第三十二話・交錯する思惑
「それでさー、もうあのCD売ろうかと思ってんだけど」
「あっ、ならそれ私に売ってちょーだい! 二千円出すから!」
「えー、三千は欲しいなぁ」
「二千五百!」
友人たちが隣で楽しそうにおしゃべりしているのを聞き流しつつ、結子は心の中でため息をついた。
(あ〜あ。早いところ解放してくれないかなぁ。今日は絶対に来いってジョーに言われてたのに。一応遅くなるかも、とは言っておいたけど……)
友達と話をすることは嫌いではない。しかし、今日の放課後に丈二から「絶対に来い」と連絡を受けたため(その理由は聞いても答えてくれなかったが)、早く図書館へと向かいたいのであった。
(そういえばジョーの奴、私が遅くなるかも、って言ったら妙に嬉しそうだったわね……。小さい声で『好都合だ』ともつぶやいてたような)
「ね〜結子、聞いてるの?」
「え、何?」
いつの間にやら話題が変わっていたらしい。
「結子って、バスケ部の栄君と仲いいの?」
「別に仲がいいってわけじゃないけど。中学が同じだっただけ」
「もしよかったらさぁ、今度紹介してくれない? あたし、あの人狙ってるんだ」
「いやだから、そんなに仲良くないってば……」
「合コンやろうよー! 今度の週末にでもさぁ」
この手の話題は特に苦手だった。小学校からソフトボール一筋に生きてきた結子は、恋愛というものにひどく疎い。
(でも、そのソフトもやめちゃったし、最近は仕事もないし、たまにはイイかも)
そう考えた時だった。得体の知れない嫌な予感に襲われたのは。
(? なんか、今、ゾクッって来た……)
「結子、結局どうなのよ」
「あ……えっと、イイんじゃない? また連絡してよ。それじゃ、私はこれで」
「うん。バイバイ!」
結子はすぐに集団から抜け出し、路地裏に入り込む。そして友達の視界から隠れると同時に、全力で走りだした。
(背筋に寒気がする。あんまり長くここに居たくない! 早く図書館に行かなきゃ!)
その後を、一人と一匹は音を立てずに追跡した。
「結子のやつ、えらい遅いなぁ」
「今日は友達と遊ぶから遅くなるって、平崎さんが丈二君に言ってたみたいですよ」
直人は何度も時計を確認する。光助にバレてしまった以上、結子が来たらその場でデートに誘わざるをえなくなる。来て欲しくないような、でも会いたいような、複雑な心境だった。
「困んなぁ。坊主が顔を真っ赤にして慌てふためくところを早う見たいとに」
「……僕、もう帰ってもいいですか?」
「いやいや、スマンスマン」
光助は口では謝っているが、顔は意地悪なままだ。
「それはともかくだ。坊主、いっそんこつ迎えん行ったらどうや?」
「迎えに?」
「そ。おりゃがおっとくどっともやりにきぃやろ(俺が居ると口説くのもやりにくいだろう)。ジョーも来ん内ん、迎えん行って外で話付けてきぃや」
光助はそれだけ言って、直人の返事も待たずに机に伏せて眠り込んでしまった。こうされると気の弱い直人は従うしかない。
「わかりました……。それじゃ、いってきます」
どっちにしろ、これ以上光助と二人でいるのは疲れる。そう判断して直人は部屋を出て行った。
「でも、平崎さんって今どこにいるんだろう」
とりあえず図書館の外へ出たはいいが、どこへ行けばいいのか見当もつかない。ひとまず大通りへ出ることにした。
そして程なくして結子を発見できた。
「いた! でも、なんか逃げてる……?」
結子は人ごみの中を縫うようにして足早に移動していた。
(やっぱり、人気のないところはマズい! この間、あのデカい犬は私が一人になった途端に襲ってきた。アイツをけしかけた刻同とかいうヤツも、無関係の人間を巻き込むのは避けたいはず……!)
ほとんど直感で、結子は自分を追跡しているものの正体を察知していたのだ。この間の犬とは異なるが、獣の気配を感じ取っていた。
「クソッ、あの女、俺たちに気付きやがったのか!? さっき一瞬チャンスだと思ったら、すぐにまた人ごみに紛れやがって!」
「ワン!」
俊は逆に隠れながら移動している。結子に顔が割れているからだ。
「そろそろ図書館だ。あの周りは人の通りが少ないから、そこまで行けば再びチャンスがあるだろうぜ。それを待つしかねぇ」
しかし、結子は更に俊の予想を裏切った。
「平崎さん、どこに行こうとしてるんだろう」
結子は図書館へは向かわず、大通りを人の多い方向へ進み続けた。
(このままじゃ、図書館には行けそうにない。後ろをつけてくる気配が消えるまで逃げる! そして……)
歩きながら左手にボールを構え、右手で携帯電話を取り出して操作し始めた。
(ジョーたちに連絡しておいた方がいいわね。今日はボールがあるとはいえ、一人で闘うのは危険)
「あっアイツ〜……仲間を呼ぶつもりだ! メンドくせーぞ、ちくしょう!」
「な、なんかよくわからないけど、平崎さん、なにかヤバイっぽい……? 助けに行った方がいいのかな」
俊は物影に潜み、直人は人ごみに巻き込まれながら、それぞれ結子を追って行く。この時点ではどちらもお互いの存在に気付いていなかった。