第三十九話・風三 元彦
風三元彦は、広い座敷の中央に座っていた。無論、座布団の上に正座である。
『どうだ? 元彦』
父が後ろから声をかけてくる。父の隣には、いかにも堅物そうな顔つきの男たちが並んで座っている。逆に元彦の正面には、こちらを向いて土下座している中年の男がいた。
『本当に、申し訳ございませんでした』
男は蚊の鳴くような声を出し、畳の上に頭をこすりつける。昨日、民間人を脅して金を巻き上げていたことをわびているのだ。
『病気の母に入院費用をと思い、つい気が焦り……』
『どうなのだ。元彦』
父の声が男の言葉を遮る。元彦は男の震える肩を見ながら、ポツリとつぶやく。
『……残念です』
『残念? どういうことだ』
それには答えず、元彦は座布団から立ちあがった。
『どういうことだと聞いているのだ。ハッキリと明言しなさい』
『……残念ですが、その者の言葉には真実の色も、反省の色もございません』
『ひぃっ!』
と、男が小さく悲鳴をあげた。父の隣にいた者たちが立ち上がり、男を取り囲んでいく。
『先に失礼します』
元彦は自分で障子を開け、逃げるようにその場を去って行く。
数分ほど別室で読書をしていると、二人の男が入ってきた。
『お前の言うとおりだったぞ。元彦。あのウソつきはしかと処分した。無論、金も被害者の元に返させておいたぞ』
『しかし、最近は任侠の世界にもただのチンピラあがりが多いものですな』
父と、その右腕とも呼ばれている「いぶし銀」の男――九断である。
『元彦君も、ああいう手合いには厳しく接してもらわないとね』
『はい』
『そうそう、九断。お前のところの息子もそろそろ高校生じゃないか』
『ええ、早いもので。光助にも、高校卒業後にはウチの組員になってもらいます』
九断光助という人物に元彦はまだ会った事はないが、その名は度々聞かされていた。
『元彦よ。お前や九断の息子といった若い人材が、これからの組織には必要となる。お前の方が三つ年上なのだから、決して遅れを取るなよ』
『はい』
そうは言ったものの、元彦はこの世界が好きではなかった。義理と人情。聞こえはいいが、実際にその裏で動いているのは人間の欲と都合である。そして何より、自分が「裁き手」となるのが嫌だった。
『それにしても、元彦君は本当に素晴らしい才能を持っているね』
九断が微笑む。
『わずかな言葉の震え、強弱、間の取り方。そう言ったものから相手の心の奥を見透かすことが出来るなんてね』
『完全に読心が出来るわけじゃないですよ。感情や、せいぜい嘘を言っているかどうかを見抜く程度です』
『それでも充分にスゴイと思うがね』
『しかし、それだけではいかんのだ』
父が声を大きくする。
『将来、組の未来を背負うものとしては、見抜くだけでは足りぬ。人の上に立ち、それらを扱っていくには器量が必要となる。そのためにお前はもっと器を磨かねばならん』
『ええ、わかっています』
その日はこれで解放された。
(……本当に、このままでいいのか?)
高校を卒業したばかりで、まだ組の一員になったという実感はない。元クラスメート達は進学したり一般企業に就職したりしているのに、自分はこんな裏稼業に身を置いている。そんな現実を認めたくなかった。しかし、自分の胸ポケットに入っているバッジは、紛れもなく鳴峰組の証である。
(もっと他に、自分に出来ることはあるんじゃないか?)
そんな考えを口に出すことはできない。一度組のものになってしまったからには、簡単に抜けることなど出来ないのだ。
自分の現状を嘆きつつ、町中をあてもなく歩き回る。ふと気がつくと、その足は図書館に向かっていた。
『そうだ、借りていた本を返さないとな』
自然に独り言がこぼれる。すると……。
『にゃあ』
(……?)
合いの手を入れるかのように、足元から猫の鳴き声がした。見ると、真っ白なノラ猫が草むらからこちらを見ていた。
『にゃむ』
『あ、ああ……』
とりあえず返事を返してしまった。
『おおい、ケリー、どこいったと?』
遠くから若い男の声が近づいてくる。
『にゃっ!』
猫は草むらから飛びだし、素早く元彦の胸ポケットから組のバッジを奪った。
『あ、おい!』
猫はそのまま男の方へと走って行く。
『それを失くすとマズイんだ! 返せ!』
元彦も走って後を追う。
『お? なんで親父ん組のバッジがここんあっとけ?』
元彦よりも若干年下の、それなのに妙に年寄りくさい話し方をする少年は猫からバッジを受け取り、首をかしげた。
『ケリー、この辺に鳴峰の人間がおったとけ?』
『にゃ』
『鳴峰……? 君、鳴峰組のこと知ってるのか?』
これが、後の「ボス」と光助の出会いだった。