第五十四話・渇欲の部屋
夜の街。仕事帰りの人々が思い思いに道を歩き、酒や安息を求めている。しかし、ある四階建てのビルの最上階へ向かう人々は、安息ではなく刺激を求めていた。或いは、己の労力に見合わない大金を得るために。
「にゃー」
一匹の黒ネコが、そのビルの裏に現れた。その後ろには一匹の白ネコ。そしてぎこちなくスーツを着こなした二人の男がついている。
「ここか……何階だ?」
「にぃ」
白ネコ――ケリーが黒ネコに「通訳」し、黒ネコが返事を返す。それを聞いてケリーは最上階を見上げた。
「一番上か。ありがとよ」
丈二はタブの開いたコーンポタージュ缶を地面に置き、ビルの表側に回った。直人もそれに続く。
「さてと……どうやって入るかな」
「普通に行ってもダメだよね」
予定では、カジノに向かう数人づれの客を見つけ、その集団の中に紛れ込んでいくことになっている。しかし、そうそう都合よく団体の客は訪れない。全くいないわけではないが、それらの大半は一階のバーに入って行く。
「どうする? このまま待ってても、カジノに入れるかどうかわからないよ」
「そうだな……。ダメで元々、一度行ってみるか」
「えっ」
「門前払い喰らってもいいから、とりあえず行くだけ行ってみよーぜ。ここでじっと待ってても始まらねぇし、もしかしたら案外、あっさり入れるかもよ?」
決断すると丈二の行動は早い。例によって直人の意見も聞かず、ビルの中へ足を踏み入れた。
エレベーターで四階へ上がり、ドアが開く。それと同時に、二人は予想通りの光景を目の当たりにした。
「いらっしゃいませ。会員証か紹介状を確認させていただきます」
カジノフロア全体を担当している受付嬢が、エレベーターのすぐ前で待ち受けていたのだ。
「会員証を提示してください」
(やっぱり無理だよ、丈二君!)
(あ、ああ……。そうだな)
二人は一瞬『あっさり入れるかも』と思ったことを後悔しつつ、エレベーターの方へ戻りかける。その時だった。
「じょ……」
受付嬢が小さくつぶやいた。
「お客様。失礼ですが、『じょうじ』というお名前では?」
「え……? そうだけど」
「じょうじ様のご来店は許可いたすよう、上からの指示されております。どうぞ、ご入りください」
「へ?」
意外な展開となった。しかし、これは好都合だ。
(もしかしたら、じょうじっていう名前の他の客と間違えてくれたのかな)
そう解釈し、丈二と直人は受付を後にする。
二人の後ろ姿を見送った受付嬢は、すぐさま壁に掛けてある電話の受話器を取り、番号を押した。数階のコールの後に、相手が電話に出る。
「もしもし、カジノフロアの受付です。たった今、立国丈二ともう一人……積里直人らしき人物を入店させました」
『……そうか。やっと来たな』
相手の男は、それだけを言って電話を切った。数日間放置していた網に、ようやく獲物がかかったことを喜ぶような声だった。
そんなことがあったとはつゆ知らず、丈二と直人はカジノハウスの扉を開けた。
「うわぁ……」
予想以上の人数がいた。内装はシンプルだが、丁重に整えられていて清潔な印象を受ける。しかし、この部屋に渦巻いている空気は、清潔とは真逆のものである。
「レッドに三十! これ以上負けられるか!」
ルーレット台から一際大きな声が聞こえてくる。
「す、すごいね。やっぱり。本当にお金が動いてるんだ……」
「ああ。あのチップ、一枚千円なんてもんじゃあないだろうな」
ギャンブル経験のある丈二にとっても、大人の賭博は初めてである。
「ブラック。目はブラックの16です」
「ちくしょうっ! まただ! これで五百はスッたぞ!?」
悲痛な叫びが響く。もっとも、それはルーレットだけに限らない。他の種目からも似たような声が聞こえてくる。
「勝ってる奴もいるにはいるが、博打ってのは銅元(主催者)が勝つようになってんだよな」
会話によって高まる緊張を拭いつつ、丈二はチップを購入する。
「とりあえず十枚。まずは軍資金を貯めるために、少額だけ張るか」
「が、頑張って! 丈二君」
応援を背に、ブラック・ジャックのテーブルに向かう。
「ここ、空いてるかい?」
他の客やディーラーは、どう見ても未成年である丈二の登場に驚きながらも、空いている椅子を勧めた。
「手始めにチップ2枚から行かせてもらうよ」
ブラック・ジャックは、ポーカーと違い、参加者(子)の意志を無視して賭け金が跳ね上がることがない。いくら賭け、いくら儲ける、あるいは負けるのかは完全に子の自由である。欲張らない限り大損はしないため、所持金の少ない丈二はこの競技を選択したのだ。
「ヒット。もう一枚……。よし、スタンドだ」
見守る直人と好奇心を持った客の視線を浴びながら、ディーラーがカードを追加する。
「……ディーラー、バースト。プレイヤーの勝ちです」
――出だしは好調だな。――まだまだ、勝負はこれからが難しいんだ。
周囲のギャラリーがヒソヒソと会話する中、丈二は、己の偏才に感謝した。
(勝てる。相手が巧妙なサマでも使わない限り、トランプ勝負なら絶対に負けねぇっ!)
強い確信を持ちつつ、今度は8枚のチップを台に置いた。