第五十話・舞台裏の寸劇
「わかった! すぐそっちに行く!」
携帯を切ると同時に、丈二は駈け出した。無論、直人も後に続くが、それを阻む存在がいた。
「ガゥ!」
ハツが素早く二人の進行方向へ回り込む。
「くそ、うざってぇ! 直人! 一旦散るぞ!」
「えっ!?」
丈二は方向を変え、入ってきたのと逆の側から出て行った。それに反応したハツが丈二の後を追って行く。
「あ、そうか二手に分かれて……」
直人もすぐに空き地を飛び出し、図書館へ向けて走り出した。
(丈二君、大丈夫かな……。いや、それよりも早く平崎さんのところに行かないと……!)
「ガゥッ!」
(え?)
不吉な予感がして、直人は振り返った。
「ガアァッ!」
「うわああ!?」
一旦は丈二の方へ向かっていたハツが、なぜか直人の方に狙いを変えていたのだ。
「なんでこっち来るの〜!?」
悲痛な叫びをあげつつ、逃げるしかない直人であった。
「いっつつ……。派手に血は出たけど、それほど深刻な傷じゃなくてよかった」
気絶した俊の手足を縛って倉庫に閉じ込め、結子は図書館の秘密部屋で怪我の手当てをしていた。
「あ〜あ、もう。あの変態本当にムカつく! 気持ち悪い……」
「にゃむ」
ケリーも同意のようだ。
「ところでさ、ケリー。アンタ何でここに来てたの?」
「にゃ……」
「光助とボスは? 元気?」
言いたくない、とでも言うようにケリーは深く目を閉じた。
「ひょっとして……監禁されてる、とか?」
「……」
図星のようだ。
「それであの二人を助けるために、私たちを探しに来たってわけね」
「にゃむぅ……」
ケリーはそれ以上返事をせず、体を丸めて眠りの体勢をとった。
「あとはジョーや積里君が来るのを待って、あの男からみどりの住所を聞き出すだけ、か」
治療を終え、フーッと息をつく。危機を乗り越えて安心すると同時に、疲労がどっと押し寄せてきた。
(みどり。アンタ、何で言ってくれなかったの?)
軽く眼を瞑ると、まぶたの裏にみどりの顔が浮かぶ。二年前、共にソフトで汗を流していた頃の明るい表情だった。
(お父さんのこと、軽々しく人に言えないのはわかるけど……。私には、私には言ってほしかったよ……みどり。そしたら少しは力になれたかもしれないのに……)
閉じたまぶたの隙間から、薄く涙が漏れそうになる。しかし、結子はそれを止めようともせず、過去のみどりに向かって声をかけ続けた。
(みどり、一人で抱え込まないで……)
「結子!」
男の声が沈黙を破った。窓の外を見ると、顔中に汗をかいた丈二の姿があった。
「大丈夫か!?」
「うん。ケリーのおかげでね」
しかし、直人の姿はない。
「積里君は? それと、犬はどうしたの?」
「直人の方は別の道を通ってきたからわかんねぇけど……。犬は途中でまいた」
丈二は気がついていなかった。ハツは丈二を見失ったのではなく、直人に狙いをつけただけなのだということに。
「刻同俊は倉庫に閉じ込めてあるわ」
「倉庫? ああ、あの物置か」
二人と一匹が倉庫に向かうと、俊はすでに目を覚ましていた。
「くそっ! 邪魔だ、この縄!」
扉越しに俊の声と暴れる音が聞こえてくる。
「この中に、足と手を縛って入れてあるの」
「犬はもういないみたいだな」
扉を開けると、予想通り俊が縄を相手に苦戦している。
「てめぇっ! この縄ほどきやがれ!」
「その前に約束を守りなさいよ。みどりの住所を教えて」
「うるせぇ!」
「教えろっての!」
丈二が俊の胸倉を掴んで怒鳴りつける。
「お前、状況がわかってんのか?」
「くっ……」
しかし、俊は口をつぐむ。
(ヤベェ、ヤッベエエよぉぉ。この状況もだけど、あざー先輩の住所が俺のせいでバレたとなったら……先輩に見捨てられちまう!)
汗が噴き出して止まらない。俊の未来は字一の胸一つにかかっているのだ。
「おい、聞いてんのかよ!」
丈二に前髪を引っ張られ、無理やり目を合わせられる。
「なぁおい……」
「うっせぇよ!」
怒鳴り声をあげる。すると、どこか遠くから近付いてくる声が聞こえてきた。
「……ァン! ワン!」
「犬!?」
「あの鳴き声は……ハツ!」
まさしく、倉庫の入り口にハツが現れた。
「ワン!」
「ハ……ツ?」
ハツの表情は、いつもの凶暴な顔つきではなかった。子犬のように朗らかで、晴れた笑顔を見せていた。
「ハァ……ハァ、ま、待ってよ」
「積里君!」
直人が遅れてやってきた。なぜか制服がびしょぬれになっている。
「犬から逃げる、途中で、川に、落ちて……。その犬も、巻き込まれて、一緒に落ちちゃったんだ」
「なに!? ハツは泳ぎが苦手なんだぞ!」
直人とハツの様子を見ればわかる。溺れかけたハツを直人が土手に引き上げたのだ。
「そしたら、なんか、懐かれちゃって……」
そう言うそばから、直人の足元にまとわりつくハツであった。