第四十話・逆恨みの凶刃
『ここん館長と知り合いでね』
光助は図書館の廊下を歩きながら、後ろにいる元彦に説明する。
『館内を改装したら一つ部屋が余ったっちゅうかい、空き部屋を借りて出入りできるように話つけたんですわ』
『ほぉ……結構広いな』
重厚なドアの奥に広がる静かな空間。本棚に薄く積もったほこりの臭いが、どこか懐かしい感情さえも思い起こさせる。
『にゃー』
カーテンと窓を開けると、ケリーが室内に入ってきた。同時に日の光が閲覧席の周りを照らし、ゆるやかに暖める。
『君が、話に聞いていた光助か』
『まぁ、そうですけん。あん親父、一体どげな話をしょっとけ……?』
『そうだな……例えば』
『ああ、いや。別んいいスわ。それよか、まさかこげなところで同業者の息子さんに会うたぁ思わんかったわ』
風三と九断。鳴峰組の柱となる二大幹部の息子たちは皮肉な笑みを浮かべあった。その表情で、お互いに相手も組の人間になることを望んでいない、ということを察知していた。
『光助は今、高校一年生か』
『ええ。入学前かい卒業後の進路が確定しちょります』
『そうか。……俺と同じ道だな』
元彦は、光助に対して悪い印象は感じなかった。胡散臭い口調でありながらも、自分が今まで見続けてきた裏の人間達にはない純朴さがその内に感じられる。
『元彦さんは、すでに組のもんとして働いちょるんスけ?』
光助も同様だった。自分が毛嫌いしている組織の中で、この人物だけは気が許せるような気がしていた。
『本格的な取り締まりや徴収はまだ未経験だが……本部で特別な仕事をやらせれている』
『特別?』
言ってしまってから、元彦はハッとした。自分が人の感情を読めるという才能を持つということを、知られてもいいのだろうか、という考えが湧き出てくる。
(どうせ、いずれは明かさなければならないことだ。しかし……今、久々に、素直な会話ができているんだ。「自分の心を見透かされている」ということを知ったら、光助も嫌な気分になってしまう)
『ああ、そういやぁ』
(……?)
『ずいぶん前に、親父かい聞かされたこつがありますわ。元彦さんは人ん心が読める、っちゅうて』
『あ、ああ……そうか』
意外にも、光助は少しも嫌がる素振りを見せなかった。こうして会話をしている時にも自分の感情が相手にバレているというのに、実に飄々とした態度だ。
『別ん後ろめたいところはないですかいね。ハナっから本音で接すりゃあ、何も問題はねぇって、ウチん家政婦の受け売りやけんね』
後日、光助はそんなことを言った。二人はその後も、何度か図書館で会話をした。光助はたまに帰ってくる父親と顔を合わせないために、この図書館を隠れ家として利用し、元彦は、本音で接してくれる貴重な友人に会うためにここを訪れるのであった。
しばらくの間は、平穏に時が流れて行った。それが破られたのは、二人が出会ってから一か月ほど後のことであった。
『見つ、けたぜ……お坊ちゃんよぉ』
元彦は図書館に向かう途中、道端で男に声を掛けられた。ボロボロに擦り切れたスーツをまとい、アルコールの匂いをまき散らすその人物に元彦は見覚えがあった。
『あなたは……』
『忘れやしねぇぞ、こっちはよ。お前のおかげで、オレァ組を追放されたんだ』
以前、元彦の「裁き」により、処分を受けた男である。
『組を追放されて、オレァ真っ当な職につくことすら出来やしねぇ。筋モンを雇ってくれる人間なんざいねぇからな』
『あれは……アナタが最初に犯罪を起こして、しかも反省をしなかったから追放になったんでしょう。それに、本当ならもっと重い罰になっていたところをこれまでの貢献度から判断して軽く……』
『ああそうだっ! 俺は組に散々尽くしてきたんだよ!』
男は元彦の胸倉を掴み、顔の目の前で怒鳴りつける。
(マズイ……こいつ、本気で怒っている声だ。ほとんど狂気が支配している……ッ!)
『お前の親父と同じぐらいの年月、俺は組で働いてたんだ。なのにお前の親父や九断の野郎ばかりが出世していきやがって、俺はいつまでも下っ端のまんまってのが納得いかねぇんだよ!』
『それは、アナタの酒癖が悪いから……』
『ガキが文句垂れてんじゃねぇ!』
口から吐き出される酒気が元彦の顔にかかる。思わず目を背けてしまう。
『俺にだってガキがいるんだ。それも二人もな。上の子はお前と同じ年で、本当なら大学に行かせる予定だったんだ。なのに台無しになっちまった。字一は大学をあきらめて自分で働くようになったんだ』
(字一……?)
男の息子の名前らしい。
『親として情けねーじゃねぇか。体裁ってもんがよ! お前があの時見逃してくれればこんなことにはならずにすんだのによ』
『くっ……逆恨みを……!』
酔った男は聞く耳を持たず、右手で懐からナイフを取り出した。