺が決める」
字一がそう主張したのも、一つの理由があった。
(なぜ俺にリベンジを挑むのか。何か勝算があるはずだ。……おそらく、俺の偏才に気付いたのだろう)
明石字一の偏才――それは直人の予想通り、『当たり』を引くことであった。後攻の方が偏才を発揮できる。直人は字一に先攻をさせるつもりだったのだ。
「俺が後攻だ。さぁ、早く始めよう」
中年男にゲームの説明をし、カードを並べさせる。かくして、二度目の勝負が始まったのであった。