第五十一話・アジト到着
元々、ハツは人になつきやすい性格だったのかもしれない。濡れた体を拭く直人の周りをしきりに動き回っている。
「マジかよ。この間はメチャクチャ凶暴だったのに」
「本当に大丈夫なの?」
丈二と結子はまだ疑惑の目を向けている。直人自身も、ハツの豹変ぶりに驚くばかりであった。
しかし、もっとも驚愕しているのは俊だった。
「ハツ……お前」
目が大きく開かれ、じっとハツの顔を凝視している。
「お前、そいつに……」
「ワウ……」
怒声が飛んでくると思い、ハツは直人の後ろに隠れた。
「そいつに、助けてもらったのか?」
「ワン」
「……?」
どうもおかしい。俊の表情に怒りがない。
「よかったな! いや、お前が無事で本当によかった!」
今まで見たことのない純粋な笑顔だ。手足が縛られていることも気にせず、全身から「嬉しい」の感情を発している。
「お前は子どもの時のトラウマで水が苦手だったのに、川に落ちても無事に済んだんだな」
「ワン!」
怒られないということを理解したのか、ハツは尻尾を振りながら俊の前に出て座り込んだ。
「あぁ〜、ホント、お前が無事でよかった……」
「ワゥ」
「……」
意外な展開に、結子たちは呆然と立ち尽くすのみである。俊が自分の犬を大事に思っているのは確かなようだ。
「そうそう。あざー先輩の居場所だったな」
突然話題を変えてきた。
「教えてやるよ。つっても、縄をほどいてくれたらだけど」
「本当か!?」
「ああ。あの兄妹が住んでる家じゃなくて、アジトの方だけどな」
(やった!)
結子は心の奥で喜びの声をあげる。目的へ向け、また一歩前進出来た。
「アジト?」
「お前らにとっての、この図書館みたいな場所だ。俺はいつも、そっちのアジトであざー先輩と会ってるんだ」
明石兄妹の住居は知らないらしい。
「そこでもいいぜ。早く教えろ」
「先に縄ほどいてくんね?」
丈二は少しの間迷ったが、拒否した。
「そんなすぐに信頼できるかよ」
(――信頼)
その言葉が、結子の胸に重く圧し掛かった。
「大丈夫だよ」
口を開いたのは直人だった。
「大丈夫……だと思う」
「直人、マジに言ってんのか?」
丈二が怪訝な表情をする。しかし、直人は自分の意見をそのまま述べた。
「こ、この状況なら、反撃したくても出来ないと思うよ」
「まぁ、それはそうかもしんねぇけどよ……。結子は?」
結子にしてみれば、ついさっき、俊の要求を飲んだがために散々な目に会されたのだ。だが、この一連の事件は不信感から始まったものである、ということも事実だ。
結子の決断は早かった。
「そこの角を曲がったところだ」
俊が案内した先は、二つ隣の町にある古びた洋館だった。長い間空き家となっていたのを、字一が勝手に使い出したらしい。ニ階に一つだけ見える窓にカーテンは引かれていないが、中が暗くてよく見通せない。
「ここか……」
「……なぁ、本当に、俺がここを教えたってこと秘密にしてくれるか?」
俊が念を押す。
「ああ。俺たちはお前と違って約束は守るからな」
「……いや、俺も約束は守ってるよ。ちゃんと」
「約束の仕方に問題がある」
「いやぁ……それは、まぁ……しょうがない。とにかく、俺の役目はここまでだからな! 行くぞ、ハツ」
ハツを伴い、俊は逃げるように去って行った。
「さて、それじゃあ行くか。鍵はかかってないって言ってたよな」
丈二が壊れた門扉をこじ開けて言う。しかし、結子は用心深くあたりをうかがっている。
「今、みどりがここにいるとは限らないんじゃない? もうアイツらが集合する必要はないみたいだし」
もっともな意見だ。ただでさえ陰気で不気味な洋館に、すっかり日が暮れて暗くなった今も、少女が一人だけでいるとは考えにくい。あくまでも常識では、だ。
「でも、お兄さんがいるかもしれないよ?」
「アイツは鳴峰の組員になったんでしょ? だったらむしろ夜になってからが仕事時じゃない」
「それじゃあ……」
丈二が二階の窓を見上げる。
「あそこにいるのは、みどりちゃん一人ってことだな」
いつの間にか、窓にカーテンが引かれていた。確かにさっきまでは見えなかった、緑色のカーテンが。
「いる……ってこと、だよね?」
「時間が来たら自動でカーテンが閉まる、なんてハイテクな造りには見えねぇしな」
「あそこに、みどりが……。でも、開いていたカーテンを閉めたってことは、もう帰ろうとしているってことかな」
「たぶんな。それと、閉める時に俺らの姿が見えたかもしれない」
その推測はズバリ、的を射ていた。
「結子……。どうしてここに……?」
遠目に見ても、自分が最も会いたくない人物の姿はすぐにわかった。
「今更何のつもり?」
結子に会いたくない。しかし、みどりは逃げずに考えていた。結子が最も嫌がることは何なのか。
そして、みどりの卓越した直感――偏才は、すぐに答えを導き出した。