第三十七話・奪われた情報
「何をしてるの? ハツ。積里直人を攻撃しなさいって言ってるの。相手の数が多い時は一番楽な奴から仕留めるべきでしょう」
みどりが平淡に言い放つ。しかし、ハツは構えの姿勢から動かない。
「ダメだって、みどりちゃん。ハツは俺の言うことしか聞かねぇよ」
「じゃあ、私の言うことを聞くようにして」
「はぁ? それじゃあ俺の存在意義が……」
「うるさい」
この一言で俊は黙り込んだ。なぜか、俊はみどりに弱いようだ。
「……わぁったよ。ハツッ!」
「ガルアアァウ!」
一直線に、直人を目がけて飛びかかる。それにいち早く反応したのは、反射神経に優れた和仁だった。
「ッこのぉ!」
「かず君!」
肩にかけていたバッグを振り回して反撃する。教科書の詰まった重いカバンが弧を描くが、、犬の反応速度はもっと早い。バッグが空を割って振り下ろされるよりも前にハツの滑らかな肉体は和仁の足元をくぐりぬけていた。
「くそッ」
「積里君ッ!」
白球を持つ結子の腕が高く振り上げられ、すぐ近くにまで迫ったハツに対して振り下ろす。
ハツはボールを回避するために、結子の手からボールが放たれる前にジャンプしようとした。それが結子の狙いだと知らずに。
「ストップ!」
「ッ!?」
みどりの声がそれを止めた。ジャンプしようと一瞬体を沈めたハツはそのまま急ブレーキをかけるように停止し、視線を結子に向けた。
「くっ……バレた!?」
結子はボールを投げるつもりはなかった。正確には、投げるフリをしてジャンプを誘い、宙に浮いて身動きの取れない瞬間を狙う策だったのだ。
みどりはそれを見抜き、命令を出した。
「狙いは積里直人。それは依然変わらない。でもその前に結子の右腕を」
(……みどり!)
「ガアァ!」
限界まで開かれた口からヨダレを垂れ流しつつ、ハツの牙が結子の腕を襲う。丁度、この間の闘いで傷をつけられたあたりだ。
「うッ……」
「この!」
直人と和仁が同時に犬へ体当たりをし、寸前で止める。わずかに前足のツメが直人の胸をかすめ、制服の表面を裂いた。
「ッ痛……!」
「いて、いってえぇぇー!」
叫んだのは直人ではない。俊だった。
「いってぇなああ、てめぇ、ジョージっつったな!」
丈二は犬の突進と同時に俊の元へと走り、反撃に転じていた。その右手には一枚のトランプ・カード――血のついたスペードのエースがあった。
「この野郎! キザなマネしやがって!」
「ナイフを持ち歩く趣味はねぇからな。代用だ」
俊の左手の甲に赤い筋が走り、ゆっくりと血が流れ出して来る。
「先に手を出してきたのはそっちだからな。加減しねぇぞっ!」
「やかましい!」
「俊、撤退しなさい」
「あ?」
みどりは一歩もその場を動かず、声だけを張り上げる。
「目的は果たした」
いつの間にか、ハツの口になにかが咥えられていた。黒い、金属製の物体だ。
「僕の携帯!?」
直人のポケットから携帯電話が消えていた。今の体当たりの際に奪い取ったようだ。そしてハツは「戦利品」を咥えたまま、みどりの方へ走って行く。
「待ちなさいよッ!」
結子が最後の一球を放った。全力を込めたストレートだ。
バシッ。と音を立てて、ボールはみどりのへそのあたりで止まった。
「みどり……」
「相変わらず、緩い球ね」
制服の下に手を入れてボールをキャッチしていた。布で衝撃をやわらげているとはいえ、硬球を受けた手はビリビリとしびれている。みどりは手のしびれを必死に隠しながら背を向ける。
「行くよ、俊」
「みどり!」
結子は親友の背中に声をかけるが、無駄に終わる。みどりはそのままハツを連れて去ってしまった。その態度が、結子の足を止める。
「しょ〜がねぇ〜なぁ〜。ま、あざー先輩からのお使いは片付いたし、いっか」
俊は右手でポリポリと頭をかき、左手からにじみ出る血をベロリとなめた。その口元には笑みさえ浮かべている。
「こんな傷なんかつけてくれちゃって……。どうしてくれんだぁ? じょ・お・じくぅん。平崎結子もだけど、アンタも俺の報復リスト決定だかんね」
「お、おい!」
「追ってくんなよ〜。そろそろこの辺にも人が来るからよ」
そう言い捨てて俊も去って行った。言葉通り、徐々に人の通行が多くなってきていた。直人、結子、丈二、和仁の四人は深追い出来ず、立ち尽くすばかりであった。
「積里君、大丈夫?」
「あ……うん」
服は破れたが、体に傷はついていない。しかし、問題は他にある。
「アイツら、直人の携帯を奪ってなにをするつもりだ?」
「わからない……」
「一旦、光助と合流した方が良さそうね。図書館に戻りましょう」
「俺も一緒に行くぞ!」
和仁が怒った声をあげる。
「イキナリ訳わかんねぇ出来事に巻き込まれたんだ。無関係じゃ済まされないからな」
「そっちが勝手に来たんだろ」
またもケンカが起こりそうになったのをどうにかなだめ、一同は図書館へと戻って行った。