第六十一話・懐刀の重み
「すでにお聞き及びでしょうが……昨晩、立国丈二を退けました。これで奴らは我々に刃向かって来れないはずです」
「うむ。上出来だ」
サーティーンの勝負があった翌日の夕方。鳴峰組幹部の風三は満足げにうなずいた。
「例え一般人だろうと、捨て身でかかってこられたら厄介だからな。戦意を喪失させたのは大きな功績だ」
「ありがとうございます」
表情には出さないが、字一も心の中で笑っていた。――これでまた、鳴峰組の幹部に近付ける。
「相手の最も得意とする分野で勝負し、返り討ちにする。それが最も効果的だ。これも、妹君の意見かね?」
「いえ、この件に関して、妹はノータッチです。妹には……カタギであって欲しいので」
そう言ったものの、みどり自身はそう望んでいるのか、字一もよくわかっていない。むしろ積極的に裏の世界へ踏み入ろうとしているようにも見受けられた。
「ところで、ウチのバカ息子達はどうしてるかな」
「さっき様子を見に行きました。大人しく謹慎しているようです」
「ほう。あの光助がね……」
九断が少し意外そうにつぶやく。
「後で我々も説教しに行くかな。では、字一君。今日は休みを与えるから早めに帰りたまえ。毎晩遅いと妹君も心配だろう」
「はぁ……」
確かにここ数日、みどりとまともに会話をしていない。カタギの道を行くのかどうか、一度確認すべきだと字一は判断した。
その時だった。閑静な屋敷の廊下を慌ただしく走る足音が響いたのは。
「明石字一さん、おられますか!」
部屋の前に到着した組員が、閉じた障子に向かって声をかける。
「何か御用ですか?」
「一番街のカジノから連絡がありまして……立国丈二と積里直人が再び訪れたそうです」
「なに!?」
字一だけでなく、九断、風三も同時に顔を見合わせた。
「アイツらが?」
「ええ。今のところ、受付のところで待機させておりますが……。いかが致しましょうか」
予想外の出来事だった。あえて丈二の得意分野で敗北させ、心を折ったつもりだったのだ。
「アイツは学習能力がないのか? なぜリベンジなど……」
「我々が彼らに与えたチャンスは一度きりだ」
考え込む字一に代わり、風三が応対する。
「そのチャンスはもう終わった。彼らの要求を飲むことは二度とない。追い返せ」
「はっ。ではそのように伝えます」
報告をしに来た男が頭を下げ、立ち去ろうとした時――。
「まっ、待ってください!」
字一は叫んだ。
「風三さん、九断さん。もう一度、チャンスをやれませんか?」
「なに?」
「昨日アイツらをカジノに入れたのは、奴らの戦意を失くすためです。それなのに再び現れたということは、まだ奴らに戦意があるということ、私の働きが不十分だったということです」
「……」
幹部二人に向かって頭を下げる。
「今奴らを追い払っても、何度でもしつこく食い下がってくるでしょう。今度こそ、私が完全に立国丈二の心を折ってみせます」
「……今の言葉をそのまま受け取ると、昨晩、君は仕事をしくじったということになるが……」
「結果としてそうなりました。だからこそ、もう一度勝負を受けたいと思います」
多少のマイナス評価はこの際仕方ない。しかし、あれだけ叩きのめした丈二に再戦を挑まれるのは、字一自身のプライドに関わる。
「お願いします」
「……」
幹部二人は、しばし無言で目を合わせる。が、最後は字一の意見をかった。
「いいだろう。彼らについては、君が一番よく知っている」
「ありがとうございます」
「ただし……」
風三がそう言うと同時に、九断が懐から棒状のものを取り出した。
「写真や金での威しで失敗したのなら、今度はこれを使って追い込むしかないだろう」
九断が字一に手渡したのは、九寸五分の短い日本刀――いわゆる、『ドス』であった。
「一度ならずニ度までも我々に勝負を挑んできたのだ。もはや完全に……敵と見なすべきだろう」
「……ッ」
鳴峰組の代紋である二条滝が彫られた鞘。その中に収められているのは紛れもなく本物の刃である。
「連中が負けたら、そいつで制裁を加えなさい」
「制裁……」
「命を奪う必要はない。指の一本でも落とせば十分だ」
ゾクリと、字一は寒気を感じた。指一本。一昔前の映画のような断罪を、自分の手で行わなければならない。刃物だ。扱いを間違えれば何が起こるかわからない。
「どうした? 震えているぞ」
字一の心を見透かしたように風三が声をかけてくる。
「い、いえ。大丈夫です。……必ず、やり遂げて見せます」
流れる汗を悟られぬように拭い、ドスをスーツにしまう。重い。刃物の重みだけでなく、自分のやるべき行動の重みまでもが、字一の胸に押し付けられた。
「丈二と直人をカジノに入れてください。他のギャンブルを一切させず、すぐに接客室へ通して」
「承知いたしました」
廊下にいた男が引きさがって行くのを待ち、字一も部屋を出て行った。
(……アイツらが悪いんだ。組の人間に手を出してきたからには、覚悟を決めているはずだ)
そう思い込んだ。それが、字一自身の覚悟が定まっていない証拠だと気付かずに。